陛下が戦う

 城下を歩き回って喉が乾き、休憩がてら茶屋へと足を運んだバルド。

 店先には赤々としたパラソルの下、長椅子が用意されておりその一つに腰掛ける。今までの喧噪とはうって変わって落ち着いた雰囲気だった。


「茶を一つ頼む」

「はーい!」


 ハキハキとした女性の給仕に注文を頼みながら、城下の様子を改めて眺めてみた。

 通りには大勢の人々が行きかい、騒がしくも活気に溢れる平和な光景だ。

 ほんの十数年前まで、魔獣に襲われる波乱の時代であった。ようやく取り戻したこの平和をいつまでも保っていきたい、とバルドは深く思うのだった。


「おや? これはこれは、街の自警団の方ではないですか」

 

 そんな時、バルドの前を通り抜けた兵士の集団が隣の長椅子に座る客へと目をつけ、ゾロゾロと囲み始める。


「こんなところでお茶とは、暢気なもので」

「私達が街を守る、と息巻く自警団がこうも暇そうにしているとは」

「いや~羨ましい羨ましい」


 ケラケラと笑う兵士達。

 端から見ても自警団の者とやらに難くせをつけているようだった。

 だが、返ってきた返事はバルドをさらに驚かせる。


「ワタシも、アンタらが羨ましいよ」


 女性の声だった。快活で凜とした若い女の声。

 自警団の者と聞いて男性だと勝手に思い浮かべていただけに、バルドも思わず見返してしまう。


「そうやって偉そうに因縁つけるだけで、大したこともしてないのに給料がもらえるんだろ? 羨ましいかぎりじゃないか」

「なぁにぃ?」

「コイツ……ッ!」

「まあ待て待て」


 いきり立つ兵士達の中から、リーダーらしき男が前に出る。

 いかにも力自慢そうな大柄な人物だ。


「自警団の嬢ちゃんよ、なにもワシ等喧嘩しようってんじゃないんだ。お互い仲良くしようじゃないか」


 男は横柄な態度でニチャア、と気持ちの悪い笑みを浮かべながら、徐に長椅子に座ると、女性へと手を伸ばしていく。しかし――


「さあさあこっちに来て、俺達に酌でもアァァァイタタタタタタタ!?」


 すぐに悲痛な叫びが響いた。


(ま、そうなるよな……)


 若き皇帝も思わず呆れてしまうほど、当然ともいえる光景である。鼻の下を伸ばしていたリーダー格の男が手を捻り上げられているのだ。

 長椅子に座っていた女性が、男の腕を掴んだまま勢いよく立ち上がる。


「なにが仲良くしようだ。エロい目でアタシの胸を見てんのはバレバレなんだよ!」


 自称するだけあって、自警団の女性の胸は並以上の大きさを誇っている。

 だが他に余計な脂肪はなく、動きやすい袖のない服から見える腕のラインは引き締まるところは引き締まったしなやかな体つき。目鼻立ちもくっきりとし、凜とした力強さがあり、その背丈もリーダー格の男とほぼ変わらない。

 男勝りな風貌でありながら、年の頃は二十に届くか届かないかの少女だ。髪を結い上げたポニーテールと細くて長い足が女性らしさも感じさせる。


「キサマァッ!!」

 

 ついに兵士の一人が女性へと殴りかかる。


「ほら、返してやるよ!」

「うぉっ!?」


 だが女は捻り上げていたリーダー格の男を突き出すと、殴りかかってきた兵士の突進を妨げる。

 他の兵士達も、続くように襲いかかり始める。

 飛び交う男達の拳。しかし女性はそれを軽快な足取りと体捌きで躱していく。


(ほう、見事な動きだ)


