第18話 女子高生は小悪魔系

 僕が勤務する『燕屋珈琲』は、最寄り駅の百貨店のなかにある。


 大正時代の洋館をモチーフにした上品な店内はとても落ち着いていて、高級感が漂う大人の社交場という印象を受ける。


 女子の制服がメイド服のようで可愛いと評判のこのお店では、男子にもそれ相応の身なりが義務づけられている。

 白いシャツに赤いネクタイ、黒いベストを身につけた僕は、さながら執事のよう……とまではいかないけれど、普段のラフな格好と比べたらずっときちんとしていて、背筋がピンと伸びる思いがする。


「いらっしゃいませ」


 お客様をうやうやしくお迎えして、席にご案内する。そして注文を取ると、丁寧にお辞儀をし、カウンターの奥へと戻っていく。


 働きはじめて一週間。さすがに浮足立つことはなくなってきたけれど、それでも緊張感からはまだ抜け出せない。お客様に失礼がないように、とずっと気を張っているから、時おり息苦しさを覚えもする。


 早く慣れて、もっと自然に振る舞えるようになりたい。けれども、その域に達するまでにはもう少し時間がかかりそうだ。


「今日はお客さんが少なくて、ホッとしますね」


 ふいに声をかけられ、ふり返る。

 すると、そこにはメイド服姿の女子高生の姿があった。


「山根さん」

「もう、あいかわらずですね、律先輩は。『瞳』って、名前で呼んでくれてもいいんですよ?」


 天真爛漫な、いかにも女子高生らしい無邪気な笑みをこぼす山根瞳さん。

 アルバイト歴は僕より長く、いわば彼女のほうが先輩なわけだけれど、年下だからか、なにかと僕に気を遣ってくれる。


 小柄で元気で、どこか愛らしい小動物を思わせる山根さんは、メイド服がよく似合うなかなかの美少女だ。

 クラスの男子がきっと放っておかないだろうなと思っていたら、なんでも女子校に通っているらしい。彼氏は募集中です、と笑いながら教えてくれた。


「そうだ。実は、数学でちょっと分からない問題があって。もしよければ、仕事の後でちょっと教えてもらえませんか?」


 山根さんは三年生で、来年には大学受験を控えている。


「いいけど、僕に解けるかな」

「律先輩ならきっと解けますよ。約束しましたからね、絶対ですよっ!」


 山根さんは嬉しそうな笑顔を弾けさせ、僕にそう強く念を押すと、お客様の元へと去っていった。






 やがて仕事が終わり、ふたたび山根さんと落ち合う。僕たちは同じシフトで働いていて、帰る時間も一緒だった。

 山根さんは濃紺のセーラー服に着がえていた。職場では僕よりずっとしっかりしているけれど、こうして見ると、やっぱり正真正銘の女子高生だ。


「律先輩、お腹空きません? 一緒にファーストフードに行きませんか?」


 たしかに、もう夕食をすませていてもおかしくない時間だ。勉強を見てあげるにも、ファーストフードは都合がいいかもしれない。


「いいよ。一緒に行こうか」


 こうして、僕たちは街灯がともる駅前を並んで歩きはじめた。

 山根さんの足取りは翼が生えたみたいに軽やかで、鉛を引きずるかのような足取りの綾さんとはまるでちがう。


 その感覚は、僕には新鮮であり、また意外でもあった。

 綾さんのペースがいかに僕の身体に染みついているのかを、改めて思い知る。

 綾さん、僕が山根さんと二人きりでファーストフードに行ったら怒るかな? 事情を話せばきっと分かってくれるよね?


