第14話 卒業記念

私は皆のいるバックネット裏の応援席ではなく、ひとり外野席で試合を観ていた。私たちの代のマリンスタジアム出場を懸けた大事な一戦。試合はバッターの打ち合いとなり、ピッチャーにはしんどい試合運びとなっていた。ボールは右翼手である翔之介の元にも何度も飛んできて、私はそのボールを器用にキャッチしては返す背中を追って眺めた。ブラスバンドのリードする応援が響く。私は両手を胸の前できゅっと握りながら、高木くんの投球フォームを瞬きもせず見つめ続けた。

 試合は結局、負けてしまった。終わりの挨拶で、中野が泣き崩れているのが見えた。今日は中野にはホームランの神様は降りてこなかった。苦戦していたようなピッチャーの高木くんは、すっきりした顔をしていた。

 今年もマリンスタジアムには行けず仕舞いとなってしまった。

 私たちの代の野球部はこれで引退となった。

 野球部の面々は、引退で肩を落としているのかと思いきや、これで文化祭に集中できる、とアコースティック隊をはじめとして、文化祭でライブを成功させようという動きが活発になっていった。


 私は自分たちの夏の大会が終わり、女子バスケットボール部を引退した後、お願いして美園と一緒に茶道部に仮入部生として入れてもらうことになった。茶道部は卒業するまで引退はないとのとこだったので、里奈に教えてもらいながら、茶道部の活動に参加してみたり、セミナーハウスの清掃を手伝ったりした。茶道部の部室からは、外階段とはまた違ったグラウンドの景色が見えた。時折、野球部のマネージャの安田さんも加わり、楽しい時間を過ごした。

 茶道部は文化祭では外部からのお客様は受け付けせず、野球部OBのみをおもてなしするという習わしがあるので、それの準備も手伝うことになった。


 文化祭当日、「梨花祭」と書かれたアーチ(我が校は梨畑に囲まれている)が正門の所に建てられた。今年の文化祭は今までにない緊張感を持って行われている。

 私は本を読みながら休憩室の見張り番をし、時折、向かいの教室棟で繰り広げられているバンドの演奏を眺めた。バンドの演奏ができるのは教室だけとなっていて、どの教室もお客さんの入りもよく、盛り上がりを見せていた。


 バンドの演奏がゆるされたのには理由があった。あの水かけ事件から、藤原さんのバンギャルちゃんたちは、これ以上禁止事項が増えないようにと、皆大人しく過ごすようになっていた。そして、野球部が引退して文化祭に向けて動きを活発化させたのと同じくして、藤原さんのバンギャルちゃんたちは、有志で聖歌隊を組み、文化祭に向けて、賛美歌を披露すべく練習をしはじめた。その姿勢を受け、聖書の先生が藤原さんのバンギャルちゃんの所業をゆるし、文化祭でのバンド演奏および講堂でのアコースティックライブを解禁することを許可してくれたのだ。水面下で練習と準備をしていた皆が喜んだのは言うまでもない。


 ハンドベル部の演奏で、講堂での発表会がはじまった。私は斎藤宏介さんと田淵さんと前から2列目の端っこに並んで腰かけてその演奏を聴いた。ハンドベル部の演奏は静かで可愛らしい音を講堂に響かせた。

 次に、藤原さんのバンギャルちゃんの聖歌隊がアカペラで賛美歌を歌った。予想以上の仕上がりに大きな拍手が沸き起こった。 

 そして、ダンス部の発表。曲名は宇多田ヒカルの「Goodbye happiness」。綺麗に揃ったラインダンスが見事に決まって、講堂は一段と盛り上がりを見せた。カーテンコールでは引退のラストダンスとなった佐智子たち三年生が号泣する姿を見せた。

 いよいよ、アコースティックライブ。最初は野球部のアコースティック隊による演奏。野球部のアコースティック隊は揃ってSpitzメドレー。最後の曲は「ホタル」だった。野球部員たちの野次も加わり盛大なライブになった。

 最後に、斎藤宏介さんと田淵さんのライブとなった。私は約束通り、”繋ぎ”の役を果たすために一緒にステージにあがった。田淵さんが座ってギターを抱えて準備しているあいだ、斎藤宏介さんが私の手を握ってくれた。

「俺は一応ステージではプロだから。怖かったら俺の目を見て。大丈夫だって思えるまで、手は離さなくていいから」

 私はそう言ってくれた斎藤宏介さんと目を合わせて頷いた。ちょっと情けなかったけれど、緊張で怖くて手を離せなかったので、そのまま、手を繋いだまま、呼吸を整えた。私は聖歌隊としてアカペラで賛美歌を歌った藤原さんのバンギャルちゃんに敬意を示すために、アカペラで、「眼鏡越しの空」の一小節をひとりで歌った。

 結局、斎藤宏介さんと手を繋いだまま歌った。終わって一礼すると、拍手が起きた。私は唇をきゅっとして斎藤宏介さんと目を合わせた。斎藤宏介さんが頷いてくれたので、私は手を離してステージを降り、席に戻った。

 斎藤宏介さんは私が席に着いたのを確認するとスタンドマイクに向かって、

「今日は御招待くださってありがとう」

 と言った。歓声があがった。

「まずは講堂兼チャペルと呼ばれるこの場所に敬意を払って」

 と言い、「flowerwall」を熱唱した。講堂で歌うのにぴったりの歌だと誰もが思い、皆が野次と声援を飛ばした。

 そして、十八番の洋楽曲のカバーを披露して講堂を沸かせた。


 学校始まって以来の、念願の講堂アコースティックライブは大成功を収めた。

 

 プログラムが終了したあと、聖書の先生が壇上にあがり、聖書の「汝、隣人を愛せ(レビ記19章18節)」について、皆に説いて聞かせてくれた。聖書の先生は、

「この律法はその他すべての律法の土台です。律法は、不正な取引や恨みを抱くことを禁じ、無防備な人々を気遣うことを強調しています」 

 と教えてくれた。

 

 そのあと、聖書の先生の温情により、サプライズで、藤原さんが、講堂で、日本一の唄をアコースティックバージョンで披露してくれた。今まで聞いたことのない様な大歓声で講堂が震えた。聖歌隊をやり遂げた藤原さんのバンギャルちゃんたちは皆、藤原さんのステージに涙した。


 そして私たちは卒業の日を迎えた。卒業式では皆、揃いのローブを着、最後の教えに耳を澄ませ、締めに賛美歌を歌う。それぞれの思いを胸に抱き、羽ばたいてゆく。

 私は翔之介と一緒に外階段に居た。我が校では卒業記念に、卒業証書と一緒にロザリオがひとりずつに配られる。私は翔之介と互いの卒業記念のロザリオを交換した。

「もう、この外階段に来ることはないね」

 私が感慨深げにそう言うと、翔之介は

「今度はふたりで、マリンスタジアムにイチローを見に行こう」

 と言った。

「千葉英和高校の応援じゃなくて?」

 と私が可笑しそうに訊くと

「俺たちの後輩はマリンスタジアム行けっかな?行けたら絶対見に行こうな」

 と翔之介は笑った。


 翌日、私は翔之介には内緒であることを決行した。

「・・・おまえっ」

 私は両肩を掴まれ驚き、その声に安堵もした。”いつものあの御方”の声だった。

「とりあえず大丈夫そうだな。行き?帰り?」

 彼は私の両肩を掴んだまま、振り返って駅員さんに尋ねた。

「帰りです。来たときは改札出た途端にダッシュしちゃってて。俺たち駅構内からでられないんで」

「そうか、ありがとな。まずは身体検査、じゃなくて持ち物検査してやる」

 彼は私の姿を見てほっとしたようだった。

「生徒手帳は預かってますよ」

 駅員さんは業務をこなしながらそう言った。

 ここは下北沢駅構内、駅務室。私は救護スペースにすわらせられていた。逮捕、と言われてふたりがかりで駅員さんに捕獲され、連れてこられた。もし下北沢に来て駅員に逮捕すると言われたら大人しく従うように、と言われていた。

