獣達の挽歌 Chapter.5

「……こんなのアクション映画の世界だけかと思ったわ」

 不満を愚痴りつつも、冴子は空気ダクト内をすすむ。

 窮屈きゅうくつ迷宮ダンジョンつんいの行進を狭い構造にいた。

「んで? イクトミ……だっけ? アンタ、何故こんな場所に?」

 先頭を進む冴子は、すぐ後ろに続く不審者へい投げる。

 ちなみにラリィガは最後尾だ。

「ま、これでも〝インディアン達の情報屋〟なんでね。如何いかなる場所へも潜り込み、有益情報を得ては迅速に伝達する──そいつがオイラの本分なのさ」

「ふぅん?」

 簡素な相槌あいづちを、とりあえず刻む。

 釈然としない抑揚ではあった。

 初面識ゆえに信用には足らない。

 少なくとも〝ラリィガの知己〟でなければ、あと三〇分は銃口じゅうこうを据えた尋問だった。

「此処を真っ直ぐ進めばいいのよね?」

「ああ、そうすりゃ廃棄されていたエレベーターへと辿り着く。元々は旧暦時代に用務員達とかがゴミ処理や各階清掃のために使っていた物だから、小さいヤツだがな?」

「ベートは?」

「その存在すら失念しているだろうな。闇暦になってからは使われてないから配電も絶たれているし」

「ちょっと! それじゃ使えないじゃない!」

「抜かりはぇよ。直前にオイラが通電させておいた」

 手回しがいい。

 見た目の頼りなさに反して、抜け目が無いようだ。

 それならば一転して、エレベーターは有力なショートカットだ。

「で、イクトミ? ベートについて何か解ったのか?」

 ラリィガからの質問に、蜘蛛男は首を横に振る。

「うんにゃ、何も……あまりにも警戒心周到なんで、このオレをもってしても特ダネは掴めなかったな」

「そうか」

 黙々と進む。

 と、冴子は軽い違和感に気が付いた。

「ねぇ? 何でアンタが私の後ろなのよ? 案内人でしょ?」

「此処の方が眺め・・がいいんだよ」

「眺め?」

「ああ、の」

「山?」

 意味不明な暗号をしばし噛み砕く。

 ほどく思い当たり、ジワジワと苦虫顔になった。

「ふひひひ……肉付きのいい二つの御山が、おいらの目の前で左右にプリプリと……いひひアグッ!」

 渾身の蹴り飛ばしが顔面へとメリ込む!

 ガチの殺気を込めて!

「……先に行け」

「だから、アタシは後ろへ回ったんだよなぁ……」




 エンパイアステートビル三〇階──。

 隠密的な直通手段により、難無く辿り着いた。

 冴子達にしても少々肩透かしな展開であったが、この恩恵には素直に感謝する。

 アチラさんは〈ゲーム〉感覚だろうが、こちらはそうではない。

 早々に〈市長ベート〉をブチ殺したいというのもあるが、何よりもジュリザの命運が担保とされているのだから。

「とりあえず降りるしかないわな。このエレベーターは此処までだからな」と、イクトミ。

「後は?」

 冴子の質問に、軽い苦笑を浮かべる。

「バカ正直に進むしかないやな」

「ふぅん? で、デッド責めは?」

「おそらく、もう無いな。アレ・・が大量待機しているのは一〇階だ」

「一〇階自体が弾層だったってワケか……どのくらい、いたのよ?」

「フロア一杯いっぱいひしめくほどに」

「……うげぇ」

 さっさと昇って来て正解だ。

 仮に一〇階ドンピシャへ辿り着いた場合を想像すれば、ゾッとする。

「それに〈ベート〉にしても、あれは前座──余興だよ。これから本番・・が始まるってのに、わざわざ自分から楽しみをぐほど野暮ヤボじゃないだろ?」

「ま、確かに……ね」

 通路の先を見据える。

 並んで歩けるほどの幅ながらも一本道だ。

 機能的な無表情の壁には、照明灯がクリーンな鮮明を飾っていた。それがバトン渡しのように連なり、奥まった暗がりに潜む未知へと誘導している。

 かといって、選択肢はひとつだけだ。

 進むしかない。

「んじゃ、ま、頑張って?」と、手を挙げてきびすを返すイクトミ。

「はぁ? ちょっと! アンタだけ何処へ行こうってのよ!」

「オイラの本分は〝情報屋〟……戦闘・・じゃねぇや」

「だからってね!」

「放っておけよ、冴子」憤慨ふんがい寸前の冴子に、ラリィガの制止が割り込んだ。「そういうヤツ・・・・・・なんだよ、コイツは。自由じゆう気儘きままに行動する事で、雑多な情報を得るのさ」

