潜む牙 Chapter.2
アメリカ・ダゴタ州──。
かつては文明都市の一端と栄えたこの地は、
見渡す限り茫漠たる荒野が拓け、西欧人種によってもたらされた
元来、この地に根を張る〈
単に混乱の光景だけならば、他国同様に〈怪物〉による暴虐と変わらないだろう。
さりながら、理念が異なる。
そもそもが、
白人によって蹂躙された故郷を奪還したに過ぎない。
そう、これは
こうして回帰的大自然が情景として闇の世界に蘇った。
雄大と
慢性的な墨空が支配する現世魔界に
しかし、この少女の瞳には旧暦と変わらぬ鮮明さと映えた。
荒涼たる強風が吹き昇る。
大自然の息吹が、黒房に束ねたもみあげを梳き撫でた。
仲間はいない。
家族もいない。
遠き時代のうねりに消えた。
たった
勇敢にして誇り高きアメリカン・インディアン〈スー族〉の少女──それが、彼女〝ラリィガ〟であった。
「よぉ、ラリィガ」
不意の呼び掛けにも振り返らず、少女は背後の相手を察知する。
「シュンカマニトゥ? 何?」
「まぁた飽きずに夜空なんざを見上げてよぉ……」
呆れながらにシュンカマニトゥは脇へと歩み添う。
四足獣であった。
コヨーテだ。
しかしながら、その内面は違う。
姿形は寸分狂わず動物の〝コヨーテ〟ながらも、人間同様の知性と心を宿している。
スー族──
いずれにせよ〈
「
ラリィガに
「アレもか?」
「うん?」
ラリィガが指差す先を注視する。
巨大な単眼を据えた黒い月が居た。
「ああ、
「だろうね」
「ある意味、アレも〈
ラリィガは旧暦時代の情景を知らない。
それでも、あの不条理は異質に感じていた。
理由も自覚できぬ漠然とした感想だが、何故だが忌々しく憎々しい。無粋な叙情壊しだ。
「ろくに陽も射さないんじゃ〈
雄大と広がる荒野には一条の川が青く流れる。その生命源へと
おそらく〈
さすがに〈聖域〉だ。
その果てから黒い侵食が遅々と近付いて来るのが見えた。
ニューヨークからの侵攻であった。
その名は〈
「来たね」
動揺すら見せずに平静然と受け止めるラリィガ。
と、突然、明後日の方向から、慌てふためいた男が降って来た!
「おい、大変だぜ! また〈
「もう見えてるよ」
少女は関心薄く簡潔に応えた。
敵影を眺めたまま振り向きもしない。
「ありゃ? こりゃまた……オイラの〈伝令役〉としての面子が、まる潰れだな」
小柄な〈アメリカン・インディアン〉の男であった。
とはいえ〝人間〟ではない。
風采を見れば明らかだ。
その背中からは、八本の〝蜘蛛の脚〟が生えているのだから。
彼もまた〈アメリカン・インディアン〉に広く伝わる存在であった。
名を〈イクトミ〉と
そのまま〈蜘蛛〉の意だ。
旧暦時代から、部族間を
臆病で、滑稽で、弱い。
おまけに好色ときたものだ。
いま現在とて、熱い欲情が生足に注がれているのをラリィガは感じている。
薄ら寒い生理的嫌悪。
いつもなら蹴り飛ばしている。
今回は遊んでいる余裕が無いだけだ。
「ったく、しつけぇな……毎回毎回、遠路遙々と。
襲来を見据えるシュンカマニトゥが、
ニューヨークとダコタの距離は、決して近くはない。
その間には、ペンシルヴァニア州・オハイオ州・イリノイ州・アイオワ州……等々の他州が密集に
にも
その事実が物語るのは二点──。
ひとつは、他国と
もうひとつは……そこまでして固執する目的と価値を見出しているという事だ。
それを、彼女──ラリィガは
「行くよ! シュンカマニトゥ!」
「あいよ!」
腰から下げた片手戦斧を手にすると、少女は臆せずに跳んだ!
