第12話 新婚三択

 綾さんと二人でゆっくりと歩を重ね、総合案内所の前までやって来た。

 どうやらこの辺りがアウトレットの中心部らしい。施設の全体を示した案内図を見つけ、綾さんと一緒になってのぞきこむ。


「まだ四分の一も見ていませんね」

「ねっ、広いでしょう? 今年に入って、さらに奥にお店が増えたんだって」

「全部を見るのに丸一日はかかりそうですね」

「さすがに全部は見られないよ」


 綾さんがおかしそうに笑う。


「とりあえず、行けるところまで行ってみよっか」

「はい」


 総合案内所の前を通り過ぎようとして、ふと『車椅子貸し出し』のマークが目に止まった。


 綾さんの足元へと視線を下ろす。

 綾さんは純白のスニーカーを履いていた。きっと歩く気満々で来たのだろう。

 けれども、綾さんの足を案じるなら、車椅子を借りるという手もあるのかもしれない。


 綾さんの足の状態について、以前たずねたことがある。

 お医者様には、このまま状態が悪化するようなら手術も検討する、と言われているらしい。



『自分の足でちゃんと歩けてるじゃん。だから大丈夫』



 僕がたずねた時、綾さんは気丈にもそう話してくれた。


 きっと、自分の足で歩くという当たり前の行為が、綾さんにとっては、とても重要なのだ。

 だから、僕が車椅子を借りようと提案しようものなら、かえって余計なお世話でしかないのかもしれない。


 綾さんと一緒にいると、時々こういう判断に迷う。

 そして、迷うたびに、僕は綾さんの気持ちにちゃんと寄り添えているのだろうか、と不安にもなるのだった。


 となりを歩く綾さんの細い手が、空いている。

 僕は胸に広がる不安をかき消したくて、口を開いた。


「綾さん」

「なに?」



――僕と手をつなぎませんか?



 僕は綾さんとの絆を感じたくて、腕を綾さんへと伸ばしかける。

 けれども、いざ言葉にしようとしたら、声が喉につまってしまった。


「いえ、呼んでみただけです」

「なにそれ。変なの」


 綾さんは不思議そうに小首をかしげ、ふっと笑ってふたたび前を向く。

 僕は心のなかで深いため息をついた。

 たくさんの人の目があるところで手をつないで歩くには、まだちょっと恥じらいがある。

 二人の心の距離がもっと近づけば、手もしぜんとつなげるようになるのかな?




 しばらく歩いていると、あるお店の入り口に列ができているのを発見した。

 どうやら海外のハイブランドのお店のようだ。入場制限がされているらしく、入口では従業員がしっかりと検温を行っていた。

 よく見ると、綾さんが背負っているリュックサックと同じロゴだった。


「あのお店って、綾さんのバッグと同じ」

「そうだよ。パパが去年の誕生日にプレゼントしてくれたんだ」


 なるほど。綾さんが同じリュックサックをいつも好んで使っていると思ったら、そういう理由があったのか。

 僕でも同じようなバッグを綾さんにプレゼントしてあげられるかな? お父さんの愛情と張り合うわけじゃないけど。


「ちょっと寄ってみてもいいですか?」

「へえ、律くんがブランドに興味を示すなんて、めずらしいね」


 こうして、僕たちは列の最後尾に並び出した。

 待つこと、およそ十分。ようやく僕たちの順番が回ってきた。

 検温を無事クリアし、お店のなかへと足を踏み入れる。


「よかった。熱があったらどうしようかと」

「ふふ、ちょっと緊張するよね」


 棚に飾られた本革のおしゃれなバッグ。いったいいくらくらいするのだろう?

 ちょうど値段が書かれた小さなプレートを発見した。


「えっ? 十万円?」


 うちの家賃よりもずっと高いのですが。


「まあ、それくらいはするよ」

「まさか、綾さんのバッグも?」

「私のはそんなにしないよ。ナイロン製だもの。でも軽いからいいんだ」


 本革のバッグが置かれた棚から離れ、今度は綾さんが持っているのと似たようなリュックサックを手に取ってみる。


「わっ、それでもけっこうな値段ですね」

「もう、お金のことばっかり。いくらでもいいじゃない」


 たしかに、綾さんの言う通りなのだけど。でも、プレゼントをもくろむ僕には切実な問題なわけで。

 こういう高額バッグをポンとプレゼントできてしまう綾さんのお父さん。実はすごい人なのかもしれない。


「僕も来月からアルバイトしようかな」

「どうぞどうぞ」

「……もうちょっと僕の話に関心を持ってくれてもいいと思う」


 綾さんは僕の話を適当に聞き流し、バッグに夢中になっている。女の人ってみんなこうなのかな?


 結局、僕たちは手ぶらでお店を後にした。ただの大学生に過ぎない僕たちには、なかなかハードルの高いお店だった。




 さらに奥へと進んでいくと、今度は婦人靴のお店が現れた。


「律くん、私ここ見たい」

「いいですよ」

「たぶん時間がかかると思うから、律くんは他を見てきていいよ」


 ほんとうは綾さんと一緒にいたかったけれど、僕がいるとかえって邪魔になるかもしれないと思い直す。

 こうして束の間、僕は綾さんから離れ、一人アウトレットをぶらついた。




 まもなく、北欧家具を扱っているお店を見つけた。

 キッチンマットやタオルなどといった生活雑貨も扱っているらしい。生活に役立つ実用品なら、なにか買ってもいいかもしれない。ちょっと寄ってみよう。


 店内の突き当りに、テーブルやソファ、棚といった家具がいくつか展示されている。

 そのうちの一つ、木の温もりが感じられる、丸みを帯びたおしゃれなダイニングテーブルに心をつかまれた。


「いいなあ。将来、綾さんと暮らすのに、こういうテーブル欲しいな」


 僕は想像を広げてみる。


 今よりずっと広くて明るいリビングに、北欧家具が並んでいる。

 そこに、可愛い奥さんの綾さんがいて、僕の帰りを楽しみに待ってくれている。

 なんて幸せな空間だろう。


 初々しい新妻の綾さんが、柔らかい笑みをこぼし、仕事帰りの僕に恥ずかしそうにたずねるんだ。


「おかえりなさい、あなた。ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?」


 キタ! 定番の新婚三択!

 ここは綾さんを選びたくなるけど、がっついていると思われなくないからね。努めて冷静に。


「お腹空いたし、ご飯にしようかな」

「そう。じゃ、そこにあるからチンして食べてね。それと、あとで食器も洗っておいて」


 あれ? なんだか冷たいような……。


「や、やっぱりお風呂にしようかな」

「そう。じゃ、自分で沸かして入ってね。それと、あとでお風呂も洗っておいて」

「…………」


 なんか僕が思っていたのと違う。


「やっぱり、綾さんにします」

「そう。じゃ、これ」


 僕は一枚の小さなカードを渡された。


「綾さん、これは?」

「ポイントカード。家事を一つこなすごとに一ポイントたまっていくからね。私に到達するまで、あと一万ポイントだから。頑張ってね、律くん」

「あの、果てしなく遠いのですが……」

「なんでも無条件に与えられると思ったら、大まちがいだよ。自分だけが働いていると思わないで」

「うっ……すみません」

「そもそも、なにか勘違いしているんじゃないかなあ? 常に選択権を持っているのは、お姉さんであるこの私のほうなんだからね。明日からは、私が律くんに『おかえりなさい。ほら、早く私にご飯作って。さっさとお風呂沸かして。ちゃんとできたら、律くんを選んであげないこともないけど』って言わせてもらおうかな」

「ひぃーっ」


 ……どうしてこうなった?

 いくら綾さんがしっかり者だからって、これじゃあんまりだ。


 ちなみに、僕が気に入ったダイニングテーブルは、三十万円以上する定価が二十万円程度にまで引き下げられていた。

 きっとお買い得なのだろうけど、それでも僕にはとても手に届かない。だいたい、今の狭い僕の部屋には置くスペースもないし。

 憧れの北欧家具も、夢のような新婚生活も、僕にはずっと先のようだ。




 そんな妄想を一人で繰り広げていると、綾さんから電話がかかってきた。


『律くん、今どこにいる?』

「すみません。すぐ戻ります」


 慌てて靴屋へと舞い戻る。

 綾さんの手にはお店の紙袋。どうやらお気に入りの一足を見つけたみたいだ。


「ごめんね、律くん。待たせちゃって」


 申し訳なさそうに、ニコッと微笑む綾さん。

 よかった、僕が知っている優しい綾さんだ。


「綾さん」

「なに?」

「将来僕と結婚しても、いつまでも優しい綾さんでいてくださいね」

「なんの話? それより、そろそろお昼にしようよ」


 こうして、僕たちは今度はフードコートへと向かった。

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