第三章 幕張ティア・ドロップ
第17話 キャンパスライフ
四月初旬。
春の日差しが射しこむまぶしい大学の構内を、感慨深げに足を踏みしめ歩いていく。
僕は二年生となり、毎日とはいかないまでも、大学に少しずつ通えるようになっていた。三月後半に緊急事態宣言が解除されたのに合わせて、対面での授業がようやく再開したのだ。
構内に色づく爽やかな緑の木々。笑い合う生徒たち。上京した時に思い描いていたキャンパスライフを、僕は一年の時を経て今まさに体験していた。
生徒はみんなマスクをしているものの、集まればどうしたって賑やかになってしまうものらしい。ずっと我慢を強いられてきたから、ようやく顔を合わせることができて、喜びを抑えきれないみたいだ。
明るい構内を進んでいくと、やがてガラス張りの大きな校舎に行きついた。
その建物の一階は、カフェテリアになっている。僕は綾さんとここで落ち合い、一緒にお昼を食べる約束になっていた。
「綾さんはまだ来ていないのかな」
僕のスマートフォンには、綾さんからの連絡はまだ届いていない。どうやら僕のほうが先に着いたみたいだ。
カフェテリアのなかの様子をうかがってみる。
テーブルにはアクリル板が規則正しく並べられ、壁には『黙食』と書かれたポスターが貼られている。
ちょうどお昼時とあって、たくさんの生徒が行き交い、当然、女子大生の数も多い。
黒髪の子もいれば、茶髪の子もいる。
ピンクや白といった春らしい服装の人もいれば、黒やグレーといった落ち着いた雰囲気の人もいる。
容姿もスタイルも十人十色だけれど、どの女子学生にも華があって、見ているだけで不慣れな僕はドキドキしてしまう。
カフェテリアの入り口で綾さんをじっと待つ。すると、まもなく綾さんがエスカレーターに乗って下りてきた。
その横には、初めて見かける女性の姿もあった。
「綾さん、こっちです」
僕の声に、綾さんがハッとふり返る。
そして、僕を見つけた途端、嬉しそうに表情を和らげて、小さな歩幅で近づいてきた。
「ごめんね。ちょっと長引いちゃって。待った?」
「いえ、ちょうど今来たところです。ところで、そちらの方は?」
綾さんの後ろに立つ、すらりと背の高い女性に目をやる。
「紹介するね。黒木梨華ちゃん。私の友達で、高校の同級生」
「初めまして」
梨華さんが涼やかに会釈する。
綾さんの同級生ということは、僕より一つ年上か。モデル体型の美人さんで、挨拶一つでも絵になる人だ。
「綾、私はこの辺で」
「うん、ありがとう」
「どうぞごゆっくり」
彼女は綾さんに声をかけ、それから僕を一瞥すると、フフッ、と意味深な笑みを浮かべて去っていった。
「梨華ちゃん、私のことを気にかけて、ここまでついてきてくれたの」
「いい人ですね」
「うん、おかげで助かっちゃった」
綾さんが、遠ざかる梨華さんの背中を見送りながら、嬉しそうに目を細める。
梨華さんは僕を見てどう思っただろう? 少しは綾さんに釣り合う彼氏だと思ってくれただろうか? 意味深な笑みの
梨華さんの後ろ姿が見えなくなると、僕たちは二人でカフェテリアへと入っていった。
「でも、珍しいですね。綾さんがこういうところで食べたがるなんて」
奥に大きなカウンターがあり、トレイを持った生徒たちが、食券と引き換えに注文した料理を順に受け取っていた。
綾さん、フードコートのような、自分で料理を席まで運ばなければならないスタイルは苦手なんじゃ……。
「せっかく大学に通えるようになったんだもの。一度は利用してみたいじゃない?」
なるほど、ここの学生なら誰だってそう思うよね。
どのメニューも美味しそうだし、なにより一人暮らしの僕には、バランスのよい食事が安価で食べられるというだけで、すごくありがたい。
空席を見つけると、僕は綾さんを座らせた。
「僕、綾さんのランチも取ってきますから」
「そんな。別に気を遣ってくれなくていいのに」
「いえ、これくらいさせてください」
綾さんと一緒に食事をする。それだけで大学食堂のランチでさえごちそうに変わってしまうのだから、このくらい、僕にも手伝わせてほしい。