「逮捕されただろ。初対面で吐くセリフがこれとはな。初対面、てことにしておけ。今日は俺のホームへようこそ」

 彼は少しいたずらっぽい笑みを見せた。私は小さく頷いた。

「俺の声、どっちかわかるか?姿を現すのは久しぶり、だからな」

 もちろんわかる。私は微笑んで頷いた。彼は心配そうに私を覗き込む。

「おまえ、荷物は?」

「手ぶらみたいですよ」

「家出したってわけじゃあ」

 私は

「ポシェット」

 と呟いた。荷物は肩から掛けた、白い帆布の、プチトマトの刺繍がついている、トートバック型の、これだけ。

「・・・ポシェットって、おまえ、わらかすな」

 彼は私の肩から手を離して立ちあがり、電話を掛けた。ひとことふたこと話すと、ハンズフリーのスイッチを押して、それを胸ポケットに入れた。腕を組んで、私を見ている。

「おまえ」

『弥生って呼んでやれって』

「”Load”に行ってたみたいですよ」

 駅員さんは、分厚いファイルを手にしている。大きくひとつ、ため息をついた。

「”Load”か、ミスリードだな。・・・何かされたか?」

 私は心配顔の彼から視線を落とした。しばらく間を置いて、

「プリンセスの」

 と呟いた。

『・・・』

「なんだ?」

 彼は腰に手を置き、笑い出した。

「プリンセスの唇を死守できませんでした」

 私は恥ずかしくなって小さくそう言った。

 ”Load”というライブハウスに入ると、入り口で、制服の子はチケットの前に生徒手帳ね、と言われた。素直に生徒手帳を見せると、噂の荻野弥生ちゃんかあ、と言われて、入り口の近くの席に案内された。そこで奥から出てきた男のひとにキスされた。たぶん駅で逮捕されると思うから”イベントオーガナイザーのゴン”さんにお仕置きとしてキスされたって言ってね、と言われて帰されてしまった。

「おまえ、わらかすな」

 わらかしたいわけじゃなくて、ほんとのほんとに恥ずかしいのにな、と思った。両手で唇を覆った。あー、もう、どうしたらいいの。こんなに心配掛けてまで、決行することじゃ、なかったのかな、でも。

「その電話口で笑っているの、誰なんすか?」

「え?俺の相棒。おまえね、ひとことめがポシェットで、ふたことめがプリンセスって、おじさんを煮て焼いて食う気か。あのな、俺、ジャージで来いって言っただろ。制服は危ないから着てくるなとあれほど言っておいたのに。おまえ、笑いすぎだぞ」

 私はジャージの上着の袖をきゅっと掴んだ。ちょっと気落ちした。

「あの、気が付いたらバンギャルちゃんに切られてて」

『おい、急に物騒な話しするな』

「卒業式の日だって、野球部のやつらが言ってましたよ」

 彼は駅員さんの方を振り返って、

「おまえ、情報が早いな」

 と言った。卒業式の日に、外階段で、ユニフォーム姿の野球部員と一緒にジャージ姿で写真を撮ろうと約束していた。教室に置いておいたジャージが金ボタンなしの藤原さんのバンギャルちゃんに鋏で切られてしまった。見つけて止めた時にはもう遅く、被害は下だけで済んだが、ジャージは着られるような状態ではなかった。そのあとネクタイ派のバンギャルちゃんが、下北沢の”Load”に行けば、秘密基地団のメンバーに会えるから報告した方がいい、と助け船を出してくれた。

