第19話 悪役令嬢

 僕たちはファーストフードを出ると、駅の改札を目指して歩き出した。

 僕はここから家まで歩いて帰れるけれど、山根さんは電車に乗るのだと言う。


「駅まで送っていくよ」

「えっ、いいんですか?」

「夜に高校生を放ってはおけないよ。最近は物騒なニュースも多いしね」

「ですよねー。じゃあ、お言葉に甘えて」


 山根さんはニコニコッと無邪気な笑みをほころばせる。

 山根さんと並んで繁華街を歩く。どうして僕に懐いてくれるのかは分からないけれど、妹ができたみたいで、一緒にいるとホッと心が和んでしまう。


 まもなく改札に到着すると、山根さんは僕に向かって丁寧にお辞儀をした。


「今日はありがとうございました。律先輩とお話できて、すっごく楽しかったです」

「それはよかった」

「……時々でいいので、こうしてまた私と一緒に過ごしてもらえませんか?」


 山根さんがキラキラした無垢な瞳で僕を見上げる。


 僕はどう答えればいいのだろう?

 こんな僕でよければ、山根さんの力になってあげたいとは思う。

 けれども、僕には綾さんというかけがえのない彼女がいるわけで。他の女の子と二人でたびたび過ごすというわけには……。


 山根さんは思いつめたように話を続ける。


「私、勉強に自信がなくて、一人でいると急に不安にかられたり、情緒不安定になったりするんです。でも、律先輩と一緒なら、勉強も教えてもらえますし、心もすごく楽になって、受験も上手くいくような気がして……。あっ、もちろん彼女さんがいるのは分かっています。……でも、SNSで知り合った程度の人なら、私にもチャンスがあるかなって」


 山根さんは一気にそこまで言うと、さらに真剣な声で告げた。


「律先輩。私も、先輩のとなりにいちゃダメですか?」


 期待するような、怯えるような、相反する二つの感情の間で、山根さんの綺麗な瞳が揺れている。

 僕はたまらず口を開く。


「山根さん……」

「『瞳』って呼んでください。学校ではみんなそう呼びます」


 山根さんは僕の袖の先をきゅっと握り、さらに距離をつめて迫ってくる。

 そんな山根さんのすがるような必死な思いに、僕はたじろいだ。


 そもそも、山根さんの学校って女子校だよね? 女友達が下の名前で呼ぶのと、男性が呼ぶのとでは、だいぶ意味が異なるのでは?


 改札の向こうに、電車の往来を知らせる掲示板が見えた。山根さんが乗る電車はあと五分もすれば到着する。


「そ、そろそろ電車が来そうだよ。帰らないと」

「私、まだ返事をもらってません!」


 山根さんはつかんだ袖にさらに力をこめ、少しも離そうとしない。


 参ったな。山根さんにこんなに頑なな一面があっただなんて。

 職場では元気で明るくて、天真爛漫なイメージだったから、その裏側で受験に対する大きな不安を隠し持っていたなんて想像もしていなかった。


 綾さんに迷惑がかからない範囲でいいって本人が言ってくれているのだし、受験の不安も分かるから、受け入れてあげたいけれど……。


「私、二番目でもいいですから。私には律先輩が必要なんです。お願いします」


 山根さんはついに両手で僕の手を包むように握り、最後の念押しとばかりに切に訴える。

 その潤んだ瞳に、僕の心が山根さんのほうにぐらりと傾く。


 その時だった。


 山根さんが乗るのと反対方向の電車が駅に到着する。すると、家路を急ぐサラリーマンたちに交じって、僕は見覚えのある顔を発見した。

 向こうでも僕に気づいたらしい。

 すらりと背の高い、モデル体型のきりっとした彼女が、僕のほうに近づいてきた。


「黒木梨華さん?」

「君はたしか、綾の」


 梨華さんは僕のとなりに立っていた山根さんを見下ろし、それから僕に鋭い目を向けた。


「これはいったい、どういうことだい?」

「いや、この子はバイト先で知り合った……」


 僕が言いよどむと、山根さんは微妙な空気が漂いはじめたのを敏感に察知したらしい。


「あっ、そろそろ電車が来ちゃう! 私、もう行きますねっ!」


 山根さんは慌てたようにそう言うと、改札を抜け、一度立ち止まってふり返り、


「律先輩、ばいばーいっ!」


 と大手をふって、楽しげにホームへと駆けていった。

 山根さんの姿が見えなくなると、僕は大きく息を吐き出した。


「ありがとうございます。梨華さんのおかげで助かりました」

「むしろ見られては困る場面だったのではないのかい?」

「いえ、そんなことは」

「君がどういうつもりだったかは分からないけれど、少なくとも、あの子は君が思っている以上に本気なんじゃない?」


 梨華さんは抑揚を抑えた調子で告げる。けれども、その声には僕を叱責するような響きが含まれているように、僕には感じられた。


 家に帰り、暗い部屋の明かりをつける。

 それからベッドに横になると、スマートフォンを手に取り、綾さんに電話をかけた。


 今日あった出来事を、綾さんにちゃんと話しておいたほうがいいよね?