アクリル板越しに綾さんを眺めながら、美味しいランチをいただく。
綾さんが明るい声で言った。
「この時期はお弁当を持ってきて、外で食べてもいいかもね。外にもテーブルあったし。あ、律くんは花粉症、大丈夫?」
「今のところは平気です」
「じゃあさ、次回はお弁当にしようよ。私、作ってきてあげるよ」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん」
綾さんがにこやかに快諾する。
「嬉しいです。綾さんの手料理が食べられるなんて」
「手料理風に見せかけて、実は冷凍食品かもよ?」
「綾さんからいただける物なら、なんだって美味しいです」
「ふうん。じゃあ、冷凍食品でいっか」
「あっ、でも、できれば手料理のほうが」
僕が素直な気持ちを打ち明けると、綾さんは笑い出した。
「しょうがないなぁ。お姉さんが腕によりをかけて作ってきてあげよう」
「やった」
「もちろん、毎回ってわけにはいかないけどね。こっちも将来の練習になるし」
「練習? なんのです?」
「……愛妻弁当の」
綾さんはうつむき、気恥ずかしそうにぼそっと答える。
綾さん、その可愛さは反則でしょう。
僕まで照れくさくなってしまいます。
綾さんもまた、自分が発した言葉の恥ずかしさに耐えかねたのか、話題を変えてきた。
「と、ところで律くん。アルバイトは順調かね?」
実は、僕は最近アルバイトをはじめていた。喫茶店のウェイターの仕事だった。
綾さんとはこの先もずっと一緒にいたい。そして、綾さんをいろんな場所に連れて行ってあげたい。でも、そのためには軍資金が必要なわけで。僕は綾さんに少しでも喜んでもらいたい一心で、アルバイトを決断したのだった。
好きな人のために頑張れるって、なんかいいよね。
「まだ不慣れで緊張しますけど、少しずつ仕事を覚えてきました」
「あのお店の制服、可愛いよね。メイド服みたいで」
僕が勤める『燕屋珈琲』は、大正時代の洋館をモチーフにしているらしく、女性は黒と白を基調にした可愛らしい制服を身につけている。それが現代におけるメイド服のようだ、と密かな人気となっていた。
「律くん、制服で仕事を選んだでしょう? 好きだもんね、メイド服」
「誤解ですから。一応、塾講師も考えましたけど、綾さんが嫌だって言うから」
「律くんが先生だったら、女子高生がお熱を上げちゃうもんね」
「そんなことはないと思うけどなあ」
「で、可愛い子はいた?」
「お店にですか?」
「うん。いるんでしょう? 可愛い子がいっぱい」
「いっぱいかどうかは分かりませんけど」
そりゃ、いるよね。
女の子がメイド服みたいな制服を身にまとっているんだもの。どうしたって可愛いに決まっている。
けれども、そういう正論では綾さんは納得しないらしい。
僕より年上のお姉さん彼女は、余裕ぶった態度で僕の話に耳を傾けながら、わずかに頬をぷっくりと膨らませていた。
ここで機嫌を損ねてしまっては大変だ。
「でも、僕にとって一番可愛いのは綾さんですから」
「律くん、最近そう言えば許されると思っているよね?」
「別にそういうわけじゃ。許してもらえませんか?」
「それは律くんの今後の態度次第だよ」
綾さんが、ごちそうさま、と手を合わせて箸を置き、さらに念を押す。
「律くんの今後の態度次第で、お弁当が冷凍食品になるか手料理になるかが決まるんだからね」
「心得ました」
「よろしい。くれぐれも、お店に可愛い子がいても浮気しないように」
「しませんって。綾さん以外の人なんて求めてませんから」
こうして、僕たちは食事を終え、それぞれの学部の午後の授業へと別れていった。
綾さんのお弁当、楽しみだな。
しかし、こうしてキャンパスライフに心をときめかせていたのも束の間。
ふたたび緊急事態宣言が発令されると、またしても以前のような完全オンライン授業に切り替わってしまった。
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