「イヒヒヒ……さすがは既知の間柄、よく知ってるねぇ」

「けどさ? ちゃんと有益な情報は持って来てくれよ?」

「そりゃもう」

「出来れば〈ベート〉の情報……この決戦中に」

「そこまでは確約出来ねぇや。何せ〝情報〟ってのは、その場その場で得るものが違う。ま、頑張ってはみるがな?」

 そう言い残して、蜘蛛男は旋風つむじかぜと消えた。

 その様子を見届け、シュンカマニトゥは鼻の曇りを嗅ぎ確かめる。

(……アイツ?)

 目配せに〈犬神〉とやらを見れば、どうやら同じ違和感・・・・・を嗅ぎとっていたようだ。

(まさか……な)

 勘違いであってほしい──そう願いつつも、獣精トーテムは不確かな虚しさを噛み締めていた。

 そんな結果・・・・・けたい。




 有象無象の雑獣ザコゴミさばき、幾多いくたトラップを攻略して昇ってみれば、此所五〇階はフロア全体が吹き抜けの一間ひとまであった。

 右手一面は大判な硝子ガラス張りが連なり、向かいに建つビルの階層を唯一の景色としている。言うまでもなく狭間は車道幅の渓谷……まんいち、落ちたら一溜ひとたまりも無いのは明白だ。

 フロア全体は撤退事後のように閑散としており、デスクだ何だと彩る雑多は何も存在しない。ただ、タイル床だけが地平と広がる。後は要所要所に生える幹太い支柱だけだ。

 射す月光の仄暗ほのぐらさは奥行を闇にむが、一番奥の壁面には一際暗い四角のあぎとが開いていた。そこ・・が上階への出口とは悟れる。

 それ以外は視認不可能……さらなる情報を望むのであれば進むしかない。

 しかしながら、同時に冴子は悟るのであった。

 これまでの階層とは異なる、この室内の造りに……。

「いよいよ本番スタートってトコね」

 応えるかのように、照明が歓迎をともした!

 人工の昼が克明と照らす!

「くっ?」

 卒爾そつじと生じた明暗差に目がくらんだ!

「ようこそ〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉殿!」

 揚々たる歓迎を上辺と飾り、奥から歩み出て来る男の姿!

「俺は〝トレイシー〟……この〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉の幹部にして〈ブロンクス区長〉だ」

「ふぅん? 第一の刺客……ってトコね?」

「いいや? 最後・・の刺客だ」

「……へぇ?」

 たいした自信だ。

 此処で仕止める自信に他ならない。

 と、トレイシーは仰々ぎょうぎょうしい振る舞いに、一人舞台ひとりぶたいを興じ始める。

「レディィィス・アーーンド・ジェントルマン! 実に御待たせ致しました! いよいよ『最高のショータイム』の幕開けとなります!」

「何のつもり?」

「御聞きの通り『ショータイム』だ」

「ショータイム?」

 怪訝けげんを返した直後、外界に大歓声が涌いた!

 渓谷けいこくふもとの獣人勢からだ!

「……そういう事か」

 説明を受けずとも納得がいった。

「どういう事だよ? 冴子?」

「要するに、私達・・ほふられる様子を中継する見世物。入口いりぐちに新設した巨大モニターは、そういう事・・・・・よ。悪趣味な闘技場パンクラチオンってワケ」

「何だァ? そんな事をして、何の意味があるんだよ?」

「士気が上がる」

「士気?」

「そ。憎まれ役のアタシ達が無様に私刑リンチとされるさまを中継する事で、盟主〈ベート〉への崇敬と、その絶大な支配力への心酔はさらに強まる。つまりは〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉の結束力けっそくりょく自体が磐石化するって寸法よ……他勢力なんか比較にならないほどにね。ついでに言えば、此所〈エンパイアステートビル〉を選んだのも、そういう事・・・・・。これだけのビッグイベントをシンボリックな拠点で開催すれば、それだけ特別なはくとして高揚感が増す」

