その23
あらためて入室を許された一郎氏の部屋には、まだ太郎氏の血痕が遺されていた。先生はそれもさほど気にならない様子でさっとまたぎ、窓の近くでじっと耳を澄ませた。それから窓を開け、外の様子を確認する。
「おそらくこの下の、出窓と下の階の屋根に何か挟まっているんだと思う。柳、とってきてくれ」
「おれですか!?」
「雪が降ってないんだから何とかなるだろ」
以前、「雪が止んでからがいい」とか言っていたのはこのことだったのか……確かに吹雪が吹きすさぶ中屋根に乗ったりしたら、落下して一郎氏の二の舞いになるかもしれない。というか今でもそれ相応に危ない。おれは一郎氏の部屋にあった登山用らしいロープを勝手に拝借し、命綱をつけてから窓を開け、外に身を乗り出した。
「うわ寒!」
「こっちも寒いわ! 早くしろ」
部屋の中にいる先生の声を背中で聞きながら、おれはしぶしぶ窓の外に出た。二階の庇に足を乗せ、窓枠を掴んだまま身を屈める。
「何か音がしないか」
「ヒェッ、誰の声ですか」
「お前なぁ、びびりすぎだろ。ラジオだよ、ラジオの音!」
そう言われて耳を澄ましていると、ぼそぼそとしゃべるような声が聞こえ始めた。
出窓の出っ張りと庇の間に、大きめのマトリョーシカが一体挟まっていた。音はどうやらそこからするらしい。手を伸ばして引き寄せてみると、マトリョーシカが突然、割れんばかりの大きな音を発した。
『……いては交通情報です。道路交通センターの青木さーん』
「うわっ」
驚いて危うく取り落としそうになりながら、おれはようやくそのマトリョーシカがラジオなのだと理解した。側面につまみやスイッチが付いている。音量が勝手に大きくなったり小さくなったりするのは、壊れているせいだろうか?
「せ、先生ー! ありました!」
「よし、戻ってこい。お前まで落ちたらミツヨちゃんに祟りだって言われるからな」
無事に安全な室内に戻ると、おれはほっと一息ついた。
「あー、怖かった」
「落ちなくてよかったじゃないか」
先生としてはこれで労ったつもりなのかもしれないが、もうちょっとわかりやすくやってほしい。もしくは給料に反映させてほしい。
「これ、もしかして一郎さんの手作りラジオですかね?」
「だろうな。動作テスト中に、電波が入りやすい場所を探して窓から身を乗り出したんじゃないか? 二郎さんも電話しながら廊下をウロウロしてたことがあっただろ」
「あっ、じゃあそのときにうっかり落ちたってことですか?」
「警察も結局事故死と判断したらしいし、そういうことじゃないかな」
なんてこった。そんなことが原因だったとは。
またラジオが大音量でニュースを読み始める。素人の工作だからか、音量の調整がうまくいっていないようだ。
「一郎氏が落ちたときに、たまたま庇の下に放り込まれたんだろう。こいつがランダムなタイミングで大音量を出すせいで、誰もいないのに人の声が聞こえるなんて話になったんだな。これで元々の依頼は解決だ」
「先生、これも序盤から知ってたんすね……」
「天気予報を読み上げる霊なんて話、聞いたことがないからな。というか客間でもたまに声が聞こえてたんだが、わからなかったのか?」
「窓が遠いからわかんないですよ! 何だ〜! 教えといてくださいよ!」
「柳に教えたら、どこかでうっかり喋りそうじゃないか」
否定できないのが悔しい……ともかく、おれはほっとしていた。謎の声の一件が解決したことだけじゃなく、一郎氏の死がどうやら事故によるものだったということに安堵したのだ。少なくとも殺人や自殺ではなかったことが救いのように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます