25.その老龍、強し


 それは小柄な老人だった。身長はクラーロの胸くらいしかない。

 白く薄い龍翼衣をまとっていることから龍人なのは間違いない。同じく白く豊かな顎髭が印象的だった。

 好々爺を絵に描いたような立ち姿。


 その雰囲気は他の龍とは明らかに違う。この緊迫した空気の中、堂々と歩みを止めない胆力は、並々ならぬものを感じさせた。

 朗らかな雰囲気に毒気を抜かれてしまう。

 クラーロはこの老龍人を見た瞬間、張り詰めていた気が抜けそうになった。


 一方。

 老龍人を見たガラは、逆に不快そうな表情をした。

 その赤い瞳にすごまれても、老龍人は小揺るぎもしない。朗らかに微笑むままだった。


「ほっほっほ。そのくらいで勘弁してあげてはどうですかな、頭首殿」


 そう言いながらゆっくりと近づいてくる。

 ガラと並ぶとまるで山と小石ほど大きさに違いがあった。

 だが、ガラの威圧感に呑まれた様子はまったくない。


「そのように相手を押しつぶすほど威圧しては気の毒ですじゃ。ほれ、あの娘たちなど今にも泡を吹いて倒れそうですぞ」


 老龍人が言う。

 そこでようやく、ライナとスチサは呼吸を思い出したように息を吐いた。


(パニック状態の二人を言葉だけで立ち直らせた……)


 ガラが、これまで見せなかった苦々しい口調で言う。


「わざわざここまで出しゃばってこられたか、カカルモ殿」


(カカルモ。あの爺さんの名前……)


 しばらく、二人の龍の視線が交錯する。


 やがて。

 わずかにガラの威圧感が薄れた。


「……わかった。この人間どものことはあなたに任せよう。よろしいか」

「ほほほ。もちろん、承りましたぞ」


 老龍人カカルモがうなずいた瞬間。

 周囲の龍たちの間に剣呑な空気が流れる。

 敬意ではなく敵意。羨望というより嫉妬。


 クラーロはこの空気に覚えがあった。かつて学園に所属していたとき、ことあるごとに感じていた視線の圧だ。

 なぜ貴様が重宝される――と。

 集落の龍たちは老龍人を疎ましく思っているようだ。


 ガラが翼を広げる。柔らかに離陸した後、ふと、人化したままの深緑龍を見下ろした。


「無様な者は不要だ」

「……と、頭首様……!?」


 深緑龍の声を待たず、ガラは崖の方に飛んでいった。

 はばたきによって生まれた風が、重い空気をゆっくりと払っていく。


 ――誰ともなく、大きな息を吐いた。


 この場に集まっていた龍たちは、ガラの後を追うように次々と飛び立っていく。

 最後に残ったのは深緑龍。

 彼は元の龍の姿に戻った。

 ゆっくりと振り返った深緑龍の目は、血走っていた。


「無様……だと……?」


 全身に力がこもる。


「この俺が……無様だと?」


 一歩、近づく。


「貴様らの……貴様らのせいだ……!」


 そして暴挙に出た。

 いきなり尻尾を打ち付けてきたのだ。

 虚を衝かれたクラーロたちに、強烈な一撃が襲いかかる。


 が。


 ――ゴッ……ッ!


「があああっ……!?」


 攻撃が到達する前に、深緑龍は突如として出現した水流に押し流され、集落の端まで吹き飛ばされた。

 完璧に制御され、美しい直線を描く水魔法――。


「彼に粗相はいけませんな」


 小さな手を掲げた姿勢で、カカルモが言った。顔はクラーロたちに向けたまま、である。

 指先から、水滴がぽたりぽたりと落ちる。


「そこで頭を冷やしなされ」


 ぴっ、と指先の水滴を払う。


 クラーロは唖然とした。


(なんて威力の魔法だ。それもあんな一瞬の間で)


 魔法が行使できなくてもわかる。

 この老龍人、相当な実力者だ。


 理解した。集落の龍たちがカカルモを疎ましく思いながらも、特に目立った声を上げなかった理由。

 シンプルだ。

 周囲を黙らせるだけの実力を持っているからだ。

 至ってシンプル。だがそれ故に、すごい。


 やがて、場には老龍人とクラーロ、そして二人の少女が残された。

 カカルモがクラーロに近づいた。きっかり六歩の距離で立ち止まる。


「長旅、ご苦労様ですじゃ。学園からお越しの教師殿」

「……! 俺のことを知っているんですか?」

「ええ。ルサイア殿から聞き及んでおりまする。あなたが来ることは頭首殿にもお伝えしておりましたが、いや、心地よい歓待とならず申し訳ない」


 穏やかな口調だった。


(そうか。ルサイアさんの知人って、カカルモさんのことだったのか)


 そう思った途端、クラーロの緊張の糸が緩んだ。

 カカルモが眉を下げて言う。


「改めて歓迎……と言いたいところですが、まずは休息が必要ですかな」


 頭が左右に揺れ始めたクラーロを見ての言葉だった。

 老龍人の言葉を聞いた途端、これまで抑え込んでいた睡魔が一気に襲いかかってきた。

 今度は抗うこともできず、クラーロはその場に倒れ込む。


「何でも屋!」

「クラーロ先生!」


 とっさにライナとスチサが身体を支える。

 その様子を見て、カカルモは笑みを深めた。


「ほほほ。さっそく有望な生徒を見つけなさったか。感心感心」


 声を遠く聞きながら、クラーロは意識を失った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る