「アタシ等は宣伝材料か」

「ですね~★」

 口調くちょうこそおどけてみせたが、張り詰めた臨戦意識に油断は無い。

 トレイシーとやらへの警戒視は、一瞬たりとも外さなかった。

 忌々しい対戦相手が口角こうかくを上げる。

「さすがは〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉殿……推察力が高い」

「嬉しかないわよ」

「しかし……実に惜しいものだ」

「何がよ? 興味津々に、乙女の肢体を眺め回さないでくれる?」

「いや……両者共、容姿的には申し分がないのでね。こんな形でなければ、私専属の秘書に採用していたところだよ」

「願い下げ。どうせ飽きたら、摘まみ食い・・・・・でしょ? 文字通りの……」

 返事は無い……が、意味深なふくわらいは、そのまま返答だ。

「さて、では始めるかね?」

「ああ、その前に」

「何かね?」

「……教会、孤児、八人」

 鎌掛けに怪訝けげんが返ってきた。

「それは、東洋のおまじないか何かね?」

「……もう興味無いわ、アンタ・・・には」

「ふむ? 報告通り、負けん気は強いな」

 また・・だ!

 また違和感を覚える!

 報告?

「では、始めよう……血肉が躍る晩餐会ばんさんかいを!」

 揚々と宣言したブロンクス区長は、みずからの首筋に携帯注射器を刺した!

「な……何を?」

 戸惑う怪物抹殺者モンスタースレイヤー

 まったく予想外の行動であった!

 こんな変身プロセスは初めて見る!

「カァァァ……ッ!」

 苦悶とも興奮とも取れる吐気を呻き、骨肉を軋ませた変化が生じた!

 中肉中背であった肉体はメキメキと筋肉を膨張させ、あれよあれよという間に数倍の体躯へと変化していく!

「カ……ハァァァァァァアアーーーーッ!」

 隆起していく筋肉!

 軋み育つ骨!

 体毛は芦野と繁り表皮を覆う!

 みるみると変貌していく姿は、体高三メートル弱の巨人であった!

 だがしかし、いったい如何いかなる〈獣〉なのか?

 狼ではない!

 肉食獣でもない!

 爬虫類でも鳥類でも昆虫でもない!

 小山のような巨躯きょくと全身を覆う剛毛が〈獣人〉としての体裁を負わせているものの、いわゆる〈獣〉ではない!

 例えるなら──「猿人?」──率直な印象が冴子のくちかられた。

野人・・と呼んでもらいたいものだな」野性味溢れる粗暴面そぼうづらにらえに語る。獣性みなぎる相貌そうぼうながらも、その瞳は高い知性を維持したままであった。「魔薬〈スティーブンソンの涙〉は、大いなる発明だった。コイツのおかげで、オレは並の〈怪物〉を越えるちからを手に入れたのだからな!」

「スティーブンソンの涙?」

「無名の天才化学者〈フレデリック・スティーブンソン〉が開発した魔法薬──すなわち〈魔薬〉だ。この魔薬は理性を不安定化させ、倫理観念による抑制から人間の潜在感情を解放する……同時に身体能力も飛躍的に増強させるのだ! 超人レベルにな!」

「科学論者の立場で〈魔法薬〉作り? いっそ、錬金術師にでも鞍替くらがえすれば良かったのに……」

 挑発めいて構える銀銃!

「〈獣人〉ですらないでしょうに! 無節操な!」

「〈獣人〉だよ! 広義的にはな! 人間・・とて〝原始〟へ還れば〈〉だ!」

「原始人が……生憎あいにく、アンタとデートするほど安くはないの」

 勝ち気なうそぶきに引き金を引こうとした直後──「……アタシがやる」──ズイッと前へと進み出る霊獣の娘!

「ラリィガ?」

我に繋がる総てのものよミタクエ・オヤシン!」

 叫びを合図に生じる獣精〈シュンカマニトゥ〉の憑依!

 わずか数秒の骨肉音を軋ませ、少女は獣姫へと変貌した!