「すごいっ! ほんとに解けちゃった!」


 ファーストフードの二階席で数学を教えてあげると、山根さんは目を大きく見開いた。綾さんは階段を嫌がるから、二階席で食べるのも久しぶりだった。


「さすがは律先輩ですねー。教え方も上手ですし、私、尊敬しちゃいますっ!」

「ありがとう。でも、たまたま解けただけだから」


 褒められて悪い気はしないけれど、過大な評価は困ってしまう。

 ともあれ、無事に済んでホッとした。

 ファーストフードにまで入ったのに解けなかったらどうしようかと、内心ハラハラしていたから。


「律先輩のおかげで課題が終わりました。私、受験生なので、これからも分からないことがあったら時々教えてもらってもいいですか?」

「もちろん」

「やったぁ!」


 山根さんは心から嬉しそうに明るい声を弾ませる。

 こんな僕でも誰かの力になれるのなら、それは喜ばしいことだ。山根さんの屈託のない笑顔を前にして、ますます強くそう思う。


 けれども一方で、綾さんに対する後ろめたさもあったりして。

 こうして山根さんからのお願いをあっさり聞き入れてしまったけれど、ほんとうによかったのだろうか? 綾さんが変な誤解をして不機嫌にならなければいいけど……。


 山根さんは教材を鞄にしまい、ニコニコと美味しそうにポテトを頬ばる。

 その無邪気な食べっぷりを眺めていると、なんだか急に妹でもできたかのような、家族愛にも似た優しい気持ちが沸いてきた。


 そんな僕の視線に気づいたのか、山根さんが不思議そうに僕を見上げる。

 ふと、二人の視線が交錯する。

 山根さんは恥ずかしそうに僕からぱっと目をそらし、ふたたび僕のほうに顔を向けると、うかがうような上目づかいでたずねてきた。


「律先輩って、彼女はいるんですか?」


 山根さんの純粋な瞳に、好奇の色が浮かんでいる。


「まあ、いるけど」


 隠すことでもないので、正直に打ち明ける。けれども、実際に口に出して答えるのは、なんだか照れくさい。

 綾さんと付き合ってもう半年近く経つのに、こんな僕に綾さんみたいな素敵な彼女がいていいのだろうか、といまだに夢でも見ているような気持ちになってしまう。


 山根さんは、そんな僕の様子を目の当たりにして、クスクスと笑い出した。


「もー、なに照れているんですか。律先輩なら彼女くらいいても当然ですよ。で、どんな人なんです? どこで出会ったんですか? やっぱり大学ですか?」


 マスコミのインタビュアー並みにぐいぐい迫ってくる山根さん。どうやら恋愛に興味津々なようだ。


「どんな人って……どう説明すればいいんだろう」

「もったいぶらないでくださいよー。どういうタイプの方なんです? 特徴とかありませんか?」

「特徴、ね」


 綾さんの特徴をたずねられ、すぐに浮かんだのは『障害を持っている』ということだった。


 高校生の時に脳腫瘍を患い、その後遺症として足が健常者のようには動かなくなってしまった綾さん。そんな過酷な運命を背負わされてしまった女性は、世界にそう多くはないだろう。


 けれども、はたしてそれは綾さんの特徴なのだろうか?


 綾さんは己の過酷な運命と向き合いながら、健常者と同じように、いやそれ以上に、自分のことはなんでも自分でこなそうとする。

 綾さんは、障害者として特別扱いされることを望んではいないのだ。


 もちろん、助けてもらえれば感謝もするし、お礼の言葉も素直に告げる。綾さんの心は常に感謝の気持ちにあふれている。

 けれども、心の奥底では、自分が障害者であるという現実をまだ受け入れられないでいるのではないか? 

 そんな綾さんの本音は、たとえば車に障害者用のステッカーを貼るのを拒んだ態度にもよく表れていた。


 だから、綾さんの特徴に『障害』を挙げるのは、ちがう気がした。


「僕にはもったいないくらいの可愛い人だよ。それが特徴かな」

「完全にノロけているじゃないですか。写真はないんですか?」

「なくはないけど」

「見せてくださいっ!」

「また今度ね」

「ええ~っ!」


 前のめりだった山根さんが、がっくりと肩を落とす。けれども、めげずに次の質問をくり出してくる。


「それで、どんな出会いだったんですか?」

「SNSで偶然知り合ったんだ」

「へえ、SNSで。それじゃ、ほんとうのところは分からないですね」

「どういうこと?」

「だってほら、SNSでは見せない裏の顔もあるじゃないですか。だから、律先輩の彼女さんにも、律先輩の知らない一面があるかもしれないなって」


 山根さんは無邪気な笑みを浮かべて、怖いことをさらりと告げる。


 たしかに、そうかもしれない。

 実際、綾さんははじめ障害を抱えていることを打ち明けていなかったし。


 けれども、僕と綾さんが共に過ごした日々は、けっして浅くはないから。

 今では綾さんの良き理解者になれている、と僕は信じたい。


「いいなー。私も律先輩みたいな彼氏が欲しいなー」


 山根さんは甘い声を転がせながらニコッと僕に微笑みかけ、ドリンクのストローを口にくわえた。


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