第29話 小学校

 国道十六号線をひたすら南下し、いよいよ千葉北ICインターから高速道路に乗りこむ。

 館山までの道は、三月に出かけた木更津までの道としばらく一緒だから、前回よりはいくらか気持ちに余裕がある。

 一直線に貫かれた長い高速道路の先は、夏の青空へと続いている。あいかわらず山のない景色で、視界をさえぎるものがないから、とても清々しい。


「もっと混んでいると思いましたけどね。意外と空いていて、この調子だと予定よりもずっと早く館山につきそうです」

「学校がまだ夏休みに入らないもんね。瞳ちゃんもちょうど定期試験の時期なんじゃないかしら」

「そうですね。山根さん、試験が終わっても今年の夏は塾の講習が大変だそうで、アルバイトにはあまり来れないかもって言ってました」

「それなら安心ね」

「そんなに邪険にしなくても」


 山根さんは高校三年生ながら、これまで受験勉強とアルバイトとを見事に両立させてきた。

 人は見かけによらないと言うけれど、山根さんもまた、いかにも美少女といった可憐な顔立ちからは想像もつかないようなたくましさを発揮して、いつも精一杯努力している。

 そんな山根さんの健気な姿を見ていると、僕もつい応援したくなる。


「律くん、もしかして、今、瞳ちゃんのこと考えてる?」

「えっ? あ、ごめんなさい。ちょっと考えてました」

「瞳ちゃんは律くんのお気に入りだもんねー。律くんが好きなメイド服もよくお似合いですし。どーぞどーぞ、ご自由に」

「そんな言い方しなくても。そもそも綾さんが言い出したからじゃないですか」


 山根さんの力になってあげたい気持ちはあるけれど、そうすれば今度は綾さんが不機嫌になるし……。僕はなかなか難しい立場にいる。


「もしかして、綾さん、嫉妬してます?」

「いいえ。ぜんぜん」

「僕が雪斗に嫉妬する気持ち、少しは分かってくれました?」

「分かんない。そんなの知らない。だいたい、雪斗は二次元で、瞳ちゃんは三次元だもん。一緒にしないで」

「はいはい。僕が悪かったです」


 埒が明かないので、早々に引き下がる。

 たしかに、綾さんとのデート中に山根さんのことを考える僕も悪いよね。

 せっかく、こうして綾さんと二人きりでいるんだもの。僕だって全力で綾さんと向き合いたい。


 車はまもなく木更津JCTジャンクションに差しかかる。

 前回はここを西に折れて海ほたる方面に向かったけれど、今回は館山道をひたすら南下する。

 南房総は未知の領域だけど、ナビもあるし、幸い車も少ない。とにかく安全運転を心がければ大丈夫だよね?