「ラリィガ……あなた、まさか一人ひとりで?」

今更いまさらだろ? オマエの露払つゆはらいなんて?」

 朗々と返す笑みは、獣性を帯びながらも本質は変わらない。

「寝覚めが悪い!」

 冴子の語気を涼しく流して、気高き意思は悠々と前へ進み出る。

 と、前哨に肩越しの苦笑を向けた。

「先に行ってろ。後から行く」

 瞳に交わす疎通そつう

 なればこそ、夜神冴子は頷いた。

 噛み締めるかのように……。

「……勝手に押し掛けといて、勝手にくたばるんじゃないわよ。アンタは、私の相棒どうぐなんだから」

「オマエこそ、抜け駆けに〈ベート〉を倒すなよ? アタシだって一撃いちげきくれてやりたいんだからな」

「アハハ ♪  約束できな~い★」

「……ったく」

 そして、駆け出す!

 威圧感が門番と死守する背後へ!

「みすみす行かせると思うかァァァーーーーッ!」

 振り被る巨拳!

 さりとも、瞬発力を殺さない!

 むしろ加速だ!

 数秒の勝負!

 コンマの迷いは〝死〟へ直結する!

「消えろ! 都市伝説がァァァーーーーッ!」

 叩き下ろされる!

 当たりはしない!

 吹っ飛ばされたのは、野人の巨体!

「何ッ? ガハッ!」

 刹那に憑霊ひょうれい獣姫じゅうきが間合いを詰めていた!

 その拳が守る!

 相棒を!

 親友を!

「アタシが相手だって言ってんだろ?」

 晴れやかな挑発を向けつつも、冴子の背中を一瞥いちべつに見送った。

 もう出口をくぐる。

 大丈夫だ。

「ヌゥゥ……ネイティブの獣か!」

インディアン・・・・・・って呼べよ」

 ける呪視を、涼しい余裕に流す。

「プッ……クフフ……」

 不意に野人がふくわらった。

「何だよ?」

「いや、実に短絡で愚かしい……とな」

「何が?」

「この俺をやり過ごせば、安全だとでも? 違うな……俺ごときに臆するような弱者が〈獣妃ベート〉にかなうはずもなかろう! してや、これから先にもトラップは待ち受ける! 脆弱な〝人間〟の小娘など、辿り着く前にジ・エンドだ!」

「平気だろ」

「な……何ッ?」

 思わず面喰らう。

 無理もない。

 返すラリィガの抑揚は、まったく気負わぬ自然体であったのだから。

「オマエを無視させたのは、余計な疲弊を極力けるため。別に〈ベート〉を怖れちゃいない……アタシも冴子も。っていうか、冴子なんか逆じゃないのか? さっさと撃ち殺したくてウズウズしている」

「刺客は俺だけではないぞ! トラップとて!」

「だ~か~らぁ~! 平気だって言ってんだろ? アイツ〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉だぞ?」

「それが何だと言う! たかが〝人間〟ではないか!」

「その〝人間・・〟が、闇暦あんれきの混沌を生き残ってきた」

「ッ!」

「ただ生き残ってきたんじゃない……数多あまたの〈怪物〉を相手取って生き延びた……そして、闇暦あんれきの〈都市伝説〉と化した…………」

 冷静な分析を指摘され、改めて気付く……その異質・・さに!

「な……何なのだ? 何なのだ! アイツ・・・は!」

 ようやく芽生えた危険視に、トレイシーは吠えた!

 その焦燥にラリィガは、またも気負わず答えるのだ。

「ん~? 手に余る意固地屋……かな?」

 そして、麗獣は胸元で両拳りょうこぶしをガシリと叩き合わせる!

「さて……んじゃ、始めるか?」




 冴子は上る。

 悪意の障害を乗り越え、立ちはだかる獣群ザコを撃ち崩し、ひたすらに上階を目指す。

 六十七階──武装集団のバリケードが、一斉にライフルを向けた。

 獣人でありながらも持ち前の変身体質に依存するではなく、人間形態での武装にて排斥を試みるようだ。

「ふぅん? 遠距離間合いには遠距離間合い……って?」

 水平の猛雨と降り注ぐ鉛弾が、耳をつんざく蜂鳥の群と鳴き狂う!

