第15話 アウトレット・プリンセス
フードコートがある大きな建物をようやく出る。
午後になり、ショッピングを楽しむ人の数が目に見えて増えてきた。
そろそろ帰りの時間を念頭に置きながら行動しないと。タイミングを一歩まちがえると、夕方の渋滞に巻きこまれてしまいそうだ。
「そういえば、綾さんってまだ靴しか買っていませんよね。服とかはいいんですか?」
「だって、ここには律くんが好きなメイド服は売っていないし」
「その話は忘れてください」
「ふふっ、冗談だよ。最初に見たお店の辺りをもう一度見ようかなって」
「それじゃ、車のほうに戻ります? まだ見ていないお店はたくさんありますけど」
「うん、いいよ。十分楽しめたし」
こうして、僕たちは来た道をふたたび戻りはじめた。
まだ敷地内の三分の一も歩いていないけれど、綾さんの足への負担を考えれば、今回はこれくらいでいいのかもね。
「律くんこそ、なにも買っていないけど、いいの?」
「僕は元々そんなに買う予定はなかったので」
「でも、せめて服だけは買おうね。彼氏が格好悪くて恥ずかしい思いをするのは、彼女なんだからね」
それはもう、すみませんとしか言いようがない。
あいにく、僕は都会の人たちのようなおしゃれなセンスを持ち合わせていない。ファッションにたいして興味があるわけでもない。
けれども、綾さんに恥はかかせられない。そんなことをすれば、綾さんに愛想を尽かされ、やがて別れが訪れてしまうかもしれない。その時になって泣いてすがったって、もう遅いのだ。
「律くん、どうしたの? 顔色が悪いけど」
「いえ、綾さんに捨てられる未来を想像したら、急に悪寒が」
ぶるっと身を震わせる僕。
もう二度とあんな孤独な日々には戻りたくない。
「もう、そんな心配しなくていいのに。……私から見たら、どんな律くんだって格好いいんだからさ」
僕の腕をさらにぎゅっと抱きかかえ、ごにょごにょと、うつむきながらつぶやく綾さん。
「え? 今なんて?」
「き、聞こえていたでしょっ。もう言わないっ」
「もう一度言ってほしかったなあ」
とはいえ、たいして格好よくない自覚もあるから、無理強いはできない。
とにかく、もっと綾さんの自慢の彼氏になれるように、これからは見た目やファッションセンスも磨いていかなくちゃ。
大学で教わることも、そうでないことも、僕はもっともっと学ばなくちゃいけない。
ショーウィンドウに飾られたマネキンたちが着ている服を眺めてみる。この時期にぴったりな春めいた衣装もあれば、これから来る初夏に向けた爽やかな装いもある。
綾さんとのお出かけ用に、気の利いた服の一着でも持っておくといいのだろうけど。
あいにく、お金が……。
やっぱり、アルバイトをするしかないな。さっそく夜にでも仕事を探してみよう。
「綾さん。もし僕がアルバイトをするとしたら、どんな仕事が似合うと思います?」
「うーん、塾講師とかは? 給料いいらしいよ」
「それは責任重大だなあ。受験生の人生を左右しかねませんし」
「大丈夫だよ。律くんが先生なら、私、めっちゃ勉強したと思う」
「それは綾さんだからでしょう」
綾さんがおかしそうにクスクスと笑う。
いったい、頭のなかでどんな妄想を広げているのだろう?
「僕も、綾さんみたいな生徒がいたら、すごく張り切るんでしょうけどね」
「……やっぱり塾講師はダメ」
「えっ、どうしてですか?」
「だって、律くんが女子高生を好きになったら困るじゃん」
「なりませんよ。僕には綾さんがいますから」
「でも、さっきの言い方、怪しかったからなー。好きな生徒のために張り切る先生とか、ちょっとなー」
「好きな生徒のためじゃなく、好きな綾さんのため、じゃダメですか?」
「あうぅ……それは少しもダメじゃないけど。でも、律くんが先生だったら、私、やっぱり成績下がったかも」
「どうしてです?」
「だって、きっと律くんのことしか考えられなくなっちゃうから」
もじもじとそう打ち明ける綾さんの顔が、みるみる赤く染まっていく。
綾さん、可愛すぎません?