標高二〇メートルはあろうかという断崖絶壁を!
すかさず後追いに跳ぶ獣!
ただ
正面から叩きつける風圧!
息さえ詰まる暴風に
「
部族に伝わる教義を叫んだ!
それは、森羅万象との
「シュンカマニトゥ!」
凛たる指示に応えるが
そして、少女の
メキメキと骨身が軋み、
微々と膨れ上がる体格は、
ザワザワと生え繁る黒き体毛──
獣性を露呈する相貌!
着地までの数秒で変身は完了する!
巨弾と地表を
地平の先を睨み据える鬼気!
敵は
だが、
正面突撃の奇襲!
単獣と群獣の入り乱れる
決着は一時間程度か。
荒涼と吹き荒ぶ風に、ラリィガは戦意の高揚を鎮めた。
その
やがて、ひょこひょこと合流した臆病者は「うへぇ? こりゃスゲェや!」と驚嘆を染めた。
地平の見通しに拓けた大地は、血肉の散乱に汚されている。
「心配
「いや、そいつよりも……オイラが驚いてるのは、その強さだよ。よくも嬢ちゃん
「主力は見定めたからね。そいつらから真っ先に叩き潰していった」
「主力を?」
「いくら大群勢って言っても、実質に〝核〟と機能するのは数人の主戦力だ。そいつらを
毎度定石としている彼女特有の戦術だ。
事実、圧倒的な強さの前に〈
そもそも、ラリィガと彼等では格が違う。
神たる
が、根本的に違うのだ。
何故ならば……。
「今宵は、随分と容赦なく叩き伏せましたね」
穏やかな声音に
大きなパイプで紫煙を
取り立てて意表は突かれない。
「やあ」と、フランクな挨拶だけでいい。
そういう関係だ。
「
軽く惨劇痕を見渡し、黒髪美女は
優麗とした物腰に〈
「まぁね……コイツら、しつこいから飽きてきた」
「確かに。襲撃期間が短くはなってきていますね」
「前回は二日前だ。最初の頃は一週間に一度程度だったが、段々短くなってきてやがる。ラリィガじゃなくても
「あのよ? オイラ、思うんだが……」
「ニューヨークへ……ですか?」
粛然とした麗女の確認に、若干の畏縮を
「真っ向から〈
「このままじゃ終わりが見えねぇ……最悪ならジリ貧だよ。その疲弊を突かれたら、それこそ隣接する〈ミネソタ州〉や〈アイオワ州〉からも侵攻されるかもしれないだろ?」
白野牛の淑女は「フム?」と思案を巡らせた。確かに
だが……。
「その間、この〈ダコタ〉はガラ空きになりますが? それこそ隣国勢の好機となるのでは?」
「おっと……別に全軍で攻め入るってワケじゃない。少数精鋭ってヤツだ」
何を
「ラリィガ……ですか」
「さっきの戦いで、嬢ちゃんは言っていた──大群勢と言っても、実質に〝核〟と機能する戦士を
要するに、この〝スー族の少女〟を刺客として送り込み、ボスや幹部のみを狙うという奇策──つまりは〝要人暗殺〟だ。
「ねえ、バッフィー?」
ラリィガの気が置けない呼び方に、黒髪美女は微々と淡い苦笑を
そうでもなければ、落雷で黒焦げにしている。
「アタシも、イクトミの案に賛成だ。ダメかな?」
「あまり賢明なやり方とは言えませんが……。それに、
「分かってるよ。だけど、こっちは単身。〈
「フム?」再び算段を秤に掛ける。
「オレも、この件に関してはラリィガに同意だな」
「シュンカマニトゥ?
