『人間』だと言い続ける

「……それが、あなたの『核』なのでございますね」


 後ろから、透き通るような声がした。

 ゆっくりと振り向くと、薄い緑色の唐衣と、赤い長袴を着た女性が、そこに立っている。――尻尾はなかったけれど、その顔は、『玉藻の前』と同じ顔をしていた。


「こんにちは。初めまして、でいいのかな」


 わたしが笑いかけると、彼女もにっこりと笑う。


「この『外』では、お互い初めてでございましょうが……お互いのアバターがぶつかったもの同士でございます。改まった挨拶は必要でございましょうか?」

「一見無駄だと思うやりとりにも、心を通わせる何かがあると思うよ」


 そう言ってわたしは、手を差し伸べて、真名を告げる。



「――わたしは『土蜘蛛八十女』の『藍田八蝶』。あなたの名前は?」


「――院号は美福門院。真名は、『藤原得子』でございます」










 シミュレーション仮説。人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーションリアルティである、という仮説がある。かいつまんで言えば、現実とは誰かが作った世界である、ということだ。

 その仮説とは少し違うが、わたしたちは『外』と呼ばれる世界に存在する生き物である。わたしたちは現実世界で自分の化身アバターを作ることで、外から現実を干渉することが出来る。


 つまり、現実世界で蛸神と吸収された八蝶わたしは、この『外』にいる『土蜘蛛八十女』の『藍田八蝶』が作った存在で、

 現実世界にいる『玉藻の前』は、目の前にいる『藤原得子』が作った存在である。


 ……いや、それは正しくない。藤原得子をモデルにして妖怪アバターを作ったのは現実世界に生きる人だ。彼女はそれを引き継いだだけにすぎない。


 気付くと目の前には、カフェのテラス席にあるようなパラソル付テーブルが用意されて、目の前にはアフタヌーンティーメニューが広がっていた。

 彼女はいつの間にか十二単から白いワンピースに変わっており、優雅に紅茶を飲んでいる。この空間のどこから出したんだか。わたしは基本ここにはいないので、勝手がわからない。


 藤原得子。身分の低い姫君だったが、鳥羽上皇に愛され、皇后となり、あらゆる政敵を失脚させ、保元・平治の乱には武士の力を使い――そして、貴族社会を終わらせた。

 彼女によって武家社会は成立し、彼女と鳥羽上皇の間に生まれた娘・八条院は、平氏・源氏の政治・経済に多大な影響を与えた、と言われている。



「何時かお会いしたいと思っていたのですが、あなたはいつもお留守でしたから、退屈でしたの」

「まさかわたしを『外』に呼び出すために、この騒動を起こしたとかじゃないですよね?」


 彼女はにっこりと笑うだけ。本当の目的を言う気はないらしい。


「そうじゃないなら、とっとと現実世界に帰りますけど」

「……あなたに、一度お尋ねしたいことがございましたの」

「なんですか?」


「――どうして、そこまで現実世界あちらに固執いたしますの?」

 わたくしたちにとっては、どちらも同じですのに。

 そう彼女は言う。


 わたしたちは現実世界で生まれ育ち、そして『外』へやって来た。そして『外』から、現実世界に干渉することが出来る。もはやどちらが現実で、どちらが空想かなんてわからない。

 わたしは11歳まで、確かに現実世界で育った。けれど、2021年に存在する八蝶わたしは、『外』にいる『藍田八蝶』が作ったアバターだ。

 なんでそうしたかって?

 それこそが、彼女から問いかけられた答えだ。



「……『藤原得子』と『玉藻の前』は違う。『藤原得子』は、『玉藻の前』と別の存在だと見なしている。だから、『玉藻の前』の姿が見える。

 一方、『藍田八蝶わたし』と現実世界の八蝶わたしは、同一です。だからわたしは基本、八蝶じぶんの姿が見えない」



 彼女が使っているのは、パソコンやゲーム画面から、現実世界という箱庭を真上から覗くように見るタイプ。

 わたしは、VRのように見るタイプ。

 前者はアバターの姿を俯瞰的に見ることが出来、後者はそのアバターを通した世界でしか見えない。

 さっき、消えていく八蝶アバターの姿が見えたのは、『外』へ来たために、前者に切り替えたからだ。



「どうして、わざわざご自分の力を制限するような真似をなさるのです? わたくしたちは、現実世界で言う所の『神様』になったのでございますよ?」

「ええ。そうでしょうとも。――だから嫌なんです」


 わたしは、はっきりと言った。


「わたしが『外』に来たのは、あなたのように、『神様それ』になるケイを止めたかったから」




               ■


 昔話の続きをしよう。

 四度目の転校は、閉鎖された片田舎だった。

 そこは、文化遺産になりそうな田園風景はなく、かといって道路や街づくりは駅前でテキトーに整備されて、後は放りっぱなし、何もない。しかもその駅すら死にかけだ。

 歴史はそれなりに長いが、過去の栄光に縋るにはあまりに形骸化した置いていかれた場所。置いて行かれた封建社会、権力者オッサンたちの考えは腐敗していて、村八分が平気で行われる、田舎の悪いところを全部煮詰めたような場所だ。

 そんなところに、ケイはいた。

 ケイは自分が『憑き物』であることを知らなかった。だから、突如自分の爪が伸びて、うっかりわたしの腕に怪我をさせた時は、酷く狼狽していた。

 え、わたし?

『何それかっけぇぇぇぇ!』って興奮してましたけど、何か?


 ケイは『憑き物』という概念そのものを知らなかったけれど、ケイの御両親や村の人は知っていた。だから、村の人たちはケイを迫害し続けていたのだ。

 なぜそうしたかって?

 ケイの家は、『憑き物』筋だった。ご先祖さまの中には、ケイと同じ『憑き物』の能力を持った人達が現れていた。

『憑き物』筋の家は、幸運や財を呼ぶけれど、同時に他者へ向けて不幸や貧しさを呼ぶことも出来ると信じられた。

 だから村は、『憑き物』が出る度に、その力を飼いならそうとした。その為に迫害したり監禁することで支配し、家畜として飼いならそうとした。

 だけど、その負のツケは代々の『憑き物』に溜まっていく。いつしか、幸運よりも不幸を呼ぶ数が増えて行った。

 彼らは、不幸を呼ぶ『憑き物』たちに怒った。そして、自分たちがしでかしてきたことへ『憑き物』たちが報復するのを恐れた。だから更に迫害を続けた。

 要するに、殴り返されるのが怖かったのだ、彼らは。



 そしてとうとう、そのツケはケイの代で爆発した。

 ケイの力は、龍蛇の『憑き物』としてではなく、『災害』そのものになっていた。街は火に包まれたり、豪雨で川が氾濫したり、雷が落ちたり、暴風が吹いたり、とにかく大変なことになった。

 言っておくが、ケイが人を恨んで災害を引き起こしたんじゃない。

 ケイはひたすら優しかった。でもそんなのは関係なく迫害された。お姉さんを除く家族にすら、人扱いされなかった。

『化け物』を作ったのは村の人たちだ。その災害は、現在まで至る村の歴史が引き起こした。自業自得だ。

 ただ、そうも言っていられなかった。ケイは龍神の『祟り神』として、『黄昏堂』に退治される寸前まで追い込まれる。わたしたちが局長と出会ったのもその頃。

 退治されなくても、殆ど『神様』になっていた彼は、人間に戻ることが不可能だと言われた。




 わたしは、人間扱いされないまま、このままケイを終わらせたくなかった。

 他人に『化け物』の役を押し付けられて、それで退治なんてたまったもんじゃない。



 だからわたしは、局長に『人間に戻す』方法を尋ねたのだ。

 龍神と対抗するには、彼の『憑き物』より古い成り立ちを持つ神様の力が必要だと局長に言われた。だからその土地の名前の由来になった神様に頼んだ。

 それが、土蜘蛛八十女だった。



            ■



「で、なんやかんやで土蜘蛛八十女たちの力を発揮するには、わたしと融合する必要があって、そのためには八蝶以外の名前や身体を捨てなければなりませんでした。そんで『外』に来ました。以上」

「大分端折りましたわね?」

「いやもう、これ以上話すと5万字は余裕で超すからさ……」


 そのうち番外編として出るでしょう。そのうち。


「……その時わたしは、ケイにこう言っちゃったんです」






『君は、「誰」なんだ。言わないならわたしが言うよ』


『君は人だろう。――人だと言え!』



 あの時、豪雨で川が氾濫して、泥まみれになりながら、わたしは必死に叫んで手を伸ばした。

 あの時わたしは、何も知らなかった。妖怪も幽霊も見たことがなく、『外』の世界も知らない。ただ人間は『自由』なんだと、愚直に信じていた。

 でも、今なら正しいとわかる。



「確かにわたしたちは、『神様』みたいに『外』から干渉できる。でも、あの現実世界を作り変え続けたのは、間違いなく人間なんです」


 わたしたちは確かに、超人的な視点を持って、現実世界に干渉できる。言わばわたしたちはアバターを操る『ゲームのプレイヤー』なのだ。でも、それだけ。

 チート級のキャラクターは作れても、エンジニアやプログラマーのように現実世界を作ってはいないし、その世界自体を改変することは出来ない。

 それを長い時間をかけてやってのけるのが、人間なのだ。



「超人的な力にすがって、存在を作って、それを崇めて迫害して……そうやって、自縄自縛で自分を制限していく存在だけど、それでも、それぞれ持ち続けた何かによって、変え続けていくんです。

『人間のフリ』にしか見えなくて、あなたには滑稽かもしれないけど、わたしにとっては大切なことなんです」



 人に押し付けられて、諦めて不貞腐れたわたしに、ケイが教えてくれた。

 どんなに他人に悪意を押し付けられても、『心が無い』なんて見立てられても、

 それでも押しつぶされない自我善意があることを、ケイは体現してくれた。



「だからわたしは、『人間』だと言い続けます。その為にさっさと現実世界に帰りたいし、クトゥルフも何とかしたいです」

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