十四【名前】(2021/12/14)

「タンザ、あんた、ソリくんに聞かれるまで気づかなかったの?」

「は? 母さんだって、あのの名前知らないんなら、聞いてなかったんでしょ?」

「いや、あたしは一応は聞いたけど……」

「おれだって、一応一回は聞いてるし」


 タンザとユノは、台所でこそこそと言い合った。

 ノーエとルーから貰った魚をユノが捌いて開き、手渡された魚をタンザは木桶の水で洗う。

 話題の少女は、ユノが頼んだ掃き掃除を、向こうの部屋でしてくれていた。

 箒を使い慣れないせいか、時折、くしゃみが台所まで聞こえてくる。

 ユノはタンザから返された魚に塩を塗り込みながら、顔を上向けた。


「名前を聞いても言わないから、なんて呼ばれてたのか聞いたんよ。そしたらあの子“いちのくらい”だって答えたの」

「何それ。名前なの?」

「じゃなさそうだから、他にはって聞いたら今度はクロだって」

「クロ!?」


 つい頓狂な声をあげてしまったタンザは慌てて後ろを振り返る。

 相変わらず、さっさっと箒の擦れる音が聞こえるのを確認して、「何その犬みたいな名前」と、声を落とした。


「けど、あの子、真顔で言うからさ、嘘ついているようでもないし」

「いやいや絶対どっちも名前じゃないでしょ。あだ名かなんかかな?」

「かもしれないけど、他にはないみたいだしねぇ」

「ええー……」


 困りきった顔で溜息をついた母を横目に見ながら、タンザは納得のいかない気持ちで、上の戸棚から吊るし網を取った。

 ユノに手渡された魚を並べて外に出たタンザは、風通しのよい軒下に吊るし網をひっかけておく。

 吹き込んだ風に震えながら、タンザは「呼び名だってもっとかわいいのあっただろ」とぼやいた。


「いちのくらいなんて意味がわからないし、クロも……いやいや、あのだよ?」

「でしょ? だからいっそ、あたしがかわいい名前をつけてしまおうかと思って、ずっと考えてたんだけど」

「え?」


 タンザはまじまじと母を凝視した。

 布巾で手を拭っているユノの顔つきは決然としていて、とても冗談を言っている雰囲気ではない。


「……母さん。それ、おれら、勝手につけてもいい感じなの? さすがに本人に許可とったほうがよくない? 嫌がられたらどうすんの。そりゃ、ちゃんとした名前で呼んであげたいけどさぁ」


 タンザが言うと、ユノは目を丸くした。


「そっか。……そうよね」


 我に返ったように、ユノは俯く。

 俯いたまま、うんうん、と頷きだした母にタンザが呆気にとられていると、ユノは突然パンッと両手を叩いた。


「そうよ。なら、許可取ればいいんよ。取って、かわいい名前にしちゃいましょう! そうね、タンザの言う通り。ちゃんとあの子に聞かなきゃね。なんか憧れの名前もあるかもしれんし」

「え」


 タンザが止めるよりも早く、ユノは名案だとでも言いたげに、早速向こうの部屋に続く戸を開いた。

 ユノの呼びかけに、箒を手にした少女が戸から顔を出す。


(え……今許可取るの!? そんないきなり決めちゃっていいの!!??)


 嬉々として提案を語るユノに、少女は口も挟まず静かに耳を傾けている。

 とんとん拍子に進んでしまった事態に、タンザは急に不安になった。


 




 

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