4.才能の片鱗


 クラーロは顔を上げた。


(この、聞き慣れた賑やかな声は……)


 机の上に置いてある魔術具のひとつ――美しい水晶玉が、ルサイアの魔力に反応して虹色の光を放っている。声はそこから聞こえてきた。

 通信用の水晶玉は稀少品だ。

 表面に人影が浮かび上がる。


『あれー? 聞こえなかったかなあ。おーい、弟君センセー、おーい!』

「ファ、ファナティ!?」


 クラーロは素っ頓狂な声を上げた。

 人影はひらひらと手を振った。つややかな黒髪、すらりと高い背丈、スマートな体型。悪戯猫のような表情が印象的な少女だった。


 彼女の名はファナティ。クラーロよりひとつ年上の、幼馴染みである。

 クラーロのことを『弟君センセー』とややこしい呼び方をするのは彼女だけだ。


 ルサイアが水晶玉を撫でる。


「クラーロに来てもらったのは、この子と話して欲しかったからなのよ」

『よかった。間に合った』


 ファナティはクラーロに視線を向けたまま言った。


「お前、どうしたんだよ。確か今は、勇者認定試験の真っ最中じゃなかったか」


 勇者とは、国から認められた『高難度ダンジョン攻略メンバー』のことだ。

 世界各地には新暦の黎明から存在する危険なダンジョン――『旧跡ダンジョン』がいくつも存在しており、各国の管理下に置かれている。勇者と認められた者だけが、このダンジョン探索を許される。


 旧跡ダンジョンは通常、様々な形で封印されており、龍の加護と、各国が保管する解呪の品を所持した者だけが入れるのだ。

 勇者に課せられた使命は、封印された旧跡ダンジョンを探索し、有用な成果を持ち帰ること。そして最奥部に眠るという強力な魔物を駆逐し、かつての大戦を再び起こさせないようにすること。

 勇者認定試験は、その覚悟を全うできるかを問う、重要な試験なのだ。


 ファナティはあっさりうなずいた。


『そだよー。これから『旧跡ダンジョン』に入るんだー』


 クラーロは呆れると同時に眉をひそめた。

 人懐っこい性格の彼女らしい笑顔。だが、つぶらな瞳がいつもより少し強ばっている。水晶玉越しだが、顔色も良くないとクラーロには見えた。額に浮かぶ汗に彼は気づく。


「緊張してるのか」


 自然と、クラーロの口から出た言葉。一瞬、不意を突かれたようにファナティの表情が固まり、やがて苦笑に変わった。


『さすがだな。弟君センセーにはわかっちゃうか。……うん。そう。緊張してる。だって『旧跡ダンジョン』だもん。それでちょっと、話を聞いてもらおうかなって、ね』

「お前でも緊張することがあるんだな」

『あー、その言い方は傷つくぞ。相変わらず口が悪いなあ』

「だってファナティだろ。お前くらい努力して、結果も出してる同年代の奴なんていないじゃないか。数日前に話したときも自信満々だったし。緊張で体調に影響が出るなんて、お前らしくない」

『もう。褒めるなら褒めるだけにしてってば。突き放されるとお姉さん泣いちゃう。ほら、ハザオンおじさんも緊張してるし、もっと私たちを励ましてよ』


 そう言ってファナティは、背後から誰かを手招きする。

 直後、水晶玉一杯に漆黒の龍の胴体が映し出された。クラーロは無意識にのけぞる。


『ほらおじさん。龍の姿じゃ画面に収まりきらないってば』


 ファナティに叱られ、龍の長い首がうなだれる。

 直後、龍の姿が小さくなっていった。同時に身体の各部分が変化していく。

 やがて、大柄で屈強な体つきの男性が窮屈そうに水晶玉に収まった。焦げ茶の短髪、濃いあご髭、むっつりと口を引き締めた顔がとにかく渋い。

 漆黒にぬらりと輝く肩マントがひときわ強い存在感を醸し出していた。


 龍は人化の特殊能力がある。最大の外見的特徴は、あの肩マントだ。

 龍形態時の『翼』が変化したものである。

 見た目の差はあれど、人化した龍は例外なくこのマント状の外衣を身につけている。

 これを『りゅうよく』と呼ぶ。


(ハザオン……最近、ファナティと盟約を交わした龍……)


