獣達の挽歌 Chapter.7
「ハァァァーーーーッ!」
地表擦れ擦れの滑空に迫り来る雷鳥!
その拳は電塊と繰り出され、野人の
「カハッ!」
腹筋を
拳の重さに乗せた雷撃の飽食が総ての感覚を殺し、白の鞭打ちを全身痛覚へと刻みつける!
刹那の拷問を
腹部へと潜り込んだラリィガは、攻撃の
頭上に振り上げた両手を、筋肉の
「くたばれーーーーッ!」
振り下ろされるハンドハンマー!
隆々たる巨腕が生み出す破壊力は絶大!
足下のタイル床は粉砕の隆起に
「いない?」
瞬時に悟る違和感!
「チィ! またか!」
先刻から
「やりにくいんだよなぁ……」
声の出所を追えば、雷鳥獣姫は柱の上部へと
まるで柱の側面を大地のように踏み締めていられるのは〈
「よっ……と!」
慣れたものとばかりに飛び降りるラリィガ。
「この部屋……だだっ広い方なんだろうけど、
気負わぬ肩揉みに
先の戦闘に
いや、それはその通りなのだろう。
事実〈
「……小娘が!」
野人の原始が
その暴力的視線にも臆せず、ラリィガは涼しい態度で
「に、しても……なかなか、たいした〈変身〉だよな。アタシの現形態を相手取って無事でいられたヤツなんて、これまでいない……必ず敵を仕止める〝必殺の姿〟だ。にも
「そうでもない……ダメージは、しっかりと喰らっている。ただ〝肉体強化〟が、並の〈怪物〉を上回っているだけだ。それも当然──この魔薬〈スティーヴンソンの涙〉は、元来『闇暦の〈怪物〉共を駆逐するべく作られた』のだからな」
「うん? じゃあ、何で〈
「クックックッ……
「ふぅん? 要するに『
「
「だよな」軽いストレッチに上半身をほぐす。「けど……
「……何?」
そして、ラリィガは
「冴子の方が、よっぽど
「ふざけるな! あのような小娘
「正義の味方……ねぇ?」と、軽くしらける。「アイツは、そんな上等なモンじゃないよ。いつも自分本意だし、無計画無鉄砲だし、ヘラヘラとチャラけたごまかしで心を開かないし、平気で他人を利用するし……アタシなんか何回利用されたか……ああ、もう! 思い出したら腹立ってきた!」
「何を言っている?」
「けどさ、アイツは
「だから、
「アイツは〈正義の味方〉なんかじゃない……どこまでいっても〝
「人間……だと?」要領を得ない主張に
「何か、おかしいか?」
「あれだけの悪名と実績……改心に望めば、受け入れる
「望まないよ、アイツは」
「社会的弱者を見捨てられない……か? 結局は〝女〟特有の浅はかな情か? 慈愛とか言う? クフフフフフ……アーハッハッハッ!」
「ま、
「ッ!」
──この〈魔法薬〉が完成すれば、人々を救える事ができる……この〈
黙れ! 愚かなる師よ!
これだけの〈
俺の生き様こそが正しい!
「少なくともアタシは信じてる……冴子の真っ直ぐさな性根も……
脇腹へと握り固めた拳が、雷撃の種火を生み始める!
「
憤怒とも拒絶とも取れる気迫を
「
憤怒の
二本!
「な……何ィ?」
ラリィガの動揺も
隆起する筋肉は密度を軋ませ、骨はそれに抗おうと強度を増していく!
「ガァァァアアアアアッ!」
奥の手!
禁断の秘策!
魔薬に含まれる興奮物質と筋肉増強成分を過剰摂取し、一過的に肉体強化効果を極限まで上げた!
体内流動に荒れ狂う衝動は、
「光栄に思え、ダコタの小娘! 理論上は煮詰めていたが、
「最後の手段……って? 大丈夫か? そんな無理して?」
「
「難しい事は、アタシにゃ
「グフフフ……クソの役にも立たぬ倫理概念など
「ま、どっちでもいいさ」
深い
そして、静かな臨戦態勢が構えあう。
どちらともなく両者は覚悟を定めていた──
「
「ほざくなぁぁぁーーーーッ! 旧暦の亡霊がァァァーーーーッ!」
白光の
筋肉の巨塊が跳躍に地表を蹴り砕く!
そして、染める白が決着を呑んだ……。
「先生、食事を御持ちしました」
居ないはずがない。
この偏執狂の化学者は、
だから、
大方、また研究へと集中し過ぎて、周囲への視野が遮蔽されているだけだ。
諦めの
そこは雑多な書物が支柱と積まれる書斎であった。ただでさえ狭い個室は、文字通り足の踏み場も無い乱雑さを
それでも知識の混沌を乱さぬように気を張り詰め、
はたして奥に据えられた机には、筆記と黙考に
「おそらく
師の背中は、脳内設計図を
弟子の存在には気付きもしていない。
トレイシーの師匠〝フレデリック・スティーブンソン〟は、無名の化学者であった。
そう、無名──。
さりながら、非凡────。
なればこそ、トレイシーも崇敬に従事する。
その才は、錬金術師による勢力組織〈
奴等の目的は、どうせ
だから、流浪が始まる。
イギリス──ドイツ──ロシア──エジプト──海を渡り、アメリカ大陸まで渡った。
うまく消息を揉み消せたのか、以後〈
好転だ。
この偉業たる研究ノウハウは、
下手に錬金組織に取り入れられれば、
だから、好都合だ。
矮小な〈怪物〉による徒党が、我が物顔で蹂躙していた。
それが日々小競り合いに凌ぎを削る。
どうでもいい環境騒音だ。
研究に没頭できれば、それでいい。
(非凡の才でありながらも名声を欲せず
心底尊敬に値するストイックさであった。
(そして現研究が完成すれば、もしかしたら〈
本当に凄まじい偉業である。
人類史が
仕えてきた歳月が誇らしい。
(そう、この〈魔法薬〉が完成すれば……)
心中に
無自覚な想いに呑まれそうになり、トレイシーは自戒めいて現実へと戻った。
乱れる心情を鎮静化させるべく、窓の外に描かれた常闇の情景へと視線を逃す。
悪徳が正義と化す現世魔界だ。
稲光が惨劇の事後を浮かび上がらせる!