「そうだ。綾さん、道の駅に行きたがっていましたよね」

「うん、テレビで特集されているのを見て、気になって」

「だったら、ちょっと寄り道していきます? 廃校になった小学校を改築した道の駅が、途中にあるみたいなんですけど」

「そこもテレビに映ってた! 行ってみたい!」

「仰せのままに」


 姫がそうおっしゃるなら、お連れするのが僕の使命というものだよね。

 途中でハンドルを切り、ひとまず高速道路を降りる。目的の道の駅は、高速出口のすぐそばにあった。


 ゆっくりと、道の駅の敷地のなかへと入っていく。

 正面には小学校の校舎、右手には体育館がL地型に並んでいる。

 アスファルトで整備された駐車場をゆっくり回り、障害者用の駐車スペースを見つけて車を停める。

 ……って、この駐車場、元々は校庭だった場所だよね? あまりに綺麗に整備されているものだから、気づくのに時間がかかってしまった。


「律くん、よくこの場所を知っていたね」

「ガイドブックの最初のページに載っていたので。読んでおいてよかったです」


 車を降り、まずは体育館のほうへ。

 リノベーションがすっかり済んだその建物は、半透明な壁からの採光が明るく行き届き、体育館というよりは巨大なビニールハウスといった趣がある。


 なかには落花生やびわ、野菜などのほかに、千葉県ならではのお菓子やキャラクターグッズなどが置かれていた。


「見て! これ、面白い!」


 綾さんがお菓子の一つを手に取り、思わず笑みをこぼす。

 それは、ランドセルの形をしたパッケージのお菓子だった。

 どうやら、なかにはどら焼きが入っているらしい。赤と黒の二種類のランドセルがあり、それぞれ味が違うようだ。


「これほど小学校にぴったりなお土産もないですね」

「ほんと、みんなよく考えるよね。これなら、どこに行ったか一目瞭然だもん」


 感心しつつ、今度は体育館の外へ。

 よく手入れされたあじさいの花壇を横目に眺めつつ、今度は小学校の校舎に足を運んでみる。

 こちらはかつての教室の雰囲気を残しつつ、外からも出入りしやすいように改装された飲食店が軒を連ねていた。


「うわあ、小学校の給食みたいなメニューがある。懐かしい~」


 綾さんが、目を輝かせながら看板の写真を見つめる。

 その視線の先には、銀のお盆やお皿に盛りつけられた料理が写し出されていた。


「お店の雰囲気も昔の教室のままですし、ほんとうに給食を食べているような気分になれそうですね」


 とはいえ、時計を見ると、まだ十時半を過ぎた辺り。お昼にはまだ早い。

 結局、僕たちは別のカフェでアイスを買い、二宮金次郎像のそばのベンチに座って食べた。

 今日はまだまだ運転するのだし、適度に休憩しないとね。


「二階の教室は宿泊施設になっているみたいですよ。お風呂もあるそうです」

「もう道の駅の域を超えちゃってるね。それにしても、夜の学校ってちょっと怖そう」

「昔、流行りましたもんね。学校の怪談とか」


 綾さんと顔を見合わせ、笑い合う。

 トイレの花子さんとか、動く人体模型とか、そういった類の怪奇現象は、いつだって小学生を夢中にする。


「ところで、綾さんってどんな小学生だったんですか?」

「わりと真面目なほうだったよ。学級委員をしたこともあるし」

「綾さん、リーダーシップ取れそうですもんね。男子からモテたんじゃないですか?」

「モテないよ。それを言ったら、律くんのほうが女子からモテたでしょ」

「僕がモテるわけないじゃないですか。僕は目立たない生徒でしたから」

「きっと律くんが気づいていなかっただけじゃないかな。律くんの隠れファンもいたと思うよ」

「そう言ってくれるのは綾さんだけです」


 綾さんはいつだって僕に優しい。

 けれども、今回ばかりはさすがに綾さんのひいき目が過ぎる。

 小学生の僕は、引っ込み思案で、団体競技が苦手な、校庭の隅で一人縄跳びを飛んでいるような子だった。

 綾さんが同じクラスにいたら、今みたいに僕に温かく接してくれたかな?


「小学生の頃の綾さんもきっと可愛かったんでしょうね。いつか見てみたいです」

「え? 律くんって、もしかしてロリコン?」

「やめてください。相手が綾さんだからです」

「ふふっ、冗談だよ。あの頃はまだ健康だったから、今よりずっと明るかったかな」

「今でも明るいと思いますけど」

「律くんのおかげだよ。律くんと出会って、気持ちがずっと明るくなれた。やっぱり彼氏がいるっていいね」

「そう言われると、くすぐったいです」

「でも、私、こう見えてけっこう闇を抱えているから。いつか律くんにすべてをさらけ出しても許してね」

「いいですよ。綾さんの闇の部分もちゃんと受け止めてみせますから」

「ククク。では、いずれ見せようぞ。闇に染まりし我が真の姿を」

「なんで急に中二病みたいになるんですか」

「闇属性を演じてみました」


 綾さんが茶目っ気たっぷりに笑う。


 綾さんが心に闇を抱えているというのは、なんとなく分かる気がする。

 病気が綾さんの心に暗い影を射すことだってあるだろう。


 綾さんの心が病気への不安や恐怖で曇った時は、僕がふり払ってあげたい。


 こんな僕でも、綾さんの笑顔をずっと守ってあげられたらって思うんだ。

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