 即座に曲がり角の壁を防弾壁と利用しつつ、冴子は分析を巡らせた。

「奇策ね。だけど、まぁ……納得はいくわ。人間形態でなければ〝防弾ジャケット〟を始めとした武装は扱えないものね」

 身を隠す鋭角は、徐々にチーズのごとかじられていく。

 さりながら〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉に焦燥の色は浮かばなかった。

 ただ、渋りに決断を定めるだけだ。

「ホントは勿体ないけどなぁ……でも、条件的にはドンピシャだし……」

 ポケットのブツを軽く触り、しばし思案する。

 ややあって「よし!」と、清水の舞台から飛び下りた。

 敵勢眼前へと投げ転がす秘匿物ひとくぶつ

 それ・・を視認した途端とたん、武装集団から一斉に恐怖が昇り立つ!

「しゅ……手榴弾しゅりゅうだんッ?」

「ううん? 芳香剤ほうこうざい★」

 冴子の返答を起爆コードとしたかのように、足下の異物は爆発に成分を拡散した!

 至近爆発のダメージも去る事ながら、真に恐るるべきはその主成分!

「ガァァ……ガハッ!」「ガフッ! ガフッ! ゲボッ!」

 次々と激しい嘔吐おうとに喘ぎ苦しみ──ほどなくして沈黙した。

 一匹・・残らずに……。

 死屍累々ししるいるいと折り崩れた事後に、白朴と流れる美脚が姿を現す。

「せめて〝獣化〟して死んでくれないかなぁ? ……後味悪いわ」

 彼等にとって猛毒と調合された成分も、人間・・には然程さほどではない。

 そういう風・・・・・に調合したのもあるが、そもそも主体としたのは根毒ではなく〝因果性〟だ。

「〝狼の破滅wolfsbane〟……ね」

 改めて戦果を見渡す眼差まなざし。

 どうやら伝承通りに威力は絶大なようだ。

 実践的に使ったのは、初めてであるが……。

「ま、全員〈人狼〉でラッキーだったわ」

 淡白に言い残して先へと進む。

 実際のところ、他の〈獣人〉に効果があるかは不明だ。試した事はない。

 仮に生き残っていても撃ち殺していたが、残弾の無駄遣いになる。

 ラッキーであった。




 エンパイアステートビル八〇階──。

 またも、あの構造・・・・だ。

 五〇階フロアと同じ……。

 とすれば、否応なく察しはつく。

 そうでなくとも、待ち構えるかのように佇んでいた──一人ひとり

 黒いドレスの美女だ。

 漆黒の肩掛けショールを羽織り、陰のある美貌がさながら喪服のような印象に染めている。

「ようこそ……と、歓待すべきかしらね? 本当は来てほしくなかったのだけれど……」

「そりゃゴメ~ン★」

 明るく茶化す警戒視。

 相手が眉根に含むのは、動揺でも憤慨でもなく純粋な軽蔑のようだ。

 毒気の挑発が失敗したから……というワケではないが、自然と冴子の抑揚も真剣な臨戦意識へと返る。

「で? どちらさん・・・・・よ?」

「……ブルックリン区長〝スターシャ〟」

「ああ、アンタが?」

「知っているの?」

 今度は露骨な怪訝けげんであった。

「ま……ね」と、冴子は肩をすくめて苦笑にがわらう。いまさらだが〈幹部〉に関する主だった情報は、事前に〈クイーンズ区長〉から聞き出している。

「アンタが〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉のナンバー2でしょ?」

「どうかしら? そんな自覚は無いけれど?」

「謙虚ね?」

「興味無いもの」

「賢明だわ」

 そうした肩書に酔わぬという事は、慢心溺まんしんおぼれの油断とも無縁という事だ。

 敵としてはにくい。

貴女あなたの武勇は聞き及んでいたわよ……夜神冴子」

「へぇ? よく知ってたわね?」

「闇暦の都市伝説ですもの」

「ところで──」

「何かしら?」

「──教会、孤児、八人」

「何? それ?」

「……またか」

 さすがに肩透かしを覚える。

 此処までの展開から、てっきり〈幹部〉の誰か・・とも勘繰かんぐっていたのだが……。

 いったい〝獲物〟は何処に潜む?

「じゃあ、始める?」と、美しき刺客は氷の微笑をたずさえる。

「性急ね」

「実の無い話は好きじゃないの」

 簡潔に告げて、スターシャは肩掛けのショールを投げ捨てた。

 それを合図に消える室内照明。

 一斉に下ろされるブラインド。

 閉ざされる月光。

 そして、闇が生まれる……。



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