8.切り札で少女を救う


「……まただ」


 エンドレスの衝撃――『地形変動』を目の当たりにしてから、クラーロとフラッカはいっそう慎重になって進んでいた。

 研ぎ澄ませた聴覚と嗅覚が、再び、濃い緑の匂いと大地の振動音を捉える。

 だが、今度の地形変動箇所までは少し距離があった。ここより標高の高い場所だ。クラーロがいる地点まで被害は届かない。

 大地がうねり、地形が変わっていく様を息をのんで見つめる。


 揺れが収まる。

 クラーロの場所から切り立った崖が見える。崖の上では、まるで洪水後の川のように木々が密集していた。


 眉をひそめる。

 崖の先端、せり出した木のひとつに人影があったのだ。

 水平に伸びる木の幹に、ぐったりとうつぶせになっている。だらりと宙に投げ出された腕。意識を失っている。

 長い銀髪が風に揺れていた。少女だ。


 直後。

 銀髪少女から五メートルと離れていない場所を、岩が転がり落ちた。破砕された木屑が舞った。

 上の方から土塊とともに雪崩なだれてきたのだ。


 震動は続いている。

 むしろ、より大きく、より激しく。


「クソったれ!」


 クラーロは荷物を放り出し、全力で駆けだした。強化魔術を重ねがけする。

 鍛え上げた肉体に強化魔術が上乗せされ、クラーロの身体は別の生き物のように躍動する。


 しがみつかなければ登れないような崖を、のだ。


 崖の上、少女と同じ高さまで到達した瞬間――彼は見た。

 身長の三倍はあろうかという巨大で歪で無慈悲な岩塊が、今まさに脆弱な木々をなぎ倒して、クラーロと少女を押しつぶし弾き飛ばそうと迫っていた。


 視界の端に、気を失った少女がいる。手を伸ばしても、まだ届かない位置。

 クラーロは諦めない。


「創成魔術」


 それは、あまりの威力ゆえに在学中もめったに使わなかったクラーロの切り札。


 彼の意志に呼応し、両手に一本ずつ、短剣が現れる。

 右手にはすべての色を飲み込む漆黒の刃。

 左手には見る者を畏怖させ威圧する黄金色の刃。


 ――『そうけん』。


 究極の切れ味を秘めた二振りを、逆手に構える。

 短剣に秘められた力が、クラーロの限界を限界でなくしていく。


 息を吸う。

 雑念が消える。

 考えることは、シンプル。


 ――絶対、助ける!


 視界を岩塊が覆う。

 双牙剣がオーラをまとう。

 黒がはしる。金色が縫う。


「はああああぁぁぁぁぁああああぁっ!」


 本能から振り絞った叫び。巨大だった岩塊は木っ端微塵に切り刻まれた。


 少女は無事だった。

 だが、岩塊が破壊された振動で、少しずつ、少しずつ身体の位置がずれていく。


「待てコラ!」


 乱暴に吐き捨て、地面を蹴る。反転した勢いで少女に飛びつく。双牙剣は光の粒子となって消えた。


 少女の身体は、まさに空中に投げ出されたところだった。

 両腕でしっかりと抱きしめたクラーロは、姿勢を整えると、壁面を蹴りながら崖下の平地まで降り立った。


 過敏になった聴覚は、まだ岩雪崩が続いていることを感じ取る。

 クラーロは少女を抱きかかえたまま走った。だが、すぐに立ち止まってしまう。膝をついた。

 心臓の音がうるさい。身体の節々が痛みを訴え出す。息をほとんど止めていたと気づき、荒く熱い息を吐く。

 双牙剣に、強化魔術の重ね掛け。さすがに無茶をしすぎたかとクラーロは思った。


(疲れた。身体が重い)


「あの」


 声がして、そちらを向く。

 腕の中の少女と目が合った。


 透き通った透明感のある肌。大きな瞳。どこまでも艶やかで柔らかい銀髪。たおやかな身体つき。

 十人――いや百人に聞いても同じ感想を抱くような美少女であった。


 クラーロは息をのんだ。

 彼女の美しさに――ではない。

 自らの身体に起こった異変に、だ。


 抜ける力。揺れる視界。かすんでいく思考。

 これは。

 間違いなく、クラーロの体質からくるもの。

 無意識に少女の肩を抱く手に力が入り、銀髪少女がぴくりと震えた。


(こいつ……人化した龍か!)


 判断力が、だんだんぼやけていく。


(……人化した龍の顔をこんな間近で見たことなかったな……へえ、龍ってこんなに目鼻のバランスが良いものなのか……って、違う違う! 今はそんなことを考えてる場合じゃない!)


 気合いを振り絞り、再び少女を抱えて立ち上がる。

 崖の上を見ると、まだ小さな土の塊が落ちてきていた。

 歩くようなスピードでじりじり距離を取る。銀髪少女がしきりに声をかけてきたが、正直、クラーロは返事どころではない。


 足がうまく動かなくなったところで、クラーロは少女を降ろした。距離を取ろうとして失敗する。


(やべぇ……もうろうとしてきた)

「おい、聞こえるか倒れてたヤツ……」

「は、はは、はいっ。その、あの」

「逃げろ。こっから早く、逃げろ。……フラッカ! いるな、フラッカ! お前もだ、安全なところまで逃げろ!」


 そこにいると信じて、クラーロは叫ぶ。

 自分より、助けた奴のこと、仲間のことを優先する。クラーロはそういう男だった。


 そのとき。

 クラーロの背後に、大きな影が舞い降りた。

 かすむ視界で振り返る。


「貴様! 何者だ! 我が同胞から離れろ!」


 尊大な口調ですいしてきたのは、真紅の龍だった。大きな翼、たくましい四肢、長い首。まさに龍本来の姿。

 その龍が、敵意をむき出しにしている。


 万事休す。これは、死んだかもしれない――クラーロは思った。


 前後を龍に塞がれ、ついに睡魔が限界を超えた。

 暗転する視界。


 意識が途切れる一瞬前、クラーロは柔らかな感触に包まれた。


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