第11話 好きなファッション

「着いたーっ!」


 十時半。ようやく車を降りた綾さんが、ん~っ! と大きく伸びをする。


「春休みなのに、たいした渋滞もなくここまで来られて、運がよかったですね」

「私たちの日頃の行いがいいからかな」


 綾さんが機嫌よさそうに笑う。

 その笑顔が見られただけでも、ここに綾さんを連れて来てあげられてよかったな、と思う。


 それにしても、このアウトレットは身体障害者用の駐車スペースが充実していて驚いた。端の一列と道を挟んだ向かいの一列、合わせてざっと十台分以上はありそうだ。こんなにたくさんある施設、僕は他に知らない。


 僕たちの車のとなりに止まっていたワゴン車から、若い夫婦が下りてきた。見れば、お腹が大きく膨らんだ妊婦さんだった。どうやらこの駐車スペースを利用する人たちにも様々なドラマがあるようだ。


 綾さんと駐車場をゆっくり進み、イーストゲートへとやって来る。

 赤や黄色の花々が咲く美しい花壇。『KISARAZU』のアルファベットが並ぶオブジェ。

 そして、千葉県公認の赤い犬のキャラクターの大きな人形が、僕たちを歓迎するように立っていた。


「……って、どうしてあの人形は横を向いているんでしょう?」


 ふつう、客を出迎えるキャラクターって正面を向いているよね?

 すると、綾さんが教えてくれた。 


「だって、横を向いていないと、千葉県の形にならないじゃん」


 なるほど、そういう理由でしたか。

 実は、あの赤い犬のキャラクター、横から見た形がそのまま千葉県の地図と重なるんだよね。

 だから、僕が今住んでいる街は鼻の付け根の辺り、ここ木更津はおへその辺り――と、千葉県民はキャラクターの身体の部位で所在地を説明することができるのだ。


「千葉県民に愛されていますよね、あの赤い犬のキャラクター」

「子供の頃から身近にいたしね。たまに駅で募金活動をしていたりもするよ。私、小さい頃じゃんけんしてもらったんだ」


 地道な活動を続けて、千葉県民の心をがっちりつかんでいる赤い犬のキャラクター。可愛いだけではない、並々ならぬ努力やその優等生ぶりがウケているのかもしれない。


 綾さんはオブジェをスマートフォンでぱしゃりと撮り、花壇に目を細める。


「お花も綺麗。お出かけするにはちょうどいい季節だね」


 綺麗な花なら僕のとなりにも咲いていますよ。綾さんという美しい花がね。


 ……なんてキザなセリフが思いついたけれど、けっして口外はしまい。

 こういうセリフが似合う男って、いったいどんな人なんだろうね? ちょっと言ってみたい気もする。綾さん、どんな反応をするだろう? きっと引くよね。


「どうしたの、律くん? 行こう」

「すみません。ちょっと考え事をしていました」


 僕たちはゲートを抜け、コーヒーショップの脇を通り、ついにお店が立ち並ぶ通りへと足を踏み入れた。


「わあ、すごいですね。西洋の街みたい」

「ここは日本最大級のアウトレットだからね。お店も三百店舗以上あるんだって」


 見渡す限りお店が続き、道の果てがまるで見えない。いったいどこまで続いているんだろう?


 午前中だからか、幸い人の数はまだそれほど多くはない。どうやら早く家を出て正解だったみたいだ。

 僕は人混みがあまり得意ではないから、ゆったり過ごせるほうがいい。初めて東京に来た時は、あまりの人の多さにびっくりしたっけ。


「見て、律くん! 七十%オフだって!」


 綾さんが店先に掲げられた文字を見て、嬉々として声を弾ませる。

 さっそくお店に入ってみると、『special priceスペシャルプライス』と書かれた赤い字が目に飛びこんできた。


 ハンガーにかかったシャツを手にしてみる。一万円近い定価の物が、たしかに三千円程度まで値下げしていた。

 これなら僕でも買えるかも。でも、定価っていったい何なんだ? という気持ちにもなる。


「これなんてどうかな? 律くんに似合いそう」


 綾さんは緑色のチェックのシャツを僕に勧めてくれた。

 落ち着いた色もデザインも好きだし、値段もお手ごろ。なにより、綾さんが僕のために選んでくれたという事実が、すごく嬉しい。

 でも、すでに車を借りるのにお金がかかっているし、この後も食事代やらガソリン代やらでかかるだろうから、つい買い渋ってしまう。


「お店はまだたくさんありますし、他を見てからにしませんか? ここならまた戻って来られますし」

「そんなこと言ってたら、なくなっちゃうよ。私が買ってあげようか?」

「いえ、綾さんは自分が欲しい物にお金を使ってください」

「律くんが買わないと、私も買いづらいじゃん」

「僕のことは気にしないでください。綾さんが欲しい物を買ってくれたら、僕も嬉しいですから」

「そう? じゃあ、とりあえず先まで行ってみよっか」


 こうして、僕たちは一軒目を出ると歩き出した。

 アウトレットには、家族連れや若いカップル、ぬいぐるみのような愛らしい犬を連れたご年配の夫婦など、いろんな人たちの姿があった。


 そして、その多くが先を急ぐように僕たちを追い抜いていく。

 けれども、僕は綾さんのペースに合わせてゆっくり歩くのが好きだった。


 一人ではきっと見落としていた景色が、綾さんとなら一緒に見られる。ふとした発見も、新鮮な驚きも、綾さんとなら共有できる。

 それは、孤独を経験した僕にとって、かけがえのない尊い体験なのだった。


「こうして見ると、いろんなお店がありますね」


 僕でも知っているような海外のファッションブランドから、スポーツ用品、アウトドア、食料品、調理器具から寝具に至るまで、あらゆる分野の専門店が軒を連ねている。

 しかも、どれもリーズナブルときているのだから驚きだ。どうりで綾さんが来たがるわけだ。


「ねえ」


 綾さんに、不意に声をかけられた。


「律くんってさ、どんな女の子が好きなの?」

「えっ? 綾さんですけど」

「あぅ……。ごめん、聞き方が悪かった。どういう格好をした女の子が好きなのかなって」

「格好ですか?」

「ほら、律くんにだってあるでしょう? 女の子のこういうファッションが好きとか、こういう服を着てほしいとか。これから買うのに一応参考にしようかなって」

「綾さんに着てもらいたい服、ですか?」


 あまり考えたことがなかった。

 綾さんはアイドルみたいに可愛いから、正直なにを着ても似合うと思う。今着ている腰周りの細い清楚なワンピースだって、綾さんの雰囲気にぴったりだし。


「綾さんなら、きっとなんでも」

「あ、言っとくけど、『なんでも』ってのは無しだからね」


 先に牽制されてしまった。

 とはいえ、女性のファッションだなんて、僕にはまるで見当がつかない。


 仕方なく、通りゆく若い女性を参考までに眺めてみる。

 ジャケット、パーカー、デニム……さすがに都会だけあって、綺麗なお姉さんが多い。


 感心している僕の視界に、綾さんの顔がぬっと入りこんできた。

 わずかに頬を膨らませ、ムッとしている。


「律くん、どこ見てるの?」

「周りの人を参考にしようかと」

「他の女の子は見なくていいの。律くんの頭にあるファッションを教えてちょうだい」

「そう言われても」


 特に思い浮かばないので、最近プレイしているゲームなど、サブカルチャーの世界を連想してみる。

 そのなかで、綾さんに着てほしい衣装と言えば――。


「メイド服?」

「そういうことじゃないんだよなあ」


 綾さんに呆れられてしまった。言わなきゃよかったかな?


「律くん、好きなの? メイド服」

「他に思いつかなくて」

「分かるよ。可愛いもんね、メイド服。でも、私に似合うと思う?」

「綾さんならすっごく似合うと思います」

「……どうしても着てほしい?」

「えっ?」

「うっ、ううん! なんでもない」


 赤ら顔でごまかす綾さん。


「今、とても大事なことを聞き逃したような」

「気のせいじゃない? ほら、行こう」


 綾さんが僕のシャツの袖を引っ張り、先へと歩き出す。 


 ほんとうは聞こえていたのだけど。

 この話はまた別の機会に。

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