にじゅうさん【星】(2021/12/23)

「で? シュリンはこんな時間に一人でどこ行こうとしてるわけ?」


 そっと家の戸を閉じた途端、背後から声をかけられて、ひゅっと喉がひきつった。

 振り返れば、台所で夕食の準備をしていたはずのタンザが「なんかしてんなとは思ったけどさぁ」と溜息をつく。


「何やってんの」

「タンザ。魚、焦げます」

「いや、焦げたとして誰のせいだと思ってんの。あとその辺はちゃんとしてきたから、そんなこと言っても無駄」


 シュリン、と鋭く咎められて、身をすくめる。

 目を彷徨わせれば、違う怒ってんじゃないけど、いや怒ってるけど、とタンザは乱暴に頭をかいた。


「だって後はもう夕飯食べて寝るだけでしょ。なんで今そんな格好してるの」

「……タンザ、わたし」

「何」

「あの場所を——宝珠の森を閉じに行きます。あの方の宮城がいつか砂に還るまで。もう誰も中に入ることはないように。もう誰も怪我をしないように」


 ここに帰ってきて、怪我した二人を連れたユノさんとクマさんを見送って、あんなに脆くなっていたあの場所に、もう誰かが入るのは怖いと思った。

 とっくに守りは壊れていたから、もっと崩れるなんて思ってもみなかった。


 誰も近づけないように閉じてしまおう、とユノさんが綺麗に畳んでしまってくれた着物を行李こうりから取り出し、袖を通した。

 あの方が結ってくれたのと同じように、髪を整え、四本かんざしを挿す。


「今ならまだ神樹を通して閉じてくれるよう頼むことができます。それに、ノーエちゃんとルーちゃんのことを教えてくれたお礼を言いにいかないといけません」

「せめて明日じゃだめなの? もう暗いからあそこに行くだけでも危ないよ」

「夜の方が都合がよいのです」

「……都合がいいって」


 あぁ、もう、とタンザは声を荒立てて、家の戸を開いた。


「ちょっと待って。動いたら今度こそ怒る。行くから。おれもついてくから」


 タンザは家から取ってきた手提灯籠に火をつける。


「行くよ」


 ぽっと灯籠が照らした先を、タンザは足早に歩き出した。

 追いかけて並び、渋い顔をしているタンザに呼びかける。


「わたし、道わかります。さっき連れて行っていただいたので」

「いや、そっちの心配じゃないからね?」


 そりゃ道が危ないのもあるけどさ、と零したタンザは今までにないくらい呆れた顔をしていた。


「あんね。シュリンが言うなら、本当に閉じられるんだろうけど。他にも誰かが怪我する前に、確かに閉じた方がいいんだろうけど。神樹のとこまで行って、そんで閉じて、そしたらその後、シュリンはどうするの」

「どう」


 なるだろう、と首を傾げたら、タンザに頭をぺしぺしと叩かれた。


「怒るよ、みんな。ノーエとルーのこと心配したんでしょ。シュリンがいなくなったって同じだよ」

「おなじ」

「おんなじ!」


 だから絶対連れて帰る、とタンザはまっすぐ前を睨んだまま言った。



 すっかり夜になったその場所には銀砂の星が満ちていた。

 木々の奥から吹いてきた風の中に、葉擦れと神樹の枝のざわめきが混ざり合う。

 髪から引き抜いたかんざしを一本、指を添わせて鈴を鳴らす。

 王朝がこの場を離れて六十年——わたしの知らぬ間に、人のいなくなったこの場所一面に降り積もっていたのだろう。

 りん、と澄む耳馴染みのよい鈴に応じて、地面を覆う神樹の針葉が銀光を帯びてほのかに浮かびあがった。


 タンザが背後で息を呑む。

 それでも本当についてきてくれるみたいだった。

 りーん、りん、と鳴らすかんざしに応じて、神樹がしゃんしゃんと鳴る。

 神樹の針葉が示す道は、昼に来た時よりもずっと歩きやすく、奥に進むと宮城の廊下に繋がっていた。

 屋根はすっかり抜け落ちていて、赤と金で彩色された天井板があちこちに転がり、朽ちている。


「ここだ」


 タンザが見上げた景色に、わたしは頷いた。

 滑らかに広がる白い床石の中央に、神樹は銀の針葉を豊かに抱いて聳え立っていた。

 あったはずの天井は、もうここにもなくて、澄んだ夜が美しく広がっている。

 わたしがずっといたはずの、あのあたたかく光に満ちた、それでいて空虚でもあった樹洞も消えてなくなってしまっていた。

 粗い木肌がすっきりと上に向かって伸び、銀光を帯びた葉が星空に折り重なる。


 わたしはかんざしを二本、髪から抜いて、神樹の根元に額突ぬかづいた。

 お礼を言えば、神樹は親しげに枝の鈴を揺らしてくれる。

 しゃんしゃんと、銀の針葉がわたしの上に降ってくる。


「タンザ」

「いいの? 本当に」

「はい。閉じます」


 簪を二本交じわせ右手で扇を開く。

 左で、もう一本のかんざしを打ち下ろして、高く鈴を鳴らした。

 風にのって降ってくる銀の葉が、わたしの着物に触れるたび、あなたがあつらえてくれた金と銀の刺繍に光の筋が通る。


 扇を返すと、なぜか懐かしいあなたの香木の香りがした。

 堂々としたあなたの唄声が、神樹の枝が震わす鈴に重なって聞こえる。

 たおやかな細いあなたの指先が、わたしの頬に触れた気がした。

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