9.赤と白の龍人少女
地形変動が収まった。
静けさを取り戻した崖下の空間に、湿った風が吹き抜ける。
「……死んだのか?」
真紅の龍が尋ねた。
恐る恐る、といった様子である。
突然意識を失ってしまった男を前に、先ほどまでの勇ましさはなりを潜めていた。戸惑っている。
一方。
「大丈夫。眠っているだけみたい」
男を抱き留めた銀髪少女は、いそいそと彼を横たえ、膝枕をした。
その様子を見た真紅の龍は首を傾げた。図体に似合わず、愛嬌のある仕草である。その直後、全身を赤い光が包み込む。龍の身体が人の形に縮んでいく。
「眠った? この状況でか?」
光が収まる。現れたのは翼と同じ真紅の髪と
襟首の長さで揺れる波打った毛先、口調と同じく強気なつり目、人間で言うと十六、七歳くらいだろう。身長も年頃の人間と同じくらいだ。
ただ――腕を組んだときの胸のボリューム感は圧倒的だった。細身の銀髪少女と比べるとその違いがさらに際立つ。
赤髪少女の眉が困ったように下がる。
「まあ、それはそうと。スチサ、そなたはなぜ膝枕などしている」
「ちょっと、してあげたくなっちゃって。えへへ」
恥ずかしげに答える銀髪少女――スチサ。
彼女の表情が、つい数十分前までのものと全然違っていて、赤髪少女は面食らっていた。
スチサは少し前まで落ち込んでいたのだ。それが、見ず知らずの男を膝枕している今は、ふにゃりと崩れた笑みを浮かべている。
ふと、スチサは言った。
「心配かけてごめんね、ライナちゃん。私が足を滑らせて落ちちゃったから……」
「いや、別に謝られても我は……そなたが無事なら、それで……。我こそ、すぐに駆けつけられず、すまなかった」
親友の態度に頬をかく少女――ライナ。
二人の龍人少女は、この突然の来訪者にどのように接すべきか迷っていた。
しかも彼女らにとって、この男は初めて見る『本物の人間』だったのだ。
つかの間、無言の時間が流れる。
そこへ、激しく吠え立てながら一匹の獣が走ってきた。
「ん? なんだ貴様。獣の分際で龍である我に楯突こうと――」
「がぅ!」
真正面から睨み付けられ、ライナはゆっくりと目をそらした。
召喚獣――フラッカは、次いで主を膝枕しているスチサににじりよる。
――今すぐ離れろ。さもなくば切り裂く。
スチサは慌てて手を振った。
「ち、違います。聞いて下さい。私たちは、この人を害するつもりはないの!」
フラッカの足が止まる。
スチサはなおも必死に訴えた。
「この方は私を助けてくれたの。でも突然意識を失っちゃって……だからこうして、目が覚めるまで介抱をしようと、思って……」
最後の方は尻すぼみになってしまう。
相棒の様子を見たライナは内心でため息をついた。初対面の相手に強く出られない、それはスチサの悪い癖だと思った。
だが、召喚獣にはその必死さが伝わったのだろう。とりあえず、敵意は収めてくれた。
精一杯の愛想笑いで出迎えるスチサの前で、フラッカは主の腹の辺りに、ぼふっ、と顎を乗せた。そこからじー……っとスチサを見上げてくる。
――で? だったらコレは何のつもりなワケ?
召喚獣の圧力に何も言えずに固まってしまったスチサを見かねて、ライナが言った。
「スチサよ。我々龍が、たかが獣ごときにビビっては――」
「わぅ?」
「う……。いやいや、ここで引き下がってどうするライナよ。仮にも龍の端くれたる者、威厳を――」
「わぅ?」
「あう……」
再び睨まれてライナは視線を外した。
口調は尊大だが肝心なところで残念な娘である。
ライナは周囲を見回した。岩雪崩のせいで周囲はゴツゴツした岩石だらけになってしまっていた。
気の強そうな瞳が、一瞬、悲痛で細められる。
「我々の秘密の場所も潰れてしまったな……」
小声だった。どうにもならない状況への諦念がにじんでいた。
「所詮、我々は逆らえない。この身体も、心も、自由にはならないのだろう」
「うん……」
風で、二人の髪先が揺れる。
このとき彼女たちの瞳は、光を失っていた。
スチサの手が男の髪を撫でる。
「わあ……男の人の髪って、こんな感じなんだ。それにこの服。凄い。もっと、触ってもいいのかな……」
「スチサ?」
「ねえライナちゃん。この方、やっぱり外の世界の人間さんだよね」
「まあ、間違いないだろう。我らの集落、いやこの山で人間などついぞ見たことがない」
「どうして、だろうね。どうして、こんなところに。私たちの前に……」
「我は知らん」
「でも、見ず知らずなのに私を助けてくれたよ。格好良かったなあ」
うっとりとスチサがつぶやく。
ライナは苦々しく言った。
「まあ、そなたが言うように見ず知らずの相手を救おうとした行動力は、評価してやらんこともない」
「ねえ、ライナちゃん」
スチサの声と表情は、ライナが初めて見聞きするものだった。期待と不安、希望と諦めをぜんぶ詰め込んだような。
「もしかしたら、この方なら」
「……」
ライナは、いまだ眠り続ける男を見た。
「もしかしたら、という気持ちは……わからんでもない」
「ライナちゃん……」
「――ええい、やめだ、やめ!」
赤髪の龍人少女は叫んだ。
「スチサ! そろそろ行くぞ。我々は獲物を狩ってこいと命令されているんだ。それとも、そやつを献上するか? ちょうどよい具合に気を失っているしな」
「だ、駄目だよそんなの!」
「なら、やるべきことをやらねば。また魔力を止められる」
「うん……わかってる。でも」
煮え切らない親友をけしかけるつもりで、ライナは言った。
「まさか、その者の格好が気に入ったのか? 布を何枚もひっかぶっているだけではないか」
「………………は?」
「え?」
「ライナちゃん? 今、なんて? 布が、なに?」
先ほどまでの揺れる表情が一変、スチサの顔に笑みが浮かんだ。
ただし、瞳は笑っていない。
ライナは「まずい」と思った。親友の逆鱗に触れたと悟ったのだ。
ひゅおおお……と周囲の空気が明らかに冷たくなっていく。
「ライナちゃん……」
「いや、待て。待つんだスチサ。我はごく普通に、一般的に、こやつの着ているものが奇妙だと評しただけで、決してそなたの嗜好をバカにしたわけでは……! というか、いつもよりも激しくないかこの冷気!?」
「ライナちゃん……!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます