第37話 おみくじ
車はふたたび館山方面へと走り出す。
「この後どうしましょうか? 時間的にもう一、二か所、見て回れそうですけど」
「ほかにどんなところがあるの?」
「高速の入り口付近に、大きな道の駅があるみたいですよ」
「もう道の駅はいいかな。今ので満足しちゃった」
「そうですか」
千葉県にはまだまだ魅力的な道の駅がたくさんあって、その数、なんと29か所だという。一度の旅行で回り切れるはずがない。
きっとまた綾さんと旅行する機会もあるだろうから、その時までの楽しみに取っておこう。
「綾さん、どこか県民おすすめの場所って知りませんか?」
「うーん。すぐに思いつくのは
たしかに、険しい山道は綾さんには負担だろう。
牧場は、車椅子を借りれば回れないこともないのだろうけど、綾さんはあくまで自分の足で歩くのを良しとする人だ。その信条は守ってあげなくちゃいけない。
「あっ、そうだ!」
「どこか思い出しましたか?」
「館山の南のほうに神社があってね。日本三大金運パワースポットなんだって」
「へえ、そんなところがあるんですか」
「うん。私もこの間テレビで見て初めて知って」
「いいですね。じゃあ、そこに行ってみましょうか」
金運がアップするのなら、ぜひ僕もその恩恵にあずかりたい。
綾さんとどこに出かけるにしたってお金はかかるし、なにより結婚なんて話になったら、その資金だって必要だ。
……え? 気が早いって?
僕だってそうは思うけれど、『備えあれば患いなし』とも言うし、綾さんとの将来に向けた準備はいくらしてもいいよね?
「でも、大丈夫ですか?」
「ん? なにが?」
「拝殿まで、また階段なんじゃ」
僕には、お正月に綾さんと一緒に初詣に行った時の記憶がある。
あの時、綾さんは階段に手すりが付いているにも関わらず、拝殿には上らず、下から手を合わせるだけだった。
「その時はその時だよ。それに、私は社務所でお守りが買えればそれでいいから」
「そういうことでしたら」
車は館山市街から南に向かい、豊かな緑に囲まれたのどかな平地を進んでいく。
すると、伏せたお椀のようなこんもりとした小山を背景に、目的の神社がようやく姿を現した。
参道脇の駐車場に車を停め、降りるなり、うーん! と大きく伸びをする。
夏の青空、緑の山、そして僕たちを出迎える白い鳥居。色彩のコントラストがとても美しい神社だ。
「気持ちのいいところですね」
「そうだね。鳥居って赤いイメージが強いけど、白もいいね」
僕たちは参道へとゆっくり向かう。
「あっ……」
しかし、綾さんが参道を一目見るなり、表情を曇らせた。
「砂利道かあ」
どうやら綾さんは砂利に足を取られるのを心配しているようだ。
たしかに、ひとえに神社の参道といっても、タイプは様々だ。石畳が敷いてあったり土であったり、今回のように砂利道であったり。
僕にしてみれば、普段あまり気にも止めない違いだけれど、綾さんにとっては大きな問題なのだ。
「綾さん、こっちからも行けますよ」
幸い、参道に沿うように平坦なアスファルトの駐車場が奥まで続いている。こちらを通って社務所のすぐそばまで行くこともできそうだ。
参道の脇をゆっくり進み、二つ目の鳥居付近で合流する。階段に差しかかると、
「お嬢様、お手を」
「ありがとう、執事くん」
僕がうやうやしく差し出した手を、綾さんの柔らかい手が握る。さりげない気遣い。だけど、こうして綾さんの力になれるのが嬉しい。
境内には背の高い木々が立ち、この神社がこれまで積み重ねてきた古い歴史を雄弁に物語っている。ここに立っているだけで、自然のエネルギーが頭上から降り注いでくるかのようだ。
案の定、拝殿はさらに階段を上った奥にあった。
綾さんが財布を取り出し、小銭を僕に手渡す。
「じゃあ、私の分もお願いしてきてくれる?」
「一緒に上りませんか?」
「私はいいかな。律くん、行ってきてくれる?」
僕は固くうなずき、綾さんをその場に残して拝殿へと進んでいく。
周囲は静寂に包まれ、荒ぶる武士たちの心をも鎮めるような、しんとした空気に身が引き締まる思いがする。
僕は拝殿にやって来ると手を合わせ、一途に願う。
「この先、綾さんがずっと健康に過ごしていけますように」
恋愛シミュレーションゲームなら、ここで『その願い、叶えて進ぜよう』なんて天の声が聞こえてきそうなものだけれど、現実はそうはいかない。
戻ってくると、綾さんは社務所でお守りを眺めていた。
「ねえ、律くん。どれがいいと思う?」
色とりどりに並べられたお守りを真剣な眼差して選ぶ綾さん。お札やオーソドックスなお守り、勾玉、丸い輪、八角形の物など様々な種類がある。
「この『金運守』というのがいいんじゃないですか? 金運アップの神社ですし」
「『縁結び守』もあるけど?」
「僕たち、もう結ばれているじゃないですか」
「ふふっ、それもそっか。でも、こっちの『円満の御守』も可愛い。迷うなあ」
結局、綾さんは複数のお守りを買い、今度はおみくじのコーナーへ。
「律くん、せっかくだし引いていこうよ」
「いいですよ。でも、凶が出たらどうしよう」
「凶なんてめったに引かないから、むしろラッキーなんじゃない?」
「綾さんのそのポジティブさ、僕は好きです」
お互い木箱に百円を入れ、一枚ずつおみくじを引き出す。
「やった、大吉だ! 綾さんは?」
「私は吉だった」
「僕の勝ちですね」
「別に勝ち負けじゃないし。発想が子供なんだよなあ」
しまった。大吉に浮かれるあまり、綾さんにまた子供扱いされてしまった。
「悔しいから、もう一回引こうかな」
「綾さんも案外子供ですね」
おみくじを読んでみる。どうやら僕は、感謝の気持ちさえ忘れなければ万事上手くいくらしい。
大事だよね、感謝の気持ち。
好きな綾さんとこうして一緒に過ごせる日々を当たり前と思わず、感謝の気持ちをいつも忘れない。
その気持ちこそが、僕たち二人がいつまでも円満でいられるための秘訣なのかもしれない。
「律くんのも見せて」
綾さんとおみくじを交換して読み合う。
綾さんは、願望も叶うし待ち人も来るし失せ物も出てくるしで、なかなか良さそうなことが書いてある。
ただ、『健康』の項目だけが気になった。
それは、病は長引くから信心せよ、といった内容だった。
にわかに嫌な予感がよぎる。
この旅行で感じた綾さんへの違和感――歩き方が普段よりも左右に揺れている気がするのは、どう考えたって間違いじゃない。
この先、綾さんの身になにも起こらなければいいけれど……。
「私は結んでいくけど、律くんはどうする?」
「僕も結んでいきます」
綾さんのおみくじのとなりに、僕のおみくじを固く結ぶ。
どうかこの先も綾さんのとなりにずっといられますように。
最後に鳥居にやって来ると、ふり返って一礼し、僕たちは車に乗りこんだ。
「さて、この後はどうしましょうか?」
「……そろそろ帰らなきゃだよね?」
「そうですね。高速道路のSAにも美味しい所があるみたいですよ。一般道からも来られるみたいです」
「じゃあ、そこに寄ってお昼を食べて帰ろっか。少し遅いお昼になっちゃうかもだけど」
僕たちを乗せた車は神社を離れ、やがて館山市街に入っていく。そろそろ旅の終わりの時間が近づいていた。
「ねえ、律くん」
「なんですか?」
「もし、私が『帰りたくない』って言ったら、律くん、どうする?」
「もう一泊します?」
「ううん。薬のこともあるし、帰らなきゃなんだけどね。だけど、このまま帰るのは寂しなって。ちょっとわがまま言ってみました」
綾さんがしんみりとした声で告げる。
いつかは夢から覚めるように、僕たちの旅にだって終わりは来る。
それは避けようのない事実で、僕たちは受け入れなくちゃいけない。
綾さんからは、少しはわがままを言ってもいい、と許しを得ている。
だったら、最後に一つくらい、わがままを言わせてもらおうかな。
「綾さん」
「なあに?」
「逆に、もし僕が『綾さんを帰したくない』と言ったら、どうします?」
助手席に座る綾さんが、ニヤニヤと意味深な笑みを深める。
「な、なんですか?」
「いやあ、律くんも言うようになったなって。お姉さんは嬉しいよ」
「そうやってすぐ子供扱いする」
綾さんは楽しげに笑う。
そして、道の先を見つめながら、しみじみと感慨深げに言うのだった。
「最高の旅行だったね、律くん」
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