第13話 あーん
「すごい。お店がたくさんありますねー」
フードコートのあまりの広さに、思わず目を丸くする。それでもすでに満席に近い状態なのだから、驚いてしまう。
感染対策なのだろう。空席を探してテーブルの間を練り歩く人の姿はなく、皆整列して順番に席に案内されていた。
「綾さんは何にしますか?」
それぞれのお店のカウンターの上に、大きな看板が掲げられている。天丼に親子丼、韓国料理に中華、カレーライスから牛タンに至るまで、なんでも揃っている。
「律くんは決めた?」
「はい。僕はラーメンにしようかと」
あのラーメン屋さん、千葉県では超がつく有名店なんだよね。コンビニでもよくお店の名前を見かけるし。
綾さんはしばらく悩んだ後、
「いいよ、私も決めた」
こうして、僕たちは列の最後尾に並びはじめた。
まもなく席を確保し、それぞれが食べたい物の場所へと別れていく。どうやら綾さんは中華にするみたいだ。
実は、あのお店の
普通、餡かけは文字通り麺の上に餡をかけるけれど、あのお店は、餡の上に揚げた麺を包みこむように乗せる珍しい形だから、しぜんと興味をそそられる。
名店が多くて、どれにしようか迷うのは、案外幸せなことなのかもしれない。
僕はさっそくラーメン屋さんに行き、呼び出し用の小さな機械を受け取ると、早足に席に戻る。
そして、綾さんが帰ってくるよりも先に二人分のお水を用意し、待機していた。
「お水ありがとう。早いね」
「いえ」
やや遅れて戻ってきた綾さんに微笑みかける。ちょっとでも綾さんの役に立てたのが嬉しい。
綾さんがゆっくりと椅子に腰を下ろし、深く息を吐く。
「はぁ~。午前中、よく歩いたね」
眉をわずかにハの字に寄せ、笑みをこぼす綾さん。その柔らかい微笑みには、疲労の色もにじんでいる。
ここに着いてから、一時間はゆうに超えている。その間、綾さんは一度も休んではいない。
「綾さん、足大丈夫ですか?」
「ちょっと痛いかも。でも、大丈夫。ここでゆっくりご飯を食べたら、また見に行こう」
綾さんの優しい笑みは、僕に心配をかけまいとする気づかいの裏返しだ。
だからこそ、かえって気になってしまう。
「綾さん、ほんとうにフードコートでよかったですか?」
もしかしたら、綾さんにとって、自分の足で注文に行くフードコートは、僕が思っている以上に負担だったのかもしれない。
さっきもメニューを決めるのに時間がかかっていたし。ほんとうは、フードコートそのものに抵抗があったんじゃ……。
「もちろんだよ。律くんだって食べたい物があったんでしょう?」
「それはそうですけど」
「じゃあ、私もここがいい」
綾さんは目を細め、満足げに笑う。
まるで僕のすべてを受け入れてくれているかのような、慈愛に満ちた笑みだった。
「でも、フードコートなんてすごく久しぶりだから、ちょっぴり緊張する」
「やっぱり、フードコートは苦手ですか?」
「ううん、そんなことない。ただ、地元のモールのフードコートは人が多くて落ち着かないから」
綾さんがふわりと小さく笑う。
僕たちの周りにもたくさんの利用客はいる。けれども、今は間隔が十分に保たれているのと、皆静かに食べているので、落ち着かないということはなさそうだ。
僕は思わず天を仰ぎたくなった。
綾さんは身体的な理由ではなく、あくまで落ち着けるかどうかの問題にしたいみたいだけど、でも、きっと足の影響も少なからずあるんだろうな。
こうした事実に気づく時、僕はたまらない気持ちになる。
どうしてフードコートではなく、店員さんが席まで料理を運んできてくれる一般的な飲食店を選ばなかったのだろう?
僕は、思いやりも愛もすべて想像力の産物なのではないか、と思っている。
だから、もし綾さんに無理を強いているのであれば、それは僕に想像力が足りていなかったことの証明に他ならないわけで。
なんだか罪を犯してしまったかのような申し訳なさがこみ上げてきて、胸がきゅっと苦しくなってしまう。
「綾さん。料理は僕が取ってきますから、綾さんはここで待っていてくださいね」
「いいよ、悪いし。自分のことは自分でするよ」
そう、綾さんは健常者と同じようになんでも自分でやりたがる。
もちろん、そうした綾さんの心意気は立派だし、僕だって尊重したいと思っている。
だけど、僕だって少しは綾さんの力になりたい。
もっと僕に甘えていいんですよ、と綾さんに伝えたい。
だって、僕は綾さんの彼氏だから。
かけがえのない、たった一人の彼女のために尽くしたい。もっともっと、大切にしてあげたいんだ。
「いえ、今回は僕に任せてください。すぐに取ってきますから」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「喜んで」
呼び出しのブザーが鳴り、僕はすぐに席を立つ。
そして、自分のラーメンを運んでくると、踵を返して今度は綾さんの料理を取りに行く。綾さんが注文したのは、僕が気になっていた餡かけ焼きそばだった。
「お待たせいたしました、お嬢様」
僕は冗談めかして、執事のようにうやうやしく綾さんの前に料理を差し出した。
綾さんの気持ちも確かめずにフードコートに誘ってしまった、僕なりのせめてもの罪滅ぼしだった。
「ふふっ。ありがとう、律くん」
綾さんがおかしそうに笑う。
その愛らしい微笑みと、感謝の言葉に、僕の心はたちまち満たされてしまう。
綾さんは、なにかにつけて、すぐに「ありがとう」と口にする。
その一言に僕がどれほど救われているか。
どれほど胸が温かくなるのか。
綾さんはきっと知らない。
綾さんの心は常に感謝にあふれている。綾さんは魔法の言葉「ありがとう」の天性の使い手なのだ。
綾さんの美しい顔を正面から眺める。
見た目も心もこんなにも綺麗な人が、僕の彼女である幸せ。
心からの「ありがとう」を伝えなければならないのは、きっと僕のほうだよね。
「ん? 律くん、どうしたの? 早く食べないとラーメン伸びちゃうよ」
綾さんがくりっとした瞳で不思議そうに僕をのぞきこむ。
すっかり綾さんに見とれていて、箸を持つのも忘れていた。
それから、綾さんがひと言。
「ああ、ごめんごめん。そういうことね」
綾さんはなにかを悟ると、焼きそばが乗った自分のお皿を僕のほうへと寄せてきた。
「えっ、どうして?」
「まだ端のほうは手をつけてないから、取っていいよ」
綾さんは妙に確信を持った声で勧めてくる。
たしかに、僕は綾さんが注文した料理にも興味を引かれていた。でも、どうして分かったんだろう?
「だって、私のお皿をじっと見てたじゃん。食べたいなら、素直にそう言えばいいのに」
「いいんですか?」
では、素直に言わせてもらいます。
「あの、僕がじっと見ていたのは、綾さんなんですけど」
「へっ?」
「こんなに素敵な人が、ほんとうに僕の彼女でいいのかな、って」
綾さんがきょとんとした目を僕に向ける。
色白の頬がみるみるうちに赤らんできた。
綾さんはわずかにうつむき、可愛い唇を尖らせる。
「い、いいに決まってるじゃんっ。私自身が、ずっと律くんの彼女でいたいと望んでいるんだからっ」
もう耳まで真っ赤になって、あわあわとうろたえる綾さん。
そんな綾さんがあまりに可愛らしくて、いじらしくて。人目がなかったら、ぎゅっと抱きしめていたかもしれない。
綾さんが赤い顔を上げ、拗ねたような調子で言う。
「ほ、ほらっ、律くんのお箸貸して。まだ使ってないんでしょう? 『あーん』ってしてあげる」
「え、あ、いや、いいですよ。フードコートでそんなことされたら、それこそ落ち着かないですし」
「ふーん、いいんだ。じゃあ、もう一生してあげなーい」
「えっ? 今度うちでしてくださいよ」
「ダーメ。一度きりの人生、そうそうチャンスはないのだよ、律くん」
「そんなぁ」
それから、僕たちは顔を見合わせ、互いにぷっ、と吹き出した。
こうして、僕は熱々の餡かけを『あーん』してもらうチャンスを失ってしまったわけだけど。
でも、数少ないチャンスをものにして綾さんを彼女にできた僕は、すごく恵まれた人生を生きているよね?
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