 二人が同時に飛び掛かられても、何のこともなく躱していなし、お返しとばかりに拳を放つ。背後から迫ってきた兵士でさえ、いとも簡単に投げ飛ばしてしまう。

 これほどの動きをするものは近衛にもそう多くはない。バルドも思わず感心するほどだった。 


「クッ……生意気な女が……ッ!」


 怒り震えるリーダー格の男。その手がついに剣へと伸びる。

 続いて仲間の兵士達も、腰に差していた剣を構え始め、遠巻きに様子を見ていた人々からは、小さな悲鳴が上がった。

 自警団の女性にも緊張が走る。彼女がいくら腕に覚えがあろうとも武装した相手、それも複数人を相手するとなれば、素手では心許ない。

 だが自警団は所詮民間の防犯組織。武器の所持は許されていなかった。


「俺達にたてつきやがって……やっちまアァァァァッイタタタタタタッ!?」


 今まさに斬りかかろうとした瞬間、再び悲痛な叫びが上がった。

 リーダーの男だ。彼の腕はまたしても捻り上げられていた。


「『喧嘩と祭りはアリエストの華』そう思って見過ごしていたが、剣を抜くのはちとやりすぎではないのか?」


 バルドだ。

 兵士達が剣を抜いた時、彼はリーダー格の兵士の背後に密かに回っていた。


「まして昼から酒など飲んで、守るべき国民に剣を向けるのが兵士のやることか」

「だ、誰だキサマぁっ!」

「黙れッ!」


 一喝。

 雷鳴の如き一声が轟き、その場に緊張が走る。

 と――そこまではよかった。


(「余を誰と心得る!」などと言って収めるのは、さすがにな……)


 皇帝の名を出せばすぐに事態は解決するだろう。だがここで正体を明かせば「こんなところに皇帝が!?」などと無用の騒ぎになりかねない。下手すれば街中が大騒ぎになってしまう。


(かといって、自分のことをなんと説明すべきか)


 皇帝という立場どころか、バルドロメオという名も簡単には出せない。なにせここはアリエスト帝国のそのお膝元。襲われている彼女や兵士達、そして見物している人々が皇帝の顔を見たことがなくとも、その名を知らぬ者などいないのだ。


「おいキサマ、誰だと聞いているんだ!?」


 こんなことなら事前に適当な身分でも用意しておくべきだった、そう僅かに後悔しながら、困りに困って出てきたのは――


「いやなに。私は貧乏騎士の三男坊で、バルドという者だ」


 なんと適当な身分と名前か。

 そう心と顔で苦笑するバルドである。


「まあ、そういきり立つな」

「貧乏騎士の三男坊だぁ? 偉そうにしやがって、コイツもやっちまえ!」


 だが取り囲んでいた兵士達の興奮冷めやらず。バルドの腕から逃げたリーダー格の男は、その正体にも気づかずにバルドへと斬りかかる。

 きらめく刃が一気に振り下ろされる。


「――――!」


 しかしバルドは僅か一歩、たった一歩引いて刃を躱す。

 見事な足捌きに、おお! と周囲からも歓声が。

 しかし、若き皇帝の内心は驚きが隠せなかった。


(これは、酷いな……!)


 続けて二人、三人と斬りかかってくる。バルドは同様に足捌きだけで避け、誰もバルドの動きについて行けない。

 一撃を躱す度、周囲から上がる黄色い歓声。だが同時にバルドの内心ではショックがますます深くなる。


(実戦は随分久しぶりだがここまで反応が悪くなるとは……完全に鈍ったな)

 

 彼が戦ってきた魔獣達は人間の体よりも何倍も大きく、力強く、そして素早い。

 そんな魔獣達を相手に戦い続けてきたバルドにとって、兵士達の攻撃など全盛期ならば打ち込む動作の前に体が動いていた。

 それがこの体たらく。嘆きもしてしまう。


「ちょこまかとッ!?」


 振り下ろされ突き出される剣達を避けて、バルドは兵の腕を手刀で叩く。

 勢いよく駆けだして突撃してきた者へは、腕を掴み上げ勢いのまま投げ飛ばす。


「ッこのヤロー!」

 