 胸の内に暗く広がる後ろめたさをかき消したくて、僕は綾さんの声を求める。

 けれども、綾さんはいつまでも通話中で、僕には応えてくれなかった。






 翌朝。

 大学に行く予定もなく、ゆっくりとした朝の時間を過ごしていると、突然、家のチャイムが鳴った。


 だれだろう? こんな時間に。

 恐るおそる、家の扉をそっと開けてみる。


「綾さんっ!?」


 なんと、玄関先に立っていたのは綾さんだった。

 マスクをした綾さんは、不機嫌そうに眉を吊り上げ、鋭い目でキッと僕を睨んでいる。

 かと思うと、険しい顔はくしゃっと崩れ、今にも泣き出しそうな表情へと変化した。


「…………ッ!」


 綾さんが、なにも言わずに僕に歩み寄る。

 そして、いきなり僕をぎゅっと抱きかかえ、懐に顔をうずめてきた。


「あ、綾さん?」


 綾さんの肩が小さく震えている。

 綾さんが落ち着くまでじっとして待っていると、ようやく綾さんが顔を上げた。

 綾さんの目尻には、大きな涙の粒が浮かんでいた。


「律くんのバカッ!」


 綾さんの白い頬を、一筋の涙が伝っていく。

 僕はすべてを理解した。

 昨日何度も電話をかけても、綾さんが出なかった理由。通話中だった相手は、きっと梨華さんだ。


 僕は綾さんを部屋へと招き入れ、コーヒーを入れると、事情をすべて打ち明けた。

 綾さんはマグカップを口に運び、ゆっくり飲みながら、難しい顔をして聞いている。


「……なるほど。そのJKは律くんに勉強を見てほしいふりをして近づき、言葉巧みに言い寄ってきたってわけね」

「ふりではなかったと思いますけど」

「ふうん、律くんはその子の肩を持つんだ。山根瞳さんでしたっけ? さぞかしお可愛いんでしょうね」

「そんな棘のある言い方をしなくても。それに僕、ちゃんと言いましたよ。彼女がいるって」

「律くんは女を知らなすぎ!」


 突然、綾さんが苛立ったようにテーブルをバンッ! と叩いた。


「いい? 誰だって、恋をすると周りが見えなくなるものなの。律くんがいて、瞳って女がいる。そこにあるのは二人だけの世界で、周りの人間なんてただのエキストラなの。相手に彼女がいようがいなかろうが、二人だけの世界には関係ないんだから」

「そうなんですか?」

「そういうものよ。だいたい、女子高生が年上の異性に惹かれることくらい、律くんにだって想像がつくでしょう?」

「相手が僕でもですか?」

「律くんだからよ。だって律くん、格好いいし、優しいし、頼りがいもあるし、さりげない気配りだって出来るし、可愛いところもあって……。と、とにかく、律くんには女の子を好きにさせちゃう魅力がいっぱいあるんだから!」

「そんなに顔を真っ赤にして、もじもじしながら言わなくても」

「律くんだって顔がニヤけているじゃん! ほんとに反省してる?」


 僕、そんな顔していたかな?

 たしかに、綾さんにそんなふうに評価されていたなんて知ったら、しぜんと顔が緩んでしまうというものだ。


「それで、その瞳って子と連絡先は交換したの?」

「まさか」

「じゃあ、今度聞かれたら、私の連絡先を渡してちょうだい。世間知らずな小娘に現実を分からせてあげるわ」

「綾さん、すごく悪い顔していますよ」


 口元を怪しく歪ませて、不気味な笑みを浮かべる綾さん。まるでラノベの世界の悪役令嬢みたいだ。


「だいたい、律くんに隙があるのがいけないんだからね! 律くんは私のモノだってこと、ちゃんと自覚してください!」


 綾さんは頬をぷっくり膨らませて、僕に強く言い聞かせる。


 ごめんなさい、綾さん。

 怒った顔も可愛いです。


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