「綾さんの高校時代って、どんな生徒だったんですか?」
「私はほとんど入院していたから」
「でも、制服を着る機会はあったんですよね? 綾さんの制服姿、見てみたかったな」
「なに? メイド服の次は制服? 律くんって、なにげにコスプレ趣味だよね」
「い、いえっ。けっしてそういうわけじゃ」
綾さんはジト目で僕を見上げ、つんつん、と責めるように頬を突いてくる。
もしかしたら、僕は自覚している以上に発想がサブカルチャー寄りなのかもしれない。
「分かった。今度、律くんがちゃんと塾講師をやれるかどうか、私がテストしてあげる」
「テスト?」
「うん。私が高校の制服を着て生徒役をやってあげるから、律くんは、私がどんなに誘惑しても惑わされずに先生をやり遂げてね。合格できたら塾講師をやってもいいよ」
「そんな拷問みたいなテスト、受けたくないですよ。ていうか、それ、綾さんが楽しいだけでしょう?」
「バレたか」
綾さんが悪戯っぽく笑う。
まったく、綾さんには敵わない。
綾さんと話していると、時が経つのも忘れるくらい楽しくて、ずっとこうしていたいと願ってしまう。
それにしても、目的のお店になかなか到着できない。
心なしか、元々ゆっくりだった綾さんの足取りが、午前中よりもさらに重く引きずっているような……。
僕はそう気づいて、ハッとした。
「綾さん。足、痛いんですね」
ギクッと身体を硬直させる綾さん。
綾さんが急に腕を組んできたら、おかしいと思ったんだ。
綾さんは僕に甘えた態度を取って、心配をかけまいとしながら、実は僕の身体を支えにしていたんだ。
「い、痛くないよ、ぜんぜん。普通に歩いていてもヘーキだし」
綾さんは目をそらし、首をぎこちなく左右にふる。なんて分かりやすい嘘なんだ。
僕はため息をついた。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろう?
目的のお店は、あの角を曲がればすぐだ。
僕の足なら、一分とかからずにたどり着ける。
人通りは多いけれど、他人の目なんか気にしていられない。
僕は覚悟を決めた。
「綾さん、少しの間じっとしていてくださいね」
「律くん、なにする気? って、きゃあぁ~~っ!」
僕は綾さんのスレンダーな身体を抱きかかえると、脚を持ち上げた。いわゆる『お姫様抱っこ』だ。
平凡なはずの僕の人生において、お姫様のように可愛い彼女を抱っこするようなドラマチックな日が来るとは夢にも思わなかった。
「律くんやめてっ! もう治った、治ったから!」
「ちょっとの辛抱です。すぐ着きますから」
「私、重いから!」
「綾さんは空気みたいに軽いです」
「嘘ばっかり! 呼吸乱れてるじゃん! お願いだからもう下ろして~っ!」
僕の腕にすっぽり収まり、真っ赤に茹で上がった顔を両手でおおい隠す綾さん。
でも、他に方法がないんだから仕方ないじゃないか。
ようやくお店に到着すると、僕は入り口付近で綾さんを下ろした。
「ふぅ、着きましたよ。それじゃ、最後にこのお店だけ見て帰りましょうか」
僕は綾さんの手を引き、中に入ろうとする。
しかし、綾さんは僕に抵抗を示すように、その場に立ち尽くして動かない。
そして、沸騰しそうなほど熱そうな赤ら顔でわなわなと肩を震わせ、頬をぷっくり膨らませて、潤んだ瞳で僕をキッと見上げていた。
「待てこのやろう」
そんな怨念めいた心の声が聞こえた気がした。
綾さんはやっと小さな歩幅で一歩前進したかと思うと、僕の背中にしがみつき、隠れるように顔をうずめた。
「もぉ……どんな顔してお店に入ればいいんだよ……恥ずかしくて死にそう……」
今にも泣き出しそうな声だった。
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