第14話 ぎゅっ

 フードコートでの食事を終え、席を立つ。

 帰りの時間を考慮すると、アウトレットにいられるのはせいぜい二時間くらいかな。


「綾さん。足、少しはよくなりました?」

「もう、律くんは心配しすぎ。大丈夫だよ。今休んだじゃん」


 綾さんはニコッと微笑み、テーブルに両手をつくと、それを支えにしてゆっくりと立ち上がる。

 綾さんは椅子から立ち上がる時いつも苦労する。そんな綾さんの懸命な姿に、僕はしぜんと手を差し伸べていた。


「綾さん。手、貸しましょうか?」

「ほんとうに大丈夫だから。……でも、律くんがそう言ってくれるなら」


 綾さんの細い右手が僕を求める。

 僕の心にぱっと明るい花が咲く。綾さんと手をつなげた、その事実だけで、どうしようもなく心が弾んでしまう。


 僕は嬉しくて、手をぎゅっと強く握り返し、綾さんの身体を引き起こそうと力をこめた。

 けれども、気持ちが高まっていたせいか、つい力を入れすぎてしまった。


「きゃっ!」


 綾さんのスレンダーな身体が、僕のほうへと思い切り引き寄せられる。

 綾さんの純粋な瞳が、驚きのために大きく見開かれた。


 互いの唇が触れてしまいそうな近距離で見つめ合う、僕と綾さん。

 のぼせたみたいに、顔が一気に熱くなる。

 僕は慌てて綾さんからぱっと離れ、顔を背けた。


「あ、ありがとね。律くん」

「ど、どういたしまして」


 綾さんとは朝からずっと一緒にいたけど、あんなに間近で見つめられることはなかったから、すごくドキッとした。

 離れた今だって、心臓が鼓動を速めて少しも収まらない。顔、絶対赤くなっているよね?


 一方、綾さんはすっかり立ち上がり、何事もなかったかのように黒いリュックサックを背負いはじめた。

 こういう時は、内面の動揺を隠そうとする僕よりも、綾さんのほうがずっと大人びて見える。

 綾さんは僕より一つ年上のお姉さんだから、やっぱりあの程度のハプニングでは動じないのかな?


「おまたせ」


 綾さんが、待っていた僕に近づいてくる。

 そして、いきなり僕のほうに腕を伸ばしてきたかと思うと、ぎゅっと腕を組んできた。


「えっ!?」


 先ほど綾さんを引き寄せた以上に、二人の身体が密着する。

 思いがけない出来事に、僕の心臓はまたしても跳ね上がった。


「あの、綾さん?」

「べ、別にこういうことしたっていいでしょう? 私たち、付き合っているんだから。それとも、律くんはお嫌い?」

「むしろ嬉しいくらいです」

「ふふっ、素直でよろしい。それなら、しばらくこうしていてもいいよね?」


 綾さんは悪戯っぽい笑みを浮かべ、さらに僕に甘えるように身を寄せてくる。


「急にどうしたんです?」

「理由がないとダメ? ただ律くんとこうしたいなーって思っただけなんだけど」


 綾さんの心が読めない。まるで気まぐれな猫みたいだ。

 ドキドキと高鳴る僕の心臓の音が、綾さんに聞かれていないといいけど。


 でも、綾さんとこうして腕を組んで街中を歩けるのは、やっぱり嬉しいもので。

 時々でもいいから、綾さんとこうして腕を組んだり、手をつないだりしていたいとつい願ってしまう。


「それで、次はどこに行きます?」

「どこでもいいよ。律くんの行きたいところに行こ」

「そう言われても」


 特に見たい物があるわけでもなく。むしろ、このままじっと綾さんの柔らかい温もりを堪能していたいような。

 ……なんて言ったら、きっと怒られるよね。


 とりあえず、フードコートの外に抜けようと歩いてみる。

 すると突然、ピーナッツに猫の耳としっぽが生えたキャラクターの、大きなぬいぐるみが目に飛びこんできた。

 店頭に飾られたそのピーナッツ猫は、僕たちを店内に誘うかのように、口の形をωにして微笑みかけてくる。


「ああ、これ? ほら、千葉県って落花生の生産量が日本一だから」


 初めて見る愛らしいキャラクターをしげしげと眺めていると、綾さんが僕の腕を抱きかかえながら、むふふ、と得意げに教えてくれた。

 心なしか、綾さんの口元までωの形に見えてきた。


 綾さんといい、このピーナッツ猫といい、千葉県は小悪魔的に可愛らしい気まぐれな猫の生産量も日本一なんじゃないかな? と勘ぐってしまう。


 それにしても、千葉県ってキャラクターが豊富だよね。成田に行った時も、うなぎと飛行機が合体したような妙なキャラクターを見かけたし。後ですごい人気だと知って驚いたっけ。

 もっとも、千葉県で一番有名なキャラクターと言えば、梨汁をぷしゃーって吹く、あの芸達者な黄色い梨の妖精かもしれないなっしー。

 ……って、冗談はさておき、ここはいったい何のお店だろう?


 ピーナッツ猫の誘惑に招かれるままに、店内に足を踏み入れてみる。

 どうやら、千葉県の特産品を取りそろえたアンテナショップのようなお店らしい。

海の幸や地酒、枇杷やピーナッツに関連したお菓子など、商品がたくさん並んでいる。


 綾さんが急に思い出したように言った。


「そうだ! あれ、売ってないかな」

「あれって?」

「ピーナッツバター」


 なるほど、落花生が特産品なら置いてあってもおかしくない。むしろ、千葉県にならありふれているのでは?


「律くん、知ってる? 普通、ピーナッツバターって焼いたトーストに塗るじゃない? でもね、最近の千葉県のピーナッツバターは、トーストに塗ってから焼くんだよ。だから、オーブンを開けた時の香ばしさがたまらないの」

「へえ、そうなんですか」

「しかも、ペースト状じゃなくて、荒く砕いた身がそのまま形になって残っているから、ピーナッツの食感も損ねないし、何度でも食べたくなっちゃうんだ」

「綾さん、食レポ上手ですね。僕も食べたみたくなりました」

「ついこの間だって、テレビで紹介されていたんだから。えーと、どこにあるんだろう?」


 店内をくまなく探す綾さん。どうも自分のためというよりも、僕のために探してくれているような気がする。


「残念。ここには置いていないみたい」


 綾さんはちょっぴり悔しそうに苦笑する。

 まあ、僕はこの先も大学に通うために千葉県に居続けるのだし、そのうち、ね。

 それより、僕が気になったのは、綾さんのさっきの言葉。


「綾さん、千葉県って妙にテレビで紹介されてません?」


 路線バスを乗り継いだり、電車に揺られたり、途中下車してひたすら歩いたり。千葉県を旅するバラエティ番組を、関東に来てからやたら目にする気がする。


「南房総は春に出かけるにはちょうどいいからね。この木更津だって、もう少し経ったら潮干狩りでもっと賑わうよ。他にも千葉県には魅力がたくさんあるんだから。いいところだよ、千葉は」

「僕もそう思います」


 綾さんみたいな優しい人を育んだ土地だもの。いいところに決まっている。


 綾さんと運命的にめぐり会い、『恋』という言葉の意味を僕に教えてくれた千葉県。

 きっと、ここが僕の第二の故郷になるんだろうな。


 ぎゅっと僕の腕を取る綾さんの可愛い笑顔を横目に眺めて、僕はそんな思いを強くした。

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