銀弾吼える! Chapter.8

 が厄介なのか判らない。

 判らない・・・・という事自体が厄介なのだ──。

 この〈ベート〉なる獣妃じゅうきは──。



 マンハッタン拠点〈エンパイアステートビル〉──。

 存在するが存在しない──

 存在しないが存在する──

 そんな十三階に、彼女の部屋は在った。


 夜神冴子が最後に放った銀弾により通信機能は損傷し、モニターがブラックアウトに沈黙する。

「事の顛末てんまつは見届けた……もう不要だ」

 薄い紅が、ほくそ笑む。

「マザー・フローレンスは弾劾だんがいに処され、飼育していた子供達エサも尽きた。あの教会に、もはや利用価値は無い」

 豊かな金糸をく。

「とはいえ、存分に役立ったが……な。鮮度のいいにえを喰らう事で、潜在に休眠する〝われ〟は思いの外に早く覚醒する事が叶った」

 唇を湿らすしたりが反芻はんすうするのは、血肉の味──柔らかな食感──断末魔のスパイス────。

 嗚呼、早く次なる養育場を作らねば……。

姉妹・・……か。フフフ、嘘ではないぞ……夜神冴子よ? 確かに〈血杯〉は授けた──われがな」

 そう……マザー・フローレンスは、確かに〝嘘〟など言っていない。

 故意に誤解を生む言い回しをしただけである。

 どちら・・・が〝姉〟か〝妹〟かは告げていない。

 ただそれだけ・・・・の話だ。

「マザー・フローレンスに〈ジュリザ〉を預けたのは正解であった。われに心酔するヤツだからこそ、おのが身を惜しみ無く捧げた。まさに影武者には打ってつけ……」

 最期まで従順な信徒であった。

 夜神冴子を前にしても、真相・・隠匿いんとくするほどに……。

 自らの〈〉と直面しても、微塵たりとも情報を漏洩ろうえいせぬほどに……。

 下らぬ虚像〈モロゥズ神〉などの信徒ではない。

 彼女──〈獣妃ベート〉の……だ。

 だから何だという?

 所詮は〝道具〟──惜しくはある利便性ではあったが、代わりなどいくらでも利く。

 有能であるがゆえに重宝しただけの凡百だ。

「しかし〈ジュリザ〉が〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉へと依頼した時には、内心ヒヤリとしたぞ……。おかげで〝〟としても鳴りを潜める必要が出てきた」

 水割りがのどうるおすと、置いたグラスがカランと奏でる。

「まったく……あの小娘、博愛にもほどがあろうに」

 飽きたかのようにソファを立つと、壁の一角いっかくを押し開く。

 隠し部屋だ。

 とはいえ、身を隠すためのものではない。

 われは〈獣妃ベート〉──。

 不敗の魔物──。

 くだす事はあっても、くだされる事など無い────。

 なれば、身を隠す必要などあろうか?

 そう、此処は娯楽部屋・・・・だ。

 何人なんぴとにも邪魔されぬための……。

 自室と同等の広さを敷き詰める石室。

 大理石を積み重ねた壁面が、ランタンの朱に照り染まる。

 異臭──。

 常人には嘔吐感おうとかんいる不快臭。

 血と腐肉の臭い。

 彼女には心地いい。

 壁には入手したての黒豹の毛皮──二対。

 かつては〈区長〉などと仮初かりそめの栄誉を授けたが、思いのほかに使えなかった。

 どうでもいい。

 所詮しょせんは酔狂な遊びだ。

 珍しさに拾った玩具に過ぎない。

 あの〝魔薬漬けの猿〟同様に……。

 それよりも、現在関心を惹き付ける玩具で遊ぼうか。

 沸き立つ加虐心がはやる。

 一番奥の壁に、それ・・は飾ってある。

「まだ生きておろうな?」

 目的の手前に立つと、蔑みと好奇心の眼差まなざしを涼しくそそいだ。

「──ンン! ンー! ンーーッ!」

 猿轡さるぐつわに邪魔された抗議……いや、それ・・命乞いのちごいやもしれぬ。

 黒髪の蛇女──ようやく探し出したレア玩具だ。

 両腕は黒鉄くろがねの鎖枷で壁面へとつるげ、下半身の蛇体は巨大な重石おもしつぶしてある。ギョロリと大皿のような目は不快なのでつぶした。

「ンンーーッ! ンー! ンーーッ!」

「何を言うておるか解らぬわ。もっとも、そのかせはずしても同じか。舌は抜いてあるからな……フフフフフ」

「ンンンーーーーッ!」

 ジャラジャラと乱れる金属音が、ベートの支配欲求を悦に浸らせる。

 紛れる嗚咽おえつも心地好いソプラノだ。

 その不様ぶざまさをさかなとして、手近な卓からブランデーをぐ。

「喜べ、裏切者? キサマが肩入れしている〈夜神冴子〉は勝ったぞ? 本来なら疲弊ひへいした事後を潰しても良かったが……享楽ゲーム享楽ゲームだ。今回は見逃みのがしてやろう。それに〈〉の復活に一役ひとやく買った褒美ほうびもやらねばな? フフフフフ……」

 一縷いちるの希望に依存させた上で、絶望の奈落に叩き落とした。

 だからこそ〈ジュリザ〉は死んだ。

 その魂は壊れた。

 夜神冴子の存在は、結果として〈ジュリザ〉をほうむるに大きな要因ピースとして利用できた。

「フゥ……フゥ……ンンンンッ!」

「フフフ……死にたい・・・・か? 死にたいであろうなぁ? この生地獄・・・から解放されたかろうて?」

 景気付けとばかりに酒をすと、獲物の眼前まで歩き進む。

ならぬ・・・な」

「ンンンンンンーーーーーーッ! ンンンンンンンンンンンンーーーーーーーーーーーーッ!」

 室内反響に奏でられるこもった絶叫!

 獣妃ベートの五指は、鋭い爪を虜囚りょしゅうの腹部に突き立てていた!

 濁々だくだくと伝わり落ちる赤黒い生温なまあたたかさ。

 高揚をさそう。

「フフフフ……別に〈区長〉としての不甲斐なさを責めているワケではないぞ?」

 さらに深々と食い込ませる!

「ンンーーーーッ! ンンンーーーーッ」

 悲鳴と赤が比例に増した。

「オマエはオモチャ・・・・だ……命果てるまでな。なぁに、楽には殺さん。ギリギリで生を体験させてやる……すべは心得ているのでな」

「ンンンンンンンンンンンンーーーーーーーーーーーーッ!」

「アハハハハハッ! アハハハハハハハハハハッ!」

 残虐な至悦が狂喜めいて笑う!

「この〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉とて、一時ひとときたわむれに過ぎぬ。〈闇暦大戦ダークネス・ロンド〉の覇権? 獣人達による天下? クックックッ……知った事か。たかだか暇潰ひまつぶし……下等な畜生ちくしょうどもが滅ぼうがどうしようが知った事ではない。このニューヨークとて、ただの遊技場に過ぎぬわ」

 そう、われは〈暴君ベート〉──。

 思うがままに生き、思うがままにもてあそぶだけ……。

 その命も、血肉も、魂さえも…………。

「さて……次は、どの地で遊ぼう・・・か?」

 かつて〝ジュリザ〟と呼ばれた聖女は、その相貌そうぼうに対極の冷笑をはらんでいた。




 まわしき決戦から一ヶ月後──。

 夜神冴子はダコタで養生の日々を過ごしていた。

 言うまでもなく、ラリィガの手配だ。

 ティピー内での寝たきり生活は退屈極まりない。

 何よりもしょうに合わなかった。

 しかし、それもそろそろ終われる。

「だいぶ回復したわね」

 左手をグッパッとにぎり確かめ、冴子は自分の具合を推測する。

 に、してもキツイ。

 左肩からさらしのように巻かれた大仰な包帯は、彼女の胸をギュウギュウに圧迫していた。

 ラリィガの手当てだ。

 問答無用の慌ただしさに、無理矢理締め付けられた。

 粗雑なあの娘らしい。

「……結構ある・・んだぞ? アンニャロー」

 さりとも、その想いを汲めば、軽い苦笑もれるというものだ。

 ややあって寝床から起きた冴子は、トレードスタイルの上着へとそでを通す。

「ま、後はコイツ・・・で何とかなるっしょ? 傷口きずぐちは、だいぶ回復してるし」

 ハリー・クラーヴァルの〈錬金術〉は伊達ではなかった。

 そのノウハウを注ぎ込んで新生させたこのジャケットは、耐寒耐熱や防弾といった基礎性能を備え、尚且なおかつ微々たる治癒効果を付加されている。

 つまりは〝着ているだけ〟でも遅々と回復していく寸法だ。

 とはいえ、いずれも高い効果を及ぼすほどではない。

 あくまでも補佐サポートレベルの付随ふずい性能であり、結局は冴子自身が自衛に万全を期する必要がある。

 それでも有り難い代物シロモノではあった。

 即時即興的とはいえ、状況好転の助力とは機能している。

 この〈闇暦あんれき〉では大きい。

 たかだか〝人間の小娘〟が生き残れてきた要因のひとつだ。

「あ、冴子? 起きたか……って、何やってんだよ!」

 入ってくるなり、ラリィガが保護者風を吹かせた。

(まったくお節介というか何と言うか)

 だから、あきれ気味ながらも心地いい苦笑が浮かぶ。

 この娘と出会えた事そのものが〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉にとっては大きな報酬にも思えた。