 リーダー格の兵が、背後から迫る。

 しかしバルドは僅かな動きで振り返ると、納刀したままの剣で素早く男の剣を払い、返す勢いで男の剣をたたき落とす。


「くっこの……うッ!?」


 再び襲いかかろうとする兵士達、しかしバルドの力強い眼光がその足を凍らせる。

 その眼光は穏やかでありながら、目の奥から異様とも言える威圧感を放っており、兵達も思わずたじろいでしまう。

 その瞬間、彼等は冷静になってしまった。

 勢いとはいえ軽率に抜いてしまった剣と、実力差が明確な相手。そして自分達を取り囲む人々の目。それらが頭の冷えた彼等の羞恥心を駆り立てた。


「うぅ……お、覚えてやがれ!」


 彼等は慌てて駆けだし、逃げていく。

 兵士達の情けない姿に見物していた人々からも歓声が沸いた。


「ハッ! 負け犬の遠吠えだけは一人前だな!」

  

 別な兵士達と戦っていた自警団の女性が、逃げていく兵達の背に投げかける。

 剣を腰に戻しながら、バルドが尋ねた。


「お嬢さん、大丈夫か?」

「ふん、あんな奴らワタシ一人で十分だったよ。余計なことしやがって」


 そう洩らしながら、彼女の目がバルドをキッと睨む。


「そうか、余計なお世話だったな……」

「………………フフッ。嘘ウソ」

 

 しかし、キリッと睨んでいた表情が一変。

 まるで少女のようなさっぱりとした笑顔へと変化する。


「普段だったらそう言っているところだけど、なかなかやるじゃないか、オッサン」

「お、オッサ……!?」


 オッサン呼びされたバルドは些かショックだった。


「これでも、まだ二十五なんだがな」

「二十五ぉ!?」


 飛び上がりそうなほどに驚く自警団の女性。

 その驚いた表情は、すぐさま大笑いへと切り替わった。


「アッハハハ! そりゃ悪かった。歳のわりに風格がありすぎてその渋い声だからつい驚いちゃってさ。まるで皇帝陛下みたいな貫禄なんだもの」

「な、なに?」


 突然の指摘に、バルドも驚く。それでも彼女は笑い続けていた。

 どうやら正体がバレたわけではなさそうだ。


「ま、まあ……似たようなことをよく言われるかな」

「ワタシはアカネ。言い忘れたけどさっきは助かったよ、バルドの旦那」

 

 コロコロと表情が変わるアカネが手を差し出し、共に握手を交わす。

 なかなかの握力だった。

 

「おう旦那、やるじゃねぇか」

「見ててスカッとしたぜ」


 遠巻きに見ていた人々が集まりだし、バルド達を囲んでいく。


「いや、それほどでもないさ」


 かつて魔族の大軍勢と戦ってきたバルドにとっては、実戦から遠ざかっていたとは言え、あの程度なら雑作もないこと。

 だが同時に、鈍った動きのバルドも捉えられない兵達の錬度の低さを嘆きもした。


「最近、兵隊さん達のガラが悪くて……なんだか怖いわ」

「大戦の時はもっと頼りがいがあったもんなのによ」

「平和になった証ってやつなのかねぇ」


 人々が口々に不満を溢していく。

 兵士達のあの態度はさすがに問題だった。城に戻ったら必ず是正させようとバルドは心の中で固く誓う中、アカネと名乗った快活な女性が息巻くように語る。


「へっ。皇帝陛下も落ちたもんだぜ」


 アカネの一言にバルドは驚いた。


「あんな兵士共を放っておいて、なにしてるんだか。城の玉座でふんぞり返ってるだけじゃないのか」


 痛いことを突かれながらも、バルドは笑顔で応えていく。


「なにも、あれが兵士達の全てではあるまい」

「『城を見るなら石を見よ』ってね。大戦を終結させた英雄でも末端の兵士も御せないんじゃ、大したことないさ」


 そう言ってアカネは肩をすくめる。

 彼女の嘆きに、若き皇帝は思わず苦笑が零れた。


「さすがの皇帝も、アカネの言葉を聞いたら腰を抜かすかもな」


 


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