26.想いのまなざし


 倒れたクラーロを、ライナとスチサは持ち上げた。

 ライナは頭側を、スチサは足側を支える。

 苦しそうな表情で眠る彼を、龍人少女たちは心配そうに見つめた。


「お二人とも」


 そんな彼女らに、白髪の老龍人、カカルモが声をかける。


「とりあえず、この爺めの家まで彼を運んでもらえませぬか。そこでなら少しは休めるじゃろう」

「はい」


 申し出に素直にうなずき、二人はクラーロを支えたまま歩き出した。

 息を合わせて歩く間、ライナとスチサはまったく同じことを考えていた。


 ――こんなに近くでさわれた。ちょっと嬉しい。


 普段は決して近づかせないクラーロ。だがこうして眠っているときなられられる。それが少し後ろめたくて、嬉しい。


 ライナが身じろぎしながら体勢を整える。


「ちょっと邪魔だな、胸が」


 頭側からクラーロの両肩を支え持っていると、どうしても彼女の大きな胸が当たってしまう。ライナはそれがわずらわしかった。


(上手く支えられないではないか。それに顔も見えぬ)


 ライナは口を尖らせた。


 やがて、一軒の建物にたどり着く。

 カカルモに割り当てられたその小屋は、もともと別の龍人が物置きとして使っていた場所だった。小屋の主が亡くなり空き家となっていたところを、ガラによって割り当てられたという。


 頭首の客人にしては少し寂しい扱い。

 だがライナとスチサはむしろ、その質素さにホッとする。


 扉代わりの布幕をくぐり、小屋の中に入る。

 室内は、大型の獣が三頭並んで休めるくらいの広さがあった。ライナやスチサには見慣れない調度品が置いてあった。

 ただ、今はそれらに興味を向ける余裕はない。


 クラーロを丁寧に床に寝かせると、スチサがいつものように膝枕をした。その様子をカカルモがじっと見つめる。視線に気付き、銀髪の少女は首を傾げた。


「あの、なにか?」

「いえいえ。微笑ましい光景だなあと」


 そして再び見つめる。


「スチサ殿、あなたはいつもそうしているのですかな?」

「え? ええ、はい……初めて出逢ったときから」


 そう言ってスチサはクラーロの髪をゆっくりと撫でた。その表情は、頭首ガラと対峙していたときとはずいぶんと違っていた。恐怖と不安に凝り固まった青白い顔ではなく、あたたかで満ち足りた表情。


(私は、先生の役に立っている。もっと役に立ちたい)


 そう思いながら、クラーロの髪の毛を撫で続ける。


 一方のライナも、クラーロのことが気になっていた。

 片膝を立ててどっかと座りながら、クラーロの顔に視線を送る。眠る彼を目に映すたび、ライナは口の端を緩める。


 彼女にとって、クラーロの匂いは安心できるものだった。彼の隣は居心地がいい。

 ただ、素直にその気持ちを口にするのはどこか悔しいと感じる自分がいる。

 スチサが膝枕することに文句はないけれど、少しだけ「いいなあ」とライナは思う。

 建前と本心の間で揺れる彼女は、カカルモの小屋に入ってからずっとそわそわしていた。


「こやつ、寝ているときはいつもと表情が違うんだな」


 そわそわを誤魔化すようにライナは言った。


 クラーロは基本的に不機嫌顔だ。

 ライナにとって不機嫌さや怒りは、集落の龍から日常的に向けられる感情だった。だからクラーロの目つきが悪いのも特段気にならなかった。いつものことだと思っていた。

 今のクラーロは、スチサの膝枕の上で落ちついた寝息を立てている。


 人は、穏やかな表情にもなれるのだ――そんな当たり前のことでも、ライナにとっては新鮮な発見であった。


 カカルモが火と水の魔法を駆使して『茶』を淹れ始めた。

 こうして茶を淹れる習慣は、咬沃にはない。カカルモが持ち込んだものだ。

 この老龍人は、人間社会で長く暮らしていたことがあるという。

 頭がすっきり冴えるような香ばしい匂いに包まれる。


 ライナとスチサは、これまでもカカルモと茶を飲んだことがあった。

 老龍人が初めて咬沃を訪れたとき、短いが話しかけてもらったことがきっかけだ。

 以来、何度か話をし、茶を飲む関係である。集落の他の龍と違い、カカルモはライナたちの話をちゃんと聞いてくれた。

 老龍人は彼女らにとって、集落で唯一気を許せる龍となっている。

 もちろん、他の龍を一撃で叩き伏せる実力も目にしているので、目上の存在という意識はある。ライナとスチサにとって、ガラとは違う意味で畏怖の対象であった。


「カカルモ様。私たちを助けて頂き、本当にありがとうございます」


 スチサが深く頭を下げる。カカルモは手を軽く振った。


「なに。私はなにもしておりませぬ。礼ならば、その青年になさい」

「は、はい。その……」


 スチサは言い淀んだ。


「初めてお会いしたときから思っていました。カカルモ様は不思議なお方ですね」

「不思議。なるほど。なにを考えているかわからないから怖い、ですかな?」

「いや、そういうわけでは! 私たちを助けてくださる龍なんて、いないと思っていたから」

「ほっほっほ」


 なにが楽しいのか、気持ちよさそうに笑うカカルモ。スチサは毒気を抜かれて肩の力を抜いた。

 そんなカカルモを、召喚獣フラッカはじっと見つめている。彼女は黙ってクラーロとスチサの隣に控えていた。


「なあ、カカルモおう


 ライナが身を乗り出す。


「あなたは人間社会に詳しいのだろう。カカルモ翁から見て何でも屋がどんな男か、教えてくれないか」


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