5.小生意気な妹召喚獣と

 ――それから一ヶ月半が経過した。


 学園を発ったクラーロは、情報収集や路銀稼ぎをしながらの長い旅を経て、ようやく目的地の周辺にたどり着いた。

 山岳地帯エンドレス。王国北西部に位置する辺境である。


 クラーロは荷物から日記帳を取り出した。活動報告代わりに付けているのだ。

 入口に到着――と、今日の分に記載し終わったクラーロは、視線をかたわらに下ろした。


「フラッカ。荷物の重さはこのくらいで大丈夫か?」

「わふ」


 短く応えたのは真っ白でモコモコの大きな犬――もとい、召喚獣フラッカ。

 学園を出発する際、クラーロが召喚魔術で生み出した新しい相棒である。


『一発で召喚を成功させるのだから、本当に凄いわ』


 ルサイアはそう言って褒めてくれたが、クラーロは手放しには喜べない。彼女の助力がなければこんなあっさり相棒を手に入れることはできなかったと思っている。


 召喚魔術にもいろいろ細かな系統があって、フラッカのような召喚獣を生み出すものを『使役召喚』と呼ぶ。他にも、無から有、あるいはひとつの素材から別の素材を生み出す『創成召喚』、自らの魔力で異空間収納を創り出す『ボックス召喚』等がある。


 クラーロはフラッカの姿を見て、感慨深げにつぶやいた。


「それにしても……でかくなったよなあ、お前」


 一ヶ月半前、まだ召喚したばかりのフラッカはまさに生まれたての子犬くらいの大きさだった。それが旅を続けるうちにどんどん大きくなり、今では重い荷物を軽々と背負う立派な体躯の持ち主となっている。


 召喚獣の成長には主の魔力が必要。毎日丁寧にブラッシングしながら魔力を分け与えてきた甲斐があったようだ。


 フラッカはちらりと振り返る。金色の綺麗な瞳で主を見上げ、呆れたように細めた。


 ――何をおバカなことを言ってるの。さっさと行くよ。


 と、言われた気がした。

 なぜかクラーロには、このもふもふ召喚獣が小生意気で口の悪い妹のように見えて仕方ない。実際は言葉を交わすことはできないのだが、態度の端々からそう感じる。

 もし自分に妹がいたらこんな雑な態度になるのだろうかとクラーロは天を仰いだ。


 フラッカを召喚したときにルサイアが嬉しそうに言っていたことを思い出す。


『よかったわね。お母さん、クラーロには妹がいたらいいなって思っていたのよ。しっかり護ってくれそうじゃない?』


 クラーロは肩をすくめた。まさか恩師の仕業じゃあるまいな。


 ――学園から乗り継いできた荷馬車は、最寄りの村に預けている。最寄り、といってもここから徒歩で二日も離れている。

 村からエンドレス入口までは、荷運び屋ポーターを雇った。ついさっき別れたばかりである。人の良い運び屋で、「お前さん、若いのに度胸と根性があるな。生きて帰ったらまた声をかけてくれ」と言ってくれた。


 ここからは自分たちで荷を背負い、目的地の集落まで進まなければならない。

 遠い。本当に遠いところまで来たと思った。


 ――旅の途中、とある集落で、荷馬車の世話をしてくれた人に尋ねられたことがある。『学園やらの縛りから解放されて自由になりたいとは思わなかったのか』と。

 そのときクラーロはこう答えていた。『逃げようと思ったことはないんだ。不思議と』

『物好きだな、青年。嫌いじゃないぜ』となぜか気に入られた。


 今回の旅は形式上、ルサイアが自らの補助者としての適性を見るために個人的に課した試験となっている。受かれば引き続き学園に籍を置き、ダメなら今度こそ学園を去るということだ。

 学園上層部の怒りを買っている現状、ほとぼりが冷めるまで学園を離れた方がいいというルサイアのはからいでもあるのだ。


 恩師にここまでさせて、否と言うほどクラーロは親不孝者ではない。

 期待は裏切れない。ましてや、自分は恩を仇で返し続けた人間なのだ。


(まさか地図にないほど辺境だとは予想外だったが)


 ルサイアらしい。普段は過保護な彼女だが、クラーロに課題を与えるときはとんでもなくハードルを上げるのだ。


(これくらいの荒療治は必要なんだろうな)


 クラーロは正面を見た。そして徐々に視線を上げていく。

 目に映るのは不気味な森。そして深い霧である。


 山岳地帯エンドレス。王国の管理の手が届いていない秘境中の秘境である。なにせ、学園所蔵の『ルテサオン王国総覧図』にも記載がなかったのだ。地元の人間がようやく地名と場所を知っていたくらいである。

 そんな場所をなぜルサイアが知っていたかは謎である。謎であるが……知っていても驚きはないなとクラーロは思う。


 クラーロは胸元から首飾りを引っ張り出した。先端に取り付けた精緻な装飾の鍵を握りしめる。

 これは教師執務室の合鍵だ。

 ルサイアに許可をもらい持ってきた。


 課題をクリアする。

 必ず帰還する。

 その決意を忘れないための証である。


 周辺から鳥のさえずりはおろか、梢が鳴る音すら聞こえてこない。

 ろくに見通せない。聞こえない。だが圧倒的な存在感が確かにある。

 普通の人間なら恐怖で立ちすくむだろう。命知らずの冒険者でも尻込みするところである。


「……よし」


 そんな秘境の入口へ、クラーロとフラッカはためらいなく足を踏み入れた。


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