3.『母』は学園のカリスマ
ルサイアの教室があるのは、学園でも高位の教師たちが集まる区画だ。廊下の雰囲気も他とがらりと変わる。
教室にたどり着くと、ちょうど授業が始まったところだった。教室内に入りきらない生徒が廊下まで溢れている。相変わらず凄い人気だとクラーロは思った。
クラーロは懐から合鍵を取り出した。教室の手前にある、教師用の執務室の扉にさし込む。
それに気付いた生徒が、ぼそぼそと陰口をたたき始めた。
――落ちこぼれの人だぜ。
――先生の鍵……羨ましい。
合鍵を渡されることは、教師から信頼を得ている証拠だ。
(お前たちなら、きっと俺なんかすぐ追い越せる)
軽く息を吐く。
執務室に入ると、中は落ち着いた雰囲気だった。壁際の棚や執務机の上には、各地から集められた貴重な魔術具が置いてあった。
執務室と教室を隔てる扉から、ルサイアの声が聞こえてくる。
『我が学園の使命は、人と龍との共存。
しかし、皆さんはご存じですか? 新暦以前、つまり、人と龍が手を取り合う前の時代、龍は今とは大きく違う生き方をしていたことを。
彼らは人の姿になることはできませんでした。
彼らは同族同士で子孫を残すことができました。
彼らは時に、人間を単なる捕食対象としてみていました。
それが今から一二〇〇年前、巨大で強大な魔王を共に倒したことから、龍という生き方が一変したのです。
彼らは人の姿に変化し、人と同じ暮らしができるようになった。
人との間に子をなすことができるようになった。
人と力を合わせることで、最高の能力を発揮できるようになったのです。それは――』
クラーロは壁に背を預け、講義に耳を傾けた。
聞き取りやすく透き通った声で、ルサイアは人と龍の歴史を紐解いていく。
『――こうして良好な関係を維持してきた人と龍ですが、課題がなかったわけではありません。特に近年顕在化した大きな課題に、複雑化、規格化した社会に馴染めない龍が増えてきた点があります。
彼らの中には、残念ながら、人間に強い偏見を持っている者がいます。
『人間は我らを蔑ろにし、迫害した憎き存在だ』
『人は弱く、我ら龍にかしずくべき』……。
とても哀しいことです』
彼女の講義を聴きながら、クラーロはこれまでの学園生活を思い出していた。
それなりに楽しかった、と彼は思う。少ないが友人もできた。体質のせいで成績は散々でも、古今東西、あらゆる知識や技術を吸収することができた。魔術の腕も、昔とは比較にならないほど磨かれたと思う。
自分の実力や将来に不安を感じていたから、卒業に向けては特に必死だった。
おかげで『レガール中央育成学園の卒業生』という肩書きは手に入った。
だが。
どこに行きたいか。どんな仕事をしたいか。それが浮かばない。
理想はルサイアだ。あんな風になりたいと彼はぼんやり思っていた。だが、本気で彼女を目指そうとしていたかと言われれば、素直にうなずけない。
(宙ぶらりんだな、俺)
モヤモヤした気持ちがずっと胸の奥につきまとう。
やがて講義が終わり、教室内が騒がしくなる。ルサイアの元に生徒たちが集まり、我先にと言葉を交わそうとしているのだ。
まだざわめきが収まっていない中、執務室の扉が開く。
現れた見目麗しい女性。
腰まで伸びた金色の髪。透き通った肌に、切れ長の目。ゆったりとしたローブには、高位の教師であることを示す刺繍が踊っている。
ただ美しいだけではない。歴戦の強者を思わせる雰囲気も漂わせている。
まさに圧倒的なカリスマ。
唯一首を傾げる点があるとすれば、年中、どんなときでも厚着のままでいるところだろうか。身内のクラーロでも、彼女が素肌をさらす姿をほとんど見たことがない。
教室へと繋がる扉が閉まり、生徒たちがシャットアウトされる。
「お待たせ。よく来たわね。クラーロ」
生徒の前では鋭く細められた目が、優しく緩む。
この女性こそ、クラーロの育ての親であり恩師、ルサイアであった。
「試験、どうだった? お母さんに教えてごらん」
昔からルサイアは、クラーロと二人きりのときは自分のことを『お母さん』と呼ぶ。限られた人間しか入れない教師執務室でなら、彼女は一切気兼ねしない。
クラーロは深呼吸した。表情を引き締め、そして頭を深く下げる。
「落ちた。俺の力不足だ」
潔く告げる。
ルサイアは変わらない口調で尋ねた。
「眠っちゃった?」
クラーロはうなずく。
視線を床に向けたまま、彼は決意を口にした。
「これ以上、ルサイアさんに迷惑はかけられない。俺は……俺は、もう教師には――」
『あ、弟君センセーだ! やっほー!』
愛らしい声が聞こえてきたのは、そのときだった。
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