「ボチボチ行くわ」

「まだ回復してない!」

「したわよ?」

「してない!」

「した」

「し・て・な・い!」

「し・た!」

 突き合わせた意固地がいがみ合い──ややあって、どちらともなく吹き出していた。




 暗黒世界への地平と広がる荒野……。

 荒涼とした風は吹き昇る。

 夜神冴子とラリィガはそびえる崖に並び立ち、立ち込める不穏を道標とにらみ据えていた。

「次は何処へ行くんだ?」

「さて……ねぇ? 現状は依頼も無いし、当面は気の向くままかなぁ?」

「ふぅん?」

 途切れる会話。

 互いに想いはある。

 れど、それを集約する言葉を見つけられなかった。

 いならぬのやもしれぬ……。

 死闘を共にした二人ふたりには……。

「んじゃ、行くな?」

 インディアン娘の方から背を向けた。

 正直、見送り届ける自信は無い。

 湿っぽいのは嫌いだ。

 置かれた異邦人の背が、変わらぬ楽観に手をヒラヒラと振る。

「〈ホワイトバッファロー・ウーマン〉にヨロシク~★」

「あ……と、そうだ。オイ、冴子!」

 思い出したかのように、ラリィガは足を止めた。

「うん?」

 互いに振り向き交わす素直な表情。

 本音を言えば、見たくはなかったが……。

 双方、後ろ髪を引かれるから。

 さりとも、ラリィガは前向きな微笑びしょうに捧げる。

「生まれた時、オマエは泣き、世界が笑った。だから死ぬ時は、オマエは笑い、世界が泣く人生を生きろ」

「何よ? 唐突に?」

「チェロキー族の言葉だ」

「…………」

「…………」

「……そっか」

「じゃあな」

「じゃあね」

 気高さは互いの背中を磁石のように引き離した。

 だが、その想いは……。




 しばしの余韻を噛み締めながら、夜神冴子は愛銃へと見入る。

「結局は誰も救えなかった。築いたのは死人の山……か」

 アニス──

 アントニオ──

 教会の孤児達──

 そして、ジュリザ────

 何ひとつ守れていない。

 ふたを開けてみれば、滑稽こっけい道化どうけだ。

 無力むりょくにもほどがある。

「ハリー・クラーヴァルは言った。〈怪物〉にあらがえる存在を知らし示せば、闇暦あんれきに生きる人々の〝希望〟にも成り得る……と」

 だからこそ、生きてきた。

 だからこそ、死線に臨んできた。

 そして、だからこそ殺して・・・きた。

 だが、仮に巨悪ベートほふったところで、それが何だ?

 望んだのは、そこ・・ではない。

 その先だ。

「〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉……か」

 非情の白銀しろがねは、ただ彼女の迷いを反射するだけであった。

「こんなんで、生きる価値あるのかな……私」

 心に甦るのは〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉として新生した原点たる言葉──。


 報酬は、君自身の生き方・・・……その軌跡を贖罪しょくざいの証として──。


 その瞬間ときが来ないならば、修羅地獄をさ迷えばいい……君自身が償えた・・・と思えた時まで──。


(仮にどうあろうと闘いは続く。死と隣り合わせの日々は続く。生きている・・・・・限り……生き続ける・・・・・限り……)

 心が冷える……。

 荒涼に……。

 虚無感に……。

 その時、一際ひときわ強い突風が叱咤しったとばかりにった。


 ──やっぱり、お姉ちゃんは〈正義の味方〉だね。


「ッ! 舞?」

 風圧に含まれる懐かしい声音!

 その姿を求めて、思わず振り返った!

 れど、そこには誰もいない。

 妹の姿は無い。

 ただ閑寂はらむ風が、荒野に吹き抜けているだけであった。

(そうよね……にしか出来ない)

 むなしさを鼓舞に押し殺し、改めて使命感を噛み締める。

 きっと、この闇空そらの下では待っている。

 救いを望む弱き魂が……。

 だから、冴子は顔を上げた。

 残酷な明日へと。

「……行こうか〈戌守いぬもりさま〉」

 歩み出す。

 心に定めた信念に……。

 人々の牙と化して〈怪物〉へと抗う修羅地獄に……。

 白き霊獣は宿命を共有すべく後へと続いた。

 その背中を見送る〝少女〟の姿は、哀しくも夜神冴子には見えていない。

 巫女姿の幽体であった。

(そうだよ……お姉ちゃんは〈正義の味方〉なんだから、生きなきゃ……生きて闘い続けなきゃ……これからも〝苦しむ人〟のために〈怪物〉と闘い続けなきゃ…………)

 嗚呼、大好きだったお姉ちゃん──。

 まっすぐで──

 不器用で──

 それでも優しく誠実なお姉ちゃん────。

(どんなにつらくても……苦しくても……生きて……生きて……生き続けなきゃいけないのよ…………)

 きっと他の生き方なんて出来はしない──。

 その〈使命〉を投げ棄てる事など────。

殺した私の分も・・・・・・・!)

 一転、ゾッとする呪詛を微笑ほほえみ、妹の幽魂は掻き消えた。

 その愛憎を見定めるは、振り向き去る〈犬神〉だけであった……。



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