 今日は、仕方なく、制服に上だけジャージを着て来た。

「斎藤は?」

「今、リハーサル中だって取り合ってもらえなくて。そういう問い合わせが多かったみたいで」

「そうか。藤原は?」

「あなたの相棒さんが、ご機嫌ななめだって言ってましたよ。俺、席外しますんで」

 続けて、駅員さんは優しい眼差しで私に

「生徒手帳は、安全が確認できたら返すから、それまでそこに居てね。誰か迎えに来てもらえるといいんだけれど」

 私は翔之介の名前を出した。

「鈴木翔之介くんね、わかった。連絡しておくね」

 と言って、駅務室を出て行った。

「あの」

 私はとても緊張していた。

「まずは、見せてみろ」

 私は頷いた。彼は、まだ心配している表情を崩さない。私はワンピースの制服の胸元から、首にかけていた”乙女のロザリオ”を取り出した。

「斎藤宏介か・・・」

 そう呟くと、彼は私の前にしゃがんでロザリオを手に取った。

「これは、俺が、預かっておく。おまえが無茶しないように、な」

 彼はそう言って、ロザリオを首にかけて、私のあたまをぽん、として私にキスをした。立ちあがると、ロザリオを大事そうにしまった。

「あのな、下北沢にはもう来ないように。特に春休みは治安が悪くなりがちだし、ましてやその制服姿で。おまえは顔が割れれてて誰に何されるかわからないだろ。”Load”のやつらは俺たちのシマの範囲だから良かったものの。怖かっただろ」

 私は返事ができなかった。彼はため息をひとつ、ついた。

「俺がな、ついててやってもいいんだが。でも目を離した隙が、な。大人しくしておいた方がいいだろ。”Load”のことをおまえに教えたのは誰なんだ?」

「藤原さんのバンギャルちゃんです」

『ジャージ切ったのは?』

「藤原さんのバンギャルちゃんです」

 保護者がふたり一緒にため息をついた。

「まあ、ミスリードとはいえ、最善の策だったのかもしれないが、できれば行きに逮捕されて欲しかったなあ」

 私は小さな声で、心配かけてごめんなさい、というしかなかった。

「もし下北沢に来たかったのならせめて私服に、いや、制服に生徒手帳なら駅構内で、いや、ジャージが一番安全なんじゃないかと思ったが」

『・・・』

「わらうな。もとはと言えばおまえの案だろ。行きで捕まえる前提でな。とにかく、制服は大切にしまっておきなさい。おまえはうるさいな。下北沢には着てきちゃ駄目だろ、弥生」

「わかりました。ごめんなさい」

 私は、秘密基地団の彼らが下北沢でステージに立つ姿を見てみたかったが、果たせそうになかった。無茶しても心配かけるだけ。

『説教だけか?』

「会いに来てくれたことは、正直言って嬉しいよ。おまえなら卒業式の翌日に俺たちに会いに来ることもありえるなと思っていたよ。でも、このことは、俺とふたりだけの秘密にしておくから」

『・・・』

「で、これ」

 彼は一枚のチケットを、私に差し出した。私は両手でそっとそれを受け取った。ライブハウスのチケットを手に取るのははじめて。昨日の日付だった。

「ストレイテナーさまの」

 私はやっとちゃんと彼と目を合わせることができた。

『おい』

「そう、昨日はおまえがいるつもりでステージに立ったの。卒業の記念になるかと思って」

 そうなんだ。嬉しい。大人対応。

「今、おまえ、大人対応って思っただろ。嬉しそうだな」

「あ、りがとう、ございます」

 私はチケットを見つめた。

「今日、会いに来てくれて良かったよ。おじさんに何言わすんだ、この子は」

 私はとても嬉しかった。ほっとして涙が滲んだ。

「あいつらのことも、下北沢の街のことも、もう少し待っててやってくれないか。ほとぼりが冷めて、おまえのことも理解してもらえたら、ちゃんと招待してやるから」

 私は、卒業記念に、と彼から手渡されたチケットを大切に手で包むようにして何度も頷いた。彼は私のあたまをぽん、として撫でた。

 彼は、私が泣き止むまでしばらくそうしていてくれた。私は彼の優しさに少しずつ自分を取り戻していった。

「じゃあ、俺は、ご機嫌取りと様子見に行ってくるから。いい子で帰りなさい」

 彼は笑いながらそう言った。私は彼を見つめて、頷くしかなかった。

 翔之介が駅員さんに促されて、駅務室に入ってきた。

「おお、来たか。彼女は無事だよ。あまり無茶しないように見張っててやってな」

 彼はそう言って、翔之介に笑いかけた。

「すみません。ありがとうございました」

 翔之介は律儀に彼に頭を下げた。私は不覚にも翔之介の姿を見て、ほっとしてまた泣き出してしまった。

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