にじゅういち【手】(2021/12/21)

 しゃんしゃんしゃん、と神樹が枝を震わし鈴を鳴らしだす。

 遠く離れた場所から、止まっていたはずの崩壊音と、親しい二人の声がした。


 顔をあげれば、目の前に広がるのは変わらない祭市の光景だった。喧騒の中を人々が店をひやかしながら楽しげに行き交う。

 ね、とわたしの前で腰を屈めたお客さんが、呼びかけてくる。

 そのお客さん越しに、ノーエちゃんとルーちゃんのお母さんが走ってくるのが見えた。


「あなたが着てるのとこれ、同じの?」


 傍でかけられたはずの声はひどく遠く。

 しゃんしゃんしゃんと澄んだ音が耳の内に鳴り響く。


「タンザは」


 首を巡らせると、店先の木椅子に座ったグーナ婆の琥珀石と目があった。


「グーナ婆。タンザがどこにいるかわかりますか」


 あなた大丈夫なの、とお客さんがわたしに言う。

 近くに来たユノさんが戸惑った様子で、わたしの肩に触れた。

 心配してくれたお客さんに礼を言い、わたしに代わり、やりとりをしだす。

 グーナ婆の隣でこちらを向いたコマさんが、あんた顔真っ白じゃん、と驚いたように言った。


「ユノさん、シュリンちゃん。うちの二人見なかった? あぁ、こっちも来てないか。まったく。仕事を頼んだら、すぐこれだ」


 息を切らしてやってきたノーエちゃんとルーちゃんのお母さんは、店先に着くなり腰に手をあて溜息を吐いた。

 しゃら、と腕飾りを鳴らして、グーナ婆が膝の上で両手を組む。


「左に行って二つ目の角を曲がったら、道なりにまっすぐ走りな」


 たんと琥珀石の目を眇め、グーナ婆がわたしに言った。


 手をついて立ち上がり、絡まる足を前へ向かせる。

 呼び止める声が聞こえた。

 それよりはるかに神樹の枝が伝えてくるしゃんしゃんと連なり震える鈴の音が騒がしくて、耳を塞ぐ。


「どうした、シュリン」


 二つ目の角を曲がっていくらも行かないうちに、腕を引かれた。

 タンザ、とそのままその腕に縋る。


「連れて行ってください。ノーエちゃんとルーちゃんが怪我を」

「は!? ノーエとルーが怪我!? どこで?」

「お願いです。早く連れて行って。どうやってここに来たのか、わたしでは帰り道がわかりません」


 懇願すれば、タンザは眉根を寄せた。


「——父さん、あと頼める?」

「工具は預かるから行ってきな。今日はもう急ぎで直さなきゃならんとこもなかったろ。頼んで明日にしてもらってくる。ユノちゃんとこ寄って、後でそっちに向かうよ。どこに行けばいい?」

「宝珠の森でしょ、シュリン。宮城が——神樹がある場所でしょ?」


 タンザの腕を握ったまま、急いで頷く。

 なるほど呼ばれたか、とクマさんが言った。


「行こう」


 ぐん、と手を引かれた。

 まろびそうになりながら、そのまま、走り出す。

 祭市の人混みをすり抜け、大通りから街を出て、木苺の茂みと、川を越える。

 そこから先は、やはり覚えのない道だった。


 進むたびに、わたしに知らせる音が近づいてくる。

 はやくはやく、と急かされる。

 届けてもらっていた泣き声は、力ない啜り泣きに変わっていた。


「ノーエちゃん、ルーちゃん」


 口にすれば、引かれる手に、ぎゅっと力が込められた。

 開けた草地を抜けた先、話に聞いていた通り本当に木々に覆われた深い森があった。

 道の先に、唐突に現れた背高の木の群生は、不自然に幾重にも折り重なり広がっている。


「ここ」


 タンザが踏み入れた場所は、瓦礫に満ちていた。

 わたしは宮城から出たことがなかったから、外から見たらどのような様相だったのか、確かに知りはしないけど。

 ずっと昔にいたはずの宮城の面影は、どこにもなかった。

 ひやりとした暗がりが、頭上で擦れる葉のざわめきの中、朽ちた石壁と瓦礫を深く浸している。

 それでも確かに肌に馴染む香りがした。

 しゃん、と神樹が知らせるささやきが森の奥から風にのって届く。

 

 不安定な足元に、膝が揺れた。はく、と息があらく乱れた。

 森の木々が落とす影の合間に、見たことのある屋根瓦に似た色の破片が、小石と一緒に転がっていた。


「歩ける?」

「歩け、ます」

「ノーエとルーがここにいるんだよね?」

「います。そう、遠くはありません。もう、すぐそこです」

「……入口の辺りか? 建物の中入ってないといいけど。いや、あそこもだいぶん崩れたし、二人じゃ境もわかんなかったかも」


 どっちかわかる、とタンザに聞かれて、首肯する。

 わたしが指差し、そちらへ足を向けると、タンザはそれ以上何も言わなかった。


 大きな瓦礫が続いて迂回できない場所は、タンザの手を借り、時折、引っ張りあげてもらいながら進んだ。

 足元から脆く崩れることが幾度も重なって、わたしは唇を噛み締める。


 二人の啜り泣きをいち早く捉えたのは、タンザだった。

 壊れた城壁を貫く木の幹に背を凭せ、二人は手を握りあって泣いていた。

 タンザを見つけた二人が、泣き声をひときわ大きくした。

 両手をタンザに向かって伸ばしても立ち上がれずにいるのは、足を怪我しているせいだ。

 膝あたりの衣が破れて血が滲んでいる。顔も擦り傷だらけだった。

 駆け寄ったタンザが二人を抱きしめて、ノーエちゃんとルーちゃんの背を叩く。


「泣くな泣くな。大丈夫だから」


 しゃんしゃんしゃらんと朽ちた宮城の奥で神樹が優しく枝を震わせて。

 わんわんと泣く二人の声が、辺りに木霊した。

 

 

 

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