22.龍たちの不穏な集落


 そこは、巨大な渓谷を奥に望む、なだらかな扇状地だった。

 手前に開けた傾斜地。

 中央に沢。

 沢の上流に切り立った崖が左右にある。

 まるで山肌がごっそりと崩れ落ちてしまったような地形だった。


 圧を感じる風。視線を上げれば、正面にエンドレスの最高峰が見える。

 谷の一番奥まった場所に、遠くからでもわかる巨大な岩のモニュメントが建っていた。表面がなめらかに研磨されており、明らかに自然物ではない。

 魔力岩だとクラーロは直感した。


(なるほど。あの魔力岩のおかげでこの辺りの土地は安定しているのか。そこに龍たちは定住した、と)


 開けた傾斜地には粗末な民家のような建物が点在していた。龍人の姿もある。


(間違いない。ここが龍の集落だ)


 クラーロは唾を飲み込んだ。集落から、どこか殺伐とした空気を感じたからだ。

 建物の間を縫うように、地面に刻まれたいくつもの傷跡。まるで鋭い爪でえぐったようだ。

 集落をぐるりと見回しても柵や堀の類はない。外敵を警戒している様子はない。だとしたら、あの傷はこの集落の者たちが刻んだもの……。


「ここが咬沃で……。龍の姿のままだと、あまりたくさんは暮らせないから。同族の中には人の姿で……私たちのように、過ごしています」


 スチサが息も絶え絶えといった様子で説明する。

 ライナとスチサの足が止まった。ぶるぶると身体が震えている。指先が、龍翼衣が震えている。

 クラーロの位置からでも荒い息をしているのがわかる。


 彼女らはパニックを起こしかけていた。


 クラーロは言った。


「余計なことは考えるな。大きく呼吸しろ。自分の息づかいだけに集中するんだ。そうすれば少しは楽になる」


 彼女らは振り向かず、言われたとおりにした。返事をする余裕すらなさそうだった。

 クラーロは魔力を練り上げた。


 ――強化魔術。抵抗力強化。


 ライナとスチサを、魔術の輝きが優しく包む。

 強化魔術はただ単に身体能力を高めるだけではない。身体の不調な部分を整え、活力、抵抗力を高めるのも強化魔術の範疇だ。

 今の龍人少女たちは、不安と緊張のあまり昂ぶりすぎている。

 呼吸と血流の不調に襲われているのだ。


 魔術によって少しずつ落ち着きを取り戻していく二人を見ながら、クラーロは思った。


(心の弱さは、龍も人も同じだな)


 彼は「大丈夫だ。大丈夫」と、できるだけ穏やかな声をかけ続けた。

 身体の傷は薬や魔術でなんとかなる。だが、こと精神的な不調については、声かけの力をバカにできない。


 そのとき。

 クラーロは視界の端で見た。崖の上から龍が飛び立ったのだ。

 こちらに近づいてくる。

 おそらくクラーロが魔術を使ったことを察知したのだろう。


 龍が近づいてくる気配を感じたのか、ライナとスチサの身体がびくりと強ばった。せっかく落ち着きかけた呼吸が再び乱れる。


(今はこいつらのことが先だ)


 クラーロは懐に手を伸ばした。ライナからもらった『眠気覚ましの葉』を取り出し、乱暴にかじる。むせかえりそうな辛みが口から腹の底へ広がっていったが、表情に出さずに耐える。

 ライナとスチサの側まで駆け寄った。

 そして二人の背中をさする。

 強ばった背中越しに、強化魔術をひたすらかけ続けた。


「大丈夫だ。呼吸に集中しろ」


 いくら眠気覚ましの葉を噛んでも、直接彼女らの身体に触れていると頭の裏が霞む感覚に襲われる。クラーロは今日ほど自分の体質をもどかしいと感じたことはなかった。

 ただ、無茶の甲斐あってか、ライナとスチサはこちらを振り返るだけの余裕ができた。


 彼女らの瞳は揺れていた。ライナすら涙をにじませていた。唇の色が白くなっている。昨日は好奇心で輝いていた瞳が、意志を失いかけている。


 辛いだろう。お前ら。

 これほどかよ。集落。


 クラーロは二人を下がらせた。


「お前らは畑まで戻ってろ」

「クラーロ……先生」

「何でも屋……我は」

「いい。必ず戻るから」


 そう言って、クラーロは前に出た。

 ライナとスチサはその場から動かなかった。フラッカに視線をやる。忠実な妹召喚獣は、首を横に振って応えた。


 視界に影が差す。


「ほう。誰かと思えば」


 声がした方を向く。

 クラーロたちの正面、地面から五メートルほどのところに深緑の龍が飛んでいた。龍形態のライナよりも一回り以上大きい。

 自らの存在を誇示するかのように、翼をゆっくりと羽ばたかせている。

 後ろには他に、二頭の龍が飛んでいた。


 深緑の龍は不快なしゃがれ声で言った。


「ライナとスチサ。俺たちの『咬沃』に寄生するゴミどもではないか。てっきりまた命知らずの魔物どもが迷い込んできたのかと思ったぞ」


 龍人少女たちが身体を強ばらせる気配がした。


「しかも」


 龍の目が、クラーロを向く。


「一緒にいる貴様は……まさか人間か?」

「そうだ。俺の名はクラーロ」


 相手の真正面からにらみ返しながら、怯まず名乗る。

 龍は文字通りクラーロを見下ろした。クラーロは視線を外さない。


 やがて龍が地面に降りた。わざと粉塵が舞うように荒々しく。壁のような巨体を見せびらかすように。

 龍は言った。


「人間。お前は健康体のようだ。歓迎してやろう。一緒に来い」


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