「そもそも〈
「フム……」
「それに、アンタだって忘れたワケじゃねぇだろ? 旧暦開拓時代に、
本来、北米は〈アメリカン・インディアン〉こそが先住民である。
そこに侵入してきた西欧人によって、土地は詐欺紛いに買収され、
軍門に下った部族も少なくはない。
例え、不本意であろうとも……。
「なぁ? 〈プテ・サン・ウィン〉よ? 母親代わりのアンタの気持ちも分かるが、もう少しラリィガを信じてやってもいいんじゃねぇかな?」
軟化を試みるイクトミ。
「一緒にいるオレが言うから間違いねぇがな……強いぜ、コイツは? アンタが過保護に思っているよりもな」
経験に裏付けされたシュンカマニトゥの
「フム……」
視線で会話する女神と神獣。
彼女〈プテ・サン・ウィン〉は、スー族の伝説に在る女神だ。西欧準拠の訳としては〈ホワイトバッファローウーマン〉と呼ばれもする。
かつて
そして、スー族へと〈
森羅万象は共存共生によって成り立つ……と。
その信仰の証として、聖なるパイプ〈プテ・ヒンカラ・フフ・チャヌンパ〉を授け、大切に守るように課した。
これは〝天上と地上〟〝男と女〟〝
はたして、畏敬に見送られて彼女が去ると、程無くして
だから……である。
かの〈
そして、
この少女が通常の年齢経過を負わなかったのは、女神に育てられた事で神気を帯び、半神性化していたからに他ならない。
ともあれ、両者の関係は〝女神と巫女〟〝姉と妹〟〝母と娘〟といった感覚が混在している。
「フム……」
くゆり昇る不定形へと吉凶を乗せ、女神は選択を占った。
彼等〈アメリカン・インディアン〉にとって〈
重要
森羅万象に見出す大宇宙の絶対真理〈
物事の善し悪しや吉凶のみならず、あらゆる大事の選択にはコレを通じて〈
「分かりました。許可しましょう。ただし何は無くとも、
「ヤッタ!」
「何か?」
「あー、いやー……何でもないない!」
「ふむ?」
慌てて
都会というものは初見だ。ワクワクしても仕方無い。
無論、使命が第一だと自覚はしていても……だ。
「そうと決まれば、オイラは一足お先に……ヘヘヘッ」
疾風と消え去るイクトミ。
余韻と残されるのは、残り香程度の微風であった。
この特技に
「相変わらず速いなぁ、アイツ?」
「それがヤツの性質だからな。長距離移動の速さで叶う〈
「けど、
「
「連絡を取りたい時は?」
「心配無用さ。有益な情報を掴んだ時には、
釈然としないラリィガの懸念を、四足獣は淡々と汲み解いた。
彼とイクトミは、それこそ旧暦時代からの間柄だ。
熟知している。
「さて……と、オレ達も行くとするか? ラリィガ?」
「だね」
少女と共に
「シュンカマニトゥ、彼女を頼みますよ?」
「言われるまでもねぇな」
応える
慕情を
彼にしても、赤子の頃から見守り続けた存在である。
父性というヤツだ。
コヨーテの姿は無い。
凛然が
狂気へと呑み込むかのような巨眼の威圧感。
さりとも、気丈は折れない。
「
一条の落雷!
「ワキンヤン!」
真名を呼ばれると〈
全身から発光が息吹く!
触れる者を拒むかのように帯電が蟲と小躍りした!
生まれるかのように背中から広がるのは、非物質によって織られた電光の翼!
雷光巨鳥〈ワキンヤン〉──英名では〈サンダーバード〉と呼ばれる聖獣。巨翼の羽ばたきは雷鳴を生み、つんざく叫びは稲妻を呼ぶ。
そして、これが凡百な〈獣人〉とは根本から異なる理由であった。
雷翼が羽ばたく!
天昇に生じる風圧が猛風と化して大地を
宙天で一間の滞空を刻んだ後、一条の光矢は闇を裂き貫く!
目指すは、摩天楼!
魔獣の群が牙剥く大都会へと……。
夜神冴子が渡米する半月前の出来事であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます