潜む牙 Chapter.4

 夜のとばりが下り、世界は見慣れた闇と染まった。

 天空の黄色い単眼が、よくマッチする悪夢的情景だ。

 クイーンズ西南に位置する名所〈フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク〉──。

 ニューヨークシティ全体で、三番目に大きな規模を誇る巨大公園だ。国道〈グランド・セントラル・パークウェイ〉をまたいで存在しているのだから、その広大さは推して知るべし。此処だけでも数区画分程度の広さは優にある。

 公園内中核に鎮座する半壊形状の地球儀は〈ユニスフィア〉と呼ばれるシンボリックオブジェ。約三十六メートルもの円周が、殊更ことさらに特異な存在感を示した。まるで天空の黒月こくげつついだ。

 その他、旧暦時代には『全米オープンテニス大会』の会場として名高かった〈USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター〉も、此所の敷地内に存在する。

 旧暦一九三九年と一九六四年の二回に渡って『万国博覧会』の会場に選ばれた偉業にも在った──闇暦あんれきでは何の威光もさないが。

 ともあれ、軽く別空間と機能するほどに広い。

 北方向と東西方向に枝分かれ分岐した〈グランド・セントラル・パークウェイ〉を、敷地内で縦断に挟んだ西方向には〈クイーンズ動物園〉が設けられている……いや「いた・・」と言うべきか。

 闇暦あんれき現在では、とっくに廃止されていた。

 当然である。

 そんな娯楽を人間に残してくれる〈怪物〉などいるはずもない。

 してや、ニューヨークを支配するのは〈獣人〉の群勢だ。

 獣を見世物と飼育する施設が面白いはずもない。

 領地支配が及ぶやいなや、真っ先に解体されたのは当然の流れである。

 そして、その跡地には新たな建築物が陣取っていた。

 無機質なコンクリートで形成された無愛想な灰壁。飾り気も洒落っ気も皆無な機能感だけが外面をいろどりながらも、目算一〇メートルはあるであろう高さは威風にそびえる。

 この構築が周囲延々と続いていた。

 動物園敷地の中核と据えられているのだから、とにかく規模は駄々広い。ちょっとした城塞に見えない事もない。

 クイーンズ新区役所──つまりは〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉幹部たる〈クイーンズ区長〉が根城と構える拠点である。

 無論、区長だけではない。

 彼女配下の〈獣人〉が雑多に勤務している。

 早い話が〝巣窟〟だ。

 例え、呼び名を虚栄に飾ろうとも、本質は摩り替えられない。

 その区長室は、最上階一画に設けられている。

「ふぅ……意外と処理があるわね」

 デスクに積まれた書類を疎ましさに一瞥いちべつし、クイーンズ区長〝アナンダ〟は眼精疲労をねぎらった。

 黒い長髪が似合う美女で、やや凹凸おうとつに乏しい顔立ちからはアジア系の匂いが漂う。一見にはしとやかつインテリジェンスな印象にあった。到底、野卑な〈獣人〉とは想像も出来ない。

 区長室の内装は、彼女の背後に大きなまど硝子ガラスが有るだけで閉塞的だ。身分相応の値を張るインテリアで飾り立てているものの、ぜいを誇示する低俗な派手さにはない。

「近隣諸国の牽制と動向注視・区民たる〈獣人〉の定期的食料確保政策・旧暦建築物の増強と淘汰・対デッド防壁の拡張計画──これら総て見積りして政策方針を定めねばならないなんて……まったく、旧暦の政人でもあるまいし」

 とは言え、こなさねばなるまい。

 マンハッタンからの市長指示は絶対だ。

 同時に、盟主命令でもあるのだから。

「ホント、管理職は大変ね? いつの時代も」

 唐突として向けられる空々しい同情!

 自分以外には居ないはずの部屋に……だ!

「だ……誰っ?」

 得体知れない焦燥に正体を探り追う!

 だが、必死になるまでもなく居場所を見定めた。

 雲間から射す青暗い月明かりが、それ・・を浮き上がらせる。

 正面の接客用ソファだ。

 深く背凭せもたれながらに腰掛けていたのは、フォーマルスーツ姿の若い女性。

 特に気構える様子も無く、余裕をはらんだリラックスをかましている。卓上にあるウィスキーを勝手にたしなみつつ……。

「ハァーイ★」

 発見されるのを待っていたとばかりに、彼女は顔脇でウイスキーグラスを揺らした。かちわり氷をカランと鳴り奏でる。

「アニスの情報ドンピシャ。聞き出してなかったら、旧区役所へ向かっていたところだったわ。うん、今更ながら〝聞き込み〟って大事 ♪ 」

 意味不明な自己納得をさかな一口ひとくちふくむと、不審者は左壁一面に据えられた棚を眺めた。

 そこにはウイスキーボトルがズラリと陳列されている。

「にしても、ずいぶん良い酒を揃えてるわね? ザッと五〇本程度? コレクター? ま、管理職はストレスも多い……か」

 ひとり納得にグラスを飲み干す。

 まったくもって不敵な態度であった。

 そこには自信めいた余裕しか浮かんでいない。

 だから、アナンダは軽く慄然を覚えるのだ!

 いつからいた?

 何処から来た?

 何故、そんなにも不敵で構えていられる?

 目的は何だ?

 そして、何者・・だ?

「な……何なの! 貴女あなたは!」

「〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉──知らない?」

「じゃ……じゃあ、貴女あなたが!」

「そ★」

 おちゃめなウィンクで簡潔に肯定。

「無差別殺戮者……我等〈怪物〉の天敵・夜神冴子!」

「……嬉しくない讚美ね」

 一転して不服な憮然面ぶぜんづら

 よもや〈人喰い怪物モンスター〉から揶揄蔑称されるとは思ってもいなかった。

「ど……何処から?」

「下がダメなら、上からってね」

「屋上から? この高さで、どうやって?」

「企業秘密です」と、温顔にっこり。

 実際のところ、それこそ〈戌守いぬもりさま〉頼りだ。

 職業柄、運動神経には常人越えした自信がある。

 塀や壁を伝って内部潜入する事自体は造作も無い。

 事実、幾度となく暗殺もこなしてきた。

 が、こうした拠点で一番厄介なのは〝発見される事〟である。

 これだけは細心の注意を払って回避せねばならない。

 例え雑兵ザコ一人ひとり足りとも……だ。

 仮に発見されようものなら、あれよあれよと銃弾交える大混戦へと発展する事は必至だ。

 隠密行動どころではない。

 だから、この大事は〈戌守いぬもりさま〉に御願いして、屋上まで一気に飛ばせて・・・・もらった。

 さすがに長時間飛行は無理だが、瞬間的な跳躍飛行程度なら可能だ。冴子自身に視認は出来ないが、さながら〝浮遊オーラをまとった感覚〟か。少なくとも〈戌守いぬもりさま〉が身体を包み込んだ感覚だけは感じる・・・

 種を明かせば、例の『ヘリコプター墜落バンジー』で無事だったのもこの手・・・るものであった。でもなければ、あれだけの大惨事から無傷で生き延びられようはずもない。

 して酔えもしなかったグラスをコトリと卓上へ置くと、冴子は静かなる戦意を帯びた抑揚で交渉を切り出した。

 交渉?

 いな、違う──これは命令・・だ!

「あなたが、現クイーンズ区長〝アナンダ〟でしょ?」

「だ……だったら、何!」

「だったら、洗いざらい喋ってもらうわ──組織の実態──盟主の正体──そして〈獣〉と思わしき容疑者────」

「〈獣〉?」

「……教会、孤児、八人」

「何の事!」

「あ、知らないんだ? だったら、いいわ。あなたは情報供述してくれるだけで。白羽の矢は、こちらで立てるから」

 ふところから銀の銃口じゅうこうを抜き構え、冷淡が宣告する!

「ぶっちゃけ、誰でもいいし」

 そう、誰でもいいのだ。

 適当な石を投げ込んで、大きな波紋を立てられれば……。

 行動・・さえ起こせば、少なくとも停滞していた状況に進展の流れは働き掛ける。

 それが〝アタリ〟か〝ハズレ〟かは別としても……。

 だから、誰でもいい・・・・・

 仮に〝アタリ〟なら、一石二鳥だ。

「クッ!」

 絶体絶命を観念したか、女性区長ターゲットは戦闘意思を固めた!

 変身!

「くふぅ……フッ……フッ……ぁぁぁああっ!」

 苦悶にのたうちながら肢体が痙攣を踊る!

 波打ちにひずむ肉!

 はだけていく裸身!

 そして、変質に包んでいく表皮!

「……エロいんだかグロいんだか分かりゃしないわね」

 うんざりとこぼしながらも、起立に身構えて律儀に待つ事とした。

 別に撃ってもいいが、さすがに卑怯者みたいで気は引ける。さすがは『武士道』の国民性だ──と、軽く自虐。

 何よりも正体を見極めたい安い好奇心もあった。

 はたしてメキメキと変貌をげた姿は、醜怪しゅうかい極まりない異形!

 全身をびっしりとおおめる緑鱗!

 目鼻の凹凸おうとつが退化した平面顔は剥き出しに鋭歯を噛み締め、大きく見開かれた目は人間のそれ・・とは異なり顔半分をギョロリと占めている。感情乗らぬ瞳はわずかな共感をも排除し、ただひたすらに生理的嫌悪感を刺激した。

蜥蜴人間リザードマン? いや〈蛇女〉か……あるいは〈爬虫人間レプタイル〉と呼ぶべきかしらね?」

 冴子が、そう皮肉をくくるのも当然だろう。

 その醜怪しゅうかいな容貌は〝蛇〟と呼ぶには異質過ぎる。

 とりあえず下半身の蛇体だけが〝蛇〟としての体裁を主張しているが……。

「ハズレ……か」

 捜しているのは〝狼〟だ。

 爬虫類ではない。

「シュロロロロ……」

 長い黒髪を振り乱して、爬虫類ヅラが威嚇を向ける。

 チロチロと小飼動物のように踊る割れ舌。

 なまじい、頭髪のような人間的要素が残るだけに、グロテスクさには拍車が掛かった。

「って言うか、話せるんでしょうね? 会話が成立しないんじゃ無駄足だけど?」

 いささか不安になる。

夜神ヨガミ冴子サエコ……」

「あ、喋れた。うん、それならオーケー ♪  オーケー ♪ 」

 一般人なら悲鳴を上げて逃げ出すであろうおぞましさでありながらも、冴子はまったく動じていなかった。

 慣れたものである。

 あるいは、場数に慣らされた。

ムベキ暗殺者アンサツシャ──幾多イクタモノ〈怪物カイブツ〉ガ、貴女アナタニヨッテホウムラレテキタ」

「嫁入り前の娘を〈怪物〉みたいに言わないでくれる?」

 両手構えの銀銃をチャキリと引き締める。

 いつ発砲しても良いように。

「ケレド、イツモトオナジトオモワナイコトネ。此処ココハ〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉ノ領地リョウチ……他国タコクノヨウナ矮小勢力ワイショウセイリョクトハチガウ。貴女アナタゴトキ、巨竜キョリュウ足掻アガ蟷螂トウロウオノギナイ」

饒舌じょうぜつな爬虫類ね? かしこぎて〝レッドスネーク〟もビックリだわ」

「……ナニ?」

「知らない? 旧暦のお笑い芸人さん★」

 低俗な挑発をウィンクで締める。

「シャアアアァァァーーーーッ!」

 露骨な侮蔑と捕らえたか、蛇女の方から口火くちびを切った!

 地滑りに怒濤どとうと化す蛇体!

 下半身は止めどない圧に上半身を押し出す!

 剥き出す毒牙!

 迫り来る鋭爪!

 発砲!

 同時に冴子は後方跳躍に間合いを開く!

 刹那、対応を取ったのは彼女だけではない!

 アナンダもまた、直角に上体の軌道を逸らして回避した!

 再び距離を置いた反目が火花を散らす!

無意味ムイミコトヲ……銃弾ジュウダンナドナン意味イミサナイワ。我等ワレラ獣人ジュウジン〉ニハ!」

「あら、そう? コレ、銀弾・・よ?」

「ナラバ、相手アイテワルカッタワネ……ワタシハ〈狼男ウルフマン〉ジャナイ!」

「ふぅん? 試してみる?」

無知過ムチスギルッ!」

 しだれ襲い来る!

 が、臆する事もなく〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉は構えるのだ!

どっち・・・が!」

 火を噴く銃口じゅうこう

 銀光の弾丸が右肩をつらぬいた!

「ガァァァアアアアアーーーーッ?」

 激痛が蛇怪へと刻まれる!

 さらに左腕への射撃!

 たまらぬ苦悶にぬめる緑は暴れ狂った!

 八つ当たりにも似た錯乱が、高価なインテリアを容赦無く破壊していく!

「ついでに、オマケ」

 下半身の腿部を狙い撃つ!

 四発だ!

 何処が〝腿〟なのかは知らないが。

「ィギヒィィィイイーーーーッ!」

 あまりの拷問に、もはや直立さえも維持出来なかった!

 転げのたうつ物体は、確かに〝蛇〟そのものに映る。

 さながら〝断末魔にくねる蛇〟だ。

 気色悪い。

「あなた、喰らった事無いでしょう? だから〝銀弾は〈人狼〉の弱点〟と思い込んでいた。それこそ〝先入観〟ね。生憎あいにく〈銀弾〉は、総ての〈獣人〉に有効打なの……何故か解る?」

「ガアァァ……ッ!」

 無様な苦悶が暴れる。

 興味は無い。

 処刑の銃口じゅうこうは、微塵の感慨すらもいだかぬまま講釈を続けた。

「古来より〈銀〉は、ギリシア神話にける月の女神〈アルテミス〉の属性金属。そして〈アルテミス〉のもうひとつの顔は〈狩猟の女神〉──あらゆる動物に絶対的な支配力しはいりょくを持つのよ。だから〈獣人〉は〈満月〉から狂気ルナティックを感受して、高揚に変身する。逆を言えば〈アルテミス〉の神性にはあらがえない。ま、要は〈吸血鬼ヴァンパイア〉に対する〈十字架〉みたいなものよね」

「グゥゥ……夜神ヨガミ冴子サエコッ!」

 処刑人を睨み据える蛇怪。

 激痛は強靭な敵意で抑え込む。

 なるほど、我が身をもって思い知った──何故、たかだか〝人間の女〟ごときが闇暦あんれき支配層たる〈怪物〉達から危険視されるのかを。

 闇暦あんれきには稀有けうな〈神のちから〉──いな、もはや現世魔界には存在せぬと言ってもいい──それを、この女は有している。

 そして、それを〈牙〉として行使できる。

 おのれの〈牙〉として〈怪物〉へと向けている。

 仇敵たる〈神〉の喪失に歓喜の胡座あぐらを掻いていた〈怪物〉にしてみれば、これは看過出来ない危険分子だ!

 殊更ことさら牙爪獣群ユニヴァルグ〉にしてみれば!

 だから、蛇女アナンダは強く確信するのだ!

 仕止めねばならない・・・・・・・・・

「シャアーーーーッ!」

 奇声を吐いて、再び躍りそびえる蛇体!

 昇龍よろしくの立ち上ぼりではあるが、その姿は禍々まがまがしくも低俗だ。

「爬虫類はタフね」

 上から睨む邪視へと、動じぬ銃口じゅうこうを返す。

 緑鱗りょくりん巨槍きょそうが突進して来た!

 火を噴く!

 一発!

 眼前で交差した鱗腕りんわんを犠牲と防ぐ!

 肉をつらぬくも勢いは死なぬ!

 動揺が命取りになると知ればこそ、アナンダは〝痛み〟を殺せた!

 続けて二発目──「ッ?」──引き金の空鳴き!

 弾丸たま切れだ!

「チィ!」

 即座に横跳びで距離を置く冴子!

 間一髪、先程まで居た場所が爆噴に破壊されていた。

 緑の大樹による体当りまがいの特攻!

 ゾッとする破壊力ではあった。

「そっか……下半身に四発ブチ込んでいたわね。まさに無駄弾・・・を消費していたわ」

 少しばかり軽率さを悔いる。

 もっとも、復活するとは思っていなかった……そのため駄目押し・・・・だったのだから。

「普通は、銀弾八発もあれば勝敗ケリがつくけどね」

 巨大な蛇体が残骸をき乱して体勢を立て直す。

 ユラリと獲物へ振り向く異影は、立場逆転の好機を噛み締めていた。

(装填の時間を……みすみす待ってはくれないでしょうね)

 チラリと横目に盗み見るのは、少しばかり離れた位置に在る事務用デスク。アナンダ区長殿の愛席だ。威厳ゆえか、思ったよりも大きくガッチリした造りではある。

(数秒ののうには使えるか……気休め程度だけど)

 だが、はてさて、どのように実践するか?

 緊迫張り詰める対峙には、わずかな状況変化も起爆剤となるだろう。

 動けば襲い来る。

 が、動かなくても、いずれは襲い来る。

 反目の牽制にれた。

(あー……蛙の気分が分かるわ)

 自虐の軽口かるぐちを巡らせると、冴子は決断を下す!

 物陰目掛けた跳躍!

 やはり! 間髪入れずに大蛇が石火と迫った!

戌守いぬもりさま!」

 叫び呼ぶ守護!

 尽力及ばぬ時は、素直にすがれば善い。

 真っ直ぐに向いた〈信仰〉には応えてくれる。

 それが〈神〉と〝人間ひと〟の付き合い方だ。

 不可視の爪が舞う!

 卑しい鱗体りんたいを斬り刻む!

「ガアァァァーーーーッ?」

 突如として襲い狂う鎌鼬現象に、蛇怪は翻弄ほんろうされるがまま立ち尽くす!

ナニ? コレ・・ハ! ダレルトイウノ!」

 鋭利な渦中へと囚われた蛇身が赤霧を散らしまくった!

 不快に鼻腔を突く血臭の拡散!

 次々と四方八方から、見えぬ牙爪がそうが切り刻む!

 が、さすがに〈幹部ランク〉は伊達ではない。

 遅々ながらも傷口きずぐちは治癒効力を見せていた。

 切り刻む!

 治癒!

 噛み裂く!

 回復!

 キリがない!

 並の〈獣人〉ならば、すべも無くほふられていた。

 しかしながら、やはり〈幹部ランク〉は〝特別な存在〟と呼べるだろう。

 有象無象の〈獣人〉が結集した〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉にいて、有無を言わさず君臨出来るのも納得だ。

 だから、しもの〈犬神〉も思うのだ──口惜くちおしいが、やはり〈霊体〉では物質的介入には限界がある!

 ならば、トドメは〈夜神冴子〉でなければならない!

 神秘なる銀銃ルナコートでなければ!

 身を隠した冴子は、即座に空薬莢からやっきょうを処理した!

 グリップ底部から引き抜いた装填用弾層マガジンと入れ換えに、懐中から取り出した新たな装填用弾層マガジンをセットする!

 数秒の時間勝負!

「御待たせ!」

 掛ける言葉は〈犬神〉か〈敵〉か。

 銃を構えた上半身が、卓の陰から姿を現した!

 定める照準!

 直後、背後の窓硝子まどガラスが噴き弾けた!

「ぅぐっ! な……何?」

 背に浴びせられる風圧に、射撃の構えが無駄に帰す!

 つぶてと吹き乱れる硝子ガラス吹雪ふぶきあらがいながらも、冴子は予期せぬ状況へと対応意識を切り換えていた。

(まさか護衛が駆け付けた?)

 一瞬、焦燥を覚える!

 さすがに多勢の〈獣人〉を相手取るのは避けたい!

 だからこその暗殺潜入だったのが、これでは水泡ではないか!

 やはり──冴子の危惧通りに、黒い影が突入して来た!

 月の逆光で潰されたシルエットは、それでも逆立つ体毛を刻んでいる!

 着地の余韻に上げた顔には、爛々とした赤い目が攻撃性を灯す!

(クッ! どっちを?)

 刹那の迷いが生じる!

 前門の蛇か!

 後門の新手か!

 即座に愛銃を構える!

 思考よりも本能が示したのは、新たなる介入者!

 が──「え?」──当の獣影じゅうえいは〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉には目もくれず、渾身の瞬発力で横を素通りした!

「オオオォォォーーーーッ!」

 繰り出す拳が打ち抜くのは、このクイーンズの区長!

「ガハッ?」

 予期せぬ奇襲に横っ面を殴り抜かれ、アナンダは吹っ飛ばされる!

 後方の壁に叩き付けられる蛇体!

 ガラガラとクレーター痕から剥がれるかのように、床へと崩れ落ちた!

「な……何?」

 まったく想定していなかった予想外イレギュラーな展開には、さすがの〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉も困惑を隠せない。

 コイツ・・・は……はたして〈敵〉か〈味方〉か?

 やがて射し込む月明かりが空気を鎮め、対象の容貌を克明にさらし出す。

 少女であった。

 大きな房に束ねた揉み上げが特徴的な〈獣人少女〉だ。

 さりとも、これまで見てきた〈獣人〉と異なるのは、その体毛が部位的に分けられている点か。

 胴体・前腕部・脛部・手足……要所には獣特有の濃毛が覆い生えている。だが、上腕や太腿といった箇所には、瑞々しい褐色肌が健康的な色花にのぞいていた。

 頭部にしても毛量が野性味任せに荒れ伸びてはいるものの、可愛らしい少女顔は素の状態を極力維持してき出されている。獣性を帯びながらも〝獣面けものヅラ〟ではない。

 そうした構成要素のせいで、あたかも〈獣毛の部分鎧〉のようにさえ映った。

 しかしながら、冴子は注視に見定めるのだ。

 大きく立った獣耳と、鋭角ながらもフサフサと実った尻尾──間違いない!

「……〝狼〟!」

 達成感にも似た高揚が〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉に微笑びしょうふくませる!

 ようやく出会えた!

 目的の〈獣〉と!



 夜神冴子とラリィガの邂逅かいこうは、不幸な幸運であった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る