絶命の形相に横たわるは、
その
その重暗い表情に刻まれるのは、はたして達成感か懺悔か……。
完成した研究成果を歓喜するフレデリックは、耳を疑う発言をした。
「いいかい、トレイシー? 私は、この〈魔法薬〉を〈
「何を言ってるんです! 先生! たった
「幹部……ねぇ? 別段、興味は無いよ。それに、
「だったら!」
「花売り……」
「え?」
「全世界の人類よりも〝
愚かしい。
実に愚かしい。
これだけの成果を
幼稚!
幼稚幼稚幼稚幼稚!
何という幼稚な夢想!
宝の持ち腐れだ!
「残す問題は〝被験者〟だな。ある程度の臨床実験は、私自身で済ませてある……が、完成薬は初めてだ。それに、いざ
「……私が、やります」
「トレイシー?」
「私が新薬の被験体になります」
「本気で言っているのか? いやいや、待ちたまえ? 私は別に
「この
「し……しかし?」
「大丈夫、長年付き添った先生を信じていますよ」
「ああ、
「ええ、御願いしますよ……
歓喜任せに両手を握り締める間、フレデリックは気付くべきであったのだ──愛弟子の瞳が深い闇に魅入られていた事に。
「
野人の低い
屍は凝視に
怪力の前には
「そうだ〈
軽く目を通す。
「コレさえあれば、俺でも増産は可能だな」
伊達に〝弟子〟に従事していたワケではない。
ふと名称に目を通した。
「フン、何が〈スティーブンソンの涙〉だ……女々しき名よ」
何を嘆く必要があるというのだ?
これだけの〈
「さらばだ、師よ……
いずれにせよ、数分後には
またも流転が始まる。
だがしかし、今度は怯え逃げ惑う日々には無い。
思うがままに略奪し、思うがままに踏みにじり、そして殺した。
平等だ。
そこに〈怪物〉だの〝人間〟だのという選定は無い。
総てが等しく〝暴力の
各地の勢力に
嗚呼、これぞ
やがてニューヨークは〈ブロンクス〉へと流れ着く。
そこは〈ベート〉なる未知が、支配体制の胎動をしていた。
その支配下に在る大獣群が、
抗うも孤軍は無様に敗れた。
さすがに死を覚悟した。
さりながら彼の稀少性は、どうやら〈ベート〉の眼鏡に叶ったようである。
そして〈ブロンクス領主〉として歓迎された。
徐々に意識が戻ってきた。
「……私は……負けたのか?」
なけなしの気力を零すトレイシー。
大の字に床へと転がっていた。
その
「フ……フフ……無様だな」
「でもないさ」気さくな態度のラリィガが、彼の横へと腰を下ろす。「アンタは強かった」
間食の
「……慰めはいい」
「でも、
「
「アタシには〈シュンカマニトゥ〉や〈ワキンヤン〉がいた。そして、何よりも〝冴子〟がいる」
「俺は……
嗚呼、俺は
たった
「ダコタの小娘、ひとつ教えてくれ……アイツは……夜神冴子は、何の
「さあ? アタシにも判らない。根には深い
「そうか……」
「ただ、ひとつだけ確実なのは……アイツは〝目の前の人間〟を放っておけない」
「目の前の……人間?」
「言ったろ? アイツは〈正義の味方〉なんかじゃない。人類がどうたら以前に〝目の前の人間〟なんだよ、アイツは」
師の掲げた理想が、不意に脳内でリフレインした。
(そうか……あの女は……夜神冴子は…………)
かつて
そして、師が切望していた存在。
人生を傾けて創造しようとしていた運命の開拓者。
(同じではないか……師が思い描いた姿と)
本来ならば、この〈魔薬〉を
さりながら、自分が依存したのは〝悪心〟であった。
私欲であった。
その尊厳とは程遠い。
「
「何だ? それ?」
「いいや、何でもない」
渇いた自嘲が
それが断裁となったか、
(嗚呼、それに引き換え……俺は
歯牙にも掛けていなかった記憶が、脳の底から克明と浮かび映る。
老人を捻り殺した──渾身に子供を叩き棄てた──淀む欲望のままに女を襲った──果敢に刃を向ける男達は豪腕で裂き殺した────。
返り血──鮮血──
彩られる黒き赤────。
呪怨であった。
叱責であった。
弾劾であった。
もう
だから、いつしかトレイシーは泣きじゃくっていた……親に叱られた子供の
「オ……オイ?」
唐突な急転に困惑するラリィガを余所に、ひたすら
〈
それが過剰摂取の代償として現れた。
こうした事後展開を見越したからこそ、師・フレデリックは名付けたのである──〈スティーブンソンの涙〉と。
開発者としての
残酷な運命を
そして、次第に
泣き疲れて眠るかのように……。
トレイシーの心臓は、免罪に鼓動を
「泣く事を恐れるな。心が解き放たれ、悲しみから自由になれる──か」
ホピ族の言葉であった。
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