7.接敵、異変

「む……」


 快調に進んでいたクラーロは、ふと足を止めた。

 前方に見慣れぬ陰があったのだ。距離はおよそ三〇メートル。シルエットははっきりしないが、おそらく熊に近い姿の――魔物。わずかに見える黒いオーラがそれを表している。


 こちらに気づいた。

 クラーロはとっさに木の陰に身を潜めた。大きく深呼吸する。


「相手の情報がない。ここは引きつけるぞ、フラッカ」

「わふ!」

「――って、おいフラッカ!?」


 召喚獣は身じろぎして器用に荷物を地面に降ろすと、土煙を上げて一気に駆けだしていた。

 こちらにのっそりと近づいてくる魔物に真正面から突っ込む形だ。


 荷物を降ろすのももどかしく、クラーロは木の陰から飛び出した。

 両手を突き出し、魔力を練り込む。


 元来、人間が扱う魔術は直接攻撃に不向きだ。龍が行使する魔法のように、一気に敵をなぎ払う効果はない。

 だが、仲間がいるときは別だ。


 ――強化魔術。瞬発力強化。貫通力強化。


 クラーロの手のひらから、練り上げられた魔力がフラッカに飛ぶ。

 光が彼女を包み込んだ途端、加速力が爆発的に引き上げられる。

 対する熊型の魔物は、あまりにも反応が鈍重だった。


 仲間を強化し、不足を補い合いつつ、複数で敵を打ち倒すことこそ魔術戦の基本であり真髄。


 強化されたフラッカの爪が魔物の喉元を正確にえぐった。

 一撃加えた後は、敵を蹴りつけて距離を取る。その頃にはクラーロも追いついていた。


 構えを崩さない主従の前で、魔物は前のめりに倒れ込んで動かなくなった。

 黒いオーラが霧散する。魔物が絶命した証だった。


 肩の力を抜き、クラーロは殊勲を立てた召喚獣を見る。彼女は魔物を攻撃した前脚を嫌そうに振っていた。まるで「うわ汚ッ」と言っているようだ。

 クラーロは深くため息をついた。


「ったく。俺の指示をおもくそ無視しやがって」

「わふん」

「はいはいわかったよ。お前の直感が正しかった。よくやったな、フラッカ」


 召喚獣は胸を張った。


 フラッカが荷物を取りに戻っている間、クラーロは魔物の死体を検分した。

 熊よりも体毛が薄い。筋肉はそれなりに発達しているが、動きは鈍重だった。手足の爪は思ったよりも短い。特徴的なのは身体の要所要所がヌラヌラとテカっているところだった。


「フラッカ!」


 呼ばれて召喚獣がてこてこと歩いてくる。


「前脚の爪、大丈夫か」

「わふ」


 魔物を一撃のもとに屠った爪は、体液で汚れていた。が、爪の鋭さ自体に影響はなさそうだった。


「毒……」


 クラーロのつぶやきにフラッカの耳と尻尾がピンと立つ。がりがりと地面を掘って汚れを落とし始める。


「ああ心配すんな。毒じゃないって言おうとしただけ――わぷっ」


 思いっきり土をぶっかけられた。


 顔を拭いながら、クラーロはつぶやく。


「レベル七……ってとこか」


 魔物にはレベルが存在する。ただしそれは、人間が判定したものだ。

 クラーロは学園で学んだおかげで、初見の魔物でもおおよそ強さをレベルで判断できるようになっていた。


 魔物の強さの判定材料は四項目。

 毒性。

 殺傷能力。

 抵抗排除力――すなわち、重量と運動能力。

 そして攻撃性向。


 それぞれ五点満点で評価し、その合計値を魔物のレベルとして算出する。最低がレベル四、最高危険度がレベル二〇というわけだ。

 人流が絶えて久しい秘境にしては、魔物のレベルはそこまで高くないと言えた。

 もちろん、この魔物より強いヤツがわんさかいる可能性もあるが――。


(初めて見る景色、初めて見る魔物……おもしれぇじゃん)


 魔物の特徴を日記に記しながら目を輝かせる。

 荷運び屋ポーターの話を思い出す。エンドレスに人が入っていたのはかれこれ百年以上前のことで、以来、まったく手つかずの環境なのだそうだ。魔物も含めて、動植物が独自の進化を遂げている可能性もある。

 クラーロはいそいそと荷物を漁る。詳しく調べれば、もっと新たな発見が――。


 その手がぴたりと止まった。

 召喚獣も同時に耳を立てる。


 匂い。

 目の前の死骸とは違う、『濃い緑の匂い』が鼻をついた。

 ほぼ同じタイミングで、腹に響く音が聞こえる。足裏から伝わる。次第に強く、大きく。


「走れフラッカ! 後退しろ!」


 叫ぶと同時に自らも荷物を抱えて駆け出す。


 ――強化魔術! 脚力強化。


 フラッカと併走しながら、魔物が倒れた場所から離れる。

 異変は、クラーロの指示から四秒後に起こった。


 突然、魔物の死体が空中に跳ね上げられた。

 土の地面が隆起したのだ。


 轟音を立て、地形が変わっていく。一部は波のようにせり上がり、一部は周辺の木々を大地に引きずり込んでいく。濃い土の匂いとともに、湿った空気がクラーロたちのところまで押し寄せた。


 幸い、大地の急激な変化は限られた場所のみで起こっていた。クラーロはフラッカをかばいつつ、距離を取って大地がうごめく様を見つめる。


 異変は一分ほど続いた。

 揺れが収まったときには、目の前の景色はがらりと変わっていた。木々が姿を消し、一気に見晴らしが良くなっていた。


 慎重に近づく。

 濃い土の匂いがした。

 地面を手ですくって、土の様子を確かめる。

 地中からせり出してきた土は空気と湿気を含み、柔らかい。匂い。触ってみた感触。そして味。かくはんされて、一帯がそっくり肥沃な土地に様変わりしたのだ。


 ぞくりと背筋が震える。


「通常ではあり得ない地形変動……」


 土塊を指先でほぐし、クラーロは視線を上げた。

 エンドレスの峻嶺が遠く見える。


「これじゃまるで、旧跡ダンジョンじゃねえか」



◆◇◆



 青年と召喚獣の様子を、標高の高い場所から見下ろす二つの人影があった。


 ひとりは燃えるような赤い髪の少女。

 もうひとりは涼やかな銀色の髪の少女。


 銀髪の少女が、細い指を青年たちに向けた。


「ねえ、あれって……もしかして、人間さん?」


 澄んだ声が、空に流れていった。


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