 話には聞いていたが、実際に顔を合わせるのは初めてだった。

 クラーロは胸に手を置いて、一呼吸した。大丈夫、睡魔は来ない。水晶玉越しの会話なら問題ないようだ。


「ファナティ」

『なあに? あ、ハザオンおじさんダメだった? 距離が離れてるからイケると思ったんだけど』

「そうじゃない。おじさん呼びはやめてやれ。仮にもパートナーだろ。いくら龍でも可哀想だ」


 ファナティがハザオンを見上げた。

 いかつい顔の龍人は無言で「こくこく」とうなずいた。

 ファナティがたまらず吹き出す。


『ごめんごめん、ごめんね。そうだね、これから一緒にダンジョン攻略する仲間だもんね。改めてがんばろ、ハザオン!』


 こくこく。

 意外と愛嬌がある龍なのかもしれないとクラーロは思った。


「だいぶマシな顔になったじゃないか」


 クラーロが言うと、ファナティは自らの頬を撫でた。


『あは。ほんとだ。やっぱり無理言って弟君センセーと話してよかったよ。さすが弟君センセー』

「……勇者認定試験は、試験の名を借りた実戦だ」


 無意識のうちに、クラーロはアドバイスをしていた。

 顔に触れたときの幼馴染みの指先が、かすかに震えていたのを彼は見逃していなかったのだ。


「求められるのは過程ではなく、結果。まずは生きて帰る、これが大前提だ。その上で、お前たち二人なら『コレ』ができるってところを見せるんだ」


 ファナティは表情を引き締めた。『具体的には?』と聞いてくる。

 クラーロは口元に手を当てた。

 これまでに見聞きした情報、勇者にも造詣が深いルサイアから受けた講義内容、そしてファナティの性格、思考の傾向、能力を融合させ、頭の中で回答を組み上げる。


「魔物の討伐はできるだけ回避。魔術具や稀少品の回収に力点を置こう。ファナティには天性の直感力がある。五感を魔術で底上げすれば、多少のトラップや隠し部屋は看破できるはずだ。昔から得意だったろ。俺がどこに隠れても必ず見つけやがる、あのクソ直感力」

『弟君センセー、かくれんぼでも真面目で全力だったもんねー。いやあ、見つけたときの顔は可愛かったなあ』

「やかましいやめろください。……で、だ。天性の直感力がある分、行動に慎重さが足りないのがファナティの短所だ。だからハザオン、あんたはこいつの引き留め役をするんだ。暴走したら必ず止める。引き際もあんたが判断すべきだ」


 こくり。


「最初の実戦。危険度マシマシの旧跡ダンジョン。だからこそ、今後のために『基準』を作るんだ。人と龍なんて大雑把なくくりじゃなく、ファナティとハザオンの二人なら『コレができる』ってところを王国のお偉いさんに示せ。大丈夫、お前らは自分らで思ってるよりずっと『できる』奴らだ。俺はそう思う」


 言い終えてから、クラーロはハッとした。

 熱っぽく語りすぎた。仮にも国のエリート候補に向かって何を偉そうに言っているのか。


『あーあ』


 ファナティが嘆息した。クラーロは目をつむる。


『どうして弟君センセーはセンセーになれないのかなあ。おかしいでしょ。居眠りするから何だっていうの? これだけ知識と洞察力があるのに。その上努力もめっちゃしてるのに。弟君センセーがセンセーになれないのは学園の、ううん、王国の損失だよ』

「お母さんもそう思うわ。クラーロは自分で思っている以上に、教師に向いているのにね。無意識のうちに生徒の気持ちや立場に立って考えることができる。それは何より重要な資質よ」


 自分より遙かに能力も実績もある二人に持ち上げられ、クラーロは戸惑った。


『そろそろ行かなきゃ』とファナティが言った。


『弟君センセー、見ててね。成果を出したら、すぐに迎えに行くから! 速攻で!』


 迎えに行くってどういうことだとクラーロは思ったが、黙っていた。すっかりいつもの調子を取り戻した様子の幼馴染みに野暮なツッコミはなしだ。クラーロは手を振って見送った。


 ファナティたちの姿が見えなくなり、水晶玉から魔力の輝きも消える。


「やっぱり、お母さんの見立ては正しかったわね。クラーロの努力や人柄はきっと伝わる。ファナティさんや、あなたの友人たちのように」


 ルサイアがクラーロに歩み寄った。


「たとえ学園の試験に落ちたとしても、あなたには才能がある。体質を改善し、その才能をさらに伸ばすため、私から課題を出しましょう」


 吸い込まれそうな瞳がクラーロを捉える。


「とある辺境の地へ赴き、そこで一年間、人間社会での過ごし方や基礎知識を教えること。それが課題です」

「とある……辺境?」

「ええ。かの地は龍が住む集落。知人の話では、そこには人間社会で暮らしたいけれどできないでいる龍の子がいるそうです。あなたは龍の教師となって、その子を導くのです」


 クラーロの肩を優しく抱く。


「あなたはきっと、凄い教師になって戻ってくるわ。だから自信を持って、行ってらっしゃい」


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