崩壊編

太古の神と人間

 むかしむかし、海に生きる人たちがいた。


 その人たちは、海に潜り、船を出し、魚や貝をとり、遠くの場所と貿易を重ねることで生きていた。そこには当然、海の神もいた。

 山には、海を越えてやって来た人々が住んでいた。その人たちは、大陸からあらゆる知識と技術を持ってきた。海の人たちとも仲が良かった。


 けれど山の人たちの鉄の鋳造によって、度々水は氾濫し、赤くけがれた。――積まれた土砂によって、川は氾濫し、土砂崩れが起き、そこから色んなものが流れた。

 氾濫し、けがれた水は、海へ流れ込んだ。魚は死んだ。

 海の人たちは怒りに震えた。山の人間を打ち滅ぼさなければ、海が死ぬ。けれど、山に棲む彼らには敵わない。海の人たちに、鉄を作る技術はなかったから、沢山の武器を持てなかった。それでも海の人たちは、戦いに挑んだ。

 多くの血が流れた。多くの人が死んだ。

 だから海の神は、こう言ったのだ。


けがれは、私が飲み込みましょう。飲み込んだ汚れを、根の国へ返しましょう』


 だから戦争をやめるように、海の神は言った。

 その海の神の言葉に、山の神も頷いた。そして、山の神は、山の人々を説得した。戦争をやめよう、出来るかぎり海をけがさないようにしよう、と訴えた。山の人々は頷いた。


 山の人たちは山の人たちで、里に下りることが怖かった。彼らは故国を燃やされ、迫害され、ここへ逃げてきた人たちだった。うまく付き合っていても、常識や文化が違う他民族が、次の瞬間敵になるのが恐ろしかった。


 忍耐を重ね、言葉を重ね、交流を重ね、彼らは一つの民族となった。鉄と海を持つ、強大な民族になった。山の神は、コウモリを使いに出した。コウモリたちが沿って降りる川の水を、山の人たちは汚さないようにした。コウモリは綺麗な川の水を守り続けた。綺麗な水は、海へ流れ続けた。

 洞窟に棲んだコウモリたちの糞は、田畑を潤した。火薬にも使われた。コウモリはいつしか、「神様」として崇められた。

 一方海の神は、けがれを飲み続けた。誰からも省みられなくても、魚が死なないように、人が争わないように、ただひたすらに飲み込み続けた。そうしてゆっくり、ゆっくりと浄化し続けた。







 ある時海の彼方から、背が高く、堀深い顔をした異国の人々がやって来た。その人たちは、見たこともないものを着て、様々なモノをもってやって来た。色んな技術や知識を持ってきた。

 海の人々は歓迎した。自分たちの繁栄は、異国の人々を受け入れてきたから、という自負があったから。

 異国の人々は、自分たちの教えを広めたがっていた。海の人々はそれも歓迎した。

 異国の人々にとって、神は一人だけだった。

 海の人々にとって、神は複数存在した。

 そのすれ違いは、しかし、互いの寛容さと知性によって、大きな諍いはないように思えた。



 けれど。

 異国の人々が持ってきたものは、「良いもの」だけではなかった。

 遠い海の向こうの、遠い大陸で流行っていた病も持ってきた。


 免疫のない島民たちの間で、あっという間に病は広まった。あっという間に人は倒れ、死んでいった。

 海の人々は、今までの歴史を知っていた。病を運んできたのは、異国の人々だと気づいた。海の人々から、どんどん異国の人々を排除しようとする動きが出た。

 異国の人々は恐れた。言葉が不自由のまま、故国に帰れないまま、自分たちが差別され、殺されることを恐れた。


 ……だから異国の人々は、時の権力者に、こう言ったのだ。



『今流行している病は、あの洞窟にある蝙蝠のせいだ。それを使い魔にするタコは「悪魔」だ』

『コウモリがいるような洞窟で偶像崇拝するヤツらは、穢れている』

『「悪魔」を崇拝する島民たちは、反乱を起こそうとしている』




 そうして、海の神は滅ぼされた。

 時の権力者は、島民の命より異国の人々との利益を優先した。

 洞窟は火薬で壊され、コウモリたちは火に炙られた。巫女や修験者たちは、全員火あぶりにされた。太古から住む住人たちも殺された。

 その島には、別の人々が住むようになった。



 海の神がいたから、海の神がけがれを吸っていたから、海は何とか保たれていたというのに。


 戦争のために、沢山の武器が作られた。遠洋のために、水は汚染された。たくさん川が汚された。急激に増え続けるけがれが、消える暇なんてなかった。

 消えたように見えたけがれは、ただ、その海の神の身体に蓄えられていただけ。

 大量のけがれによって膨らみ続けた海の神の身体は、滅ぼされたことで破裂した。

 津波が起きた。島は沈んだ。海岸も沈んだ。人も生き物も、みんな死んだ。







 それでも人々は省みない。

 かつて「けがれ」を吸い続けてくれた海の神は、いつしか「けがれ」そのものになってしまった。もう海は死に続けるだけ。

 それでも人々は省みない。

 人々は、自然にはない、土に還らないモノを作った。

 肥料で使われた殻、水流や風で運ばれたビニール袋やペットボトル、洗濯物から流失し水に溶け込んだ繊維──停滞したプラスチックのゴミは、波や紫外線で小さく砕かれても、無くなることは無い。

 それらは魚や貝だけでなく、魚や貝を食べる人間の身体も蝕んでいる。

 蓄積し、広がったけがれは、遠くで、何の罪もない国の人々を脅かしているのでしょう。

 それでも、人は省みない。

「遠い国の人が苦しんでいても、関係ない」と言うだけ。

「身体に悪いなんて嘘、気のせい」だと言うだけ。


 そうして、いくら目を逸らしても、もう、全部見てしまって。

 にっちもさっちもいかなくなって、最後は決まってこういうのでしょう。


「これは誰かの陰謀だ」、と。


 これだけ知識があっても、人々はその知識すら「嘘だ」と言って、考えることを放棄する。

 そうして「誰か」を全ての悪にして、また排除して、安心安心。

 不都合なことは、誰かに押し付けてしまえばいい。根本的解決になってなくても、大丈夫大丈夫。



 ――だって自分には、なんにも関係ないのだから!




           ■


『見立て』とは、儀式の基本中の基本だ。

 例えば、神様へ捧げる供物。あれは人間が食べて食べ物が減ることで、「神様が食べる」ことを『見立て』ている。

 四本の柱があれば簡易的にギリシャ神殿は作れるし、鳥居を書くことでこっくりさんが出来るのと同じ。注連縄も「結界」の『見立て』だ。

 でもその『見立て』は、「それを見て」「受け止めた人間に」「そういう意味がある」ということがわかっていないといけない。

 例えば、念仏をキリスト教徒の幽霊に聞かせて成仏させようとしても失敗する。言うならば言語が違う状態で、プログラミングするようなものだ。

 じゃあ、「受け止めた人間」に、どうしたら「そういう意味がある」と思わせることが出来るだろうか?

 人の言うことを、素直に受け止められる人間ばかりじゃない。


 なら、「本人が」「『真実』だ、と思わせればいい」。

 つまり、だ。


「自分」に、何か「秘密がある」と仄めかす。

「相手」は、「何かある」と勘づき、それを探ろうとする。隠されたものを自分でつかんだモノほど、人は「真実」だと思い込む。

 そこを、『見立て』に使えばいい。


 相手が「これが『真実』に違いない」と確信した途端、その『儀式』は発動する。










 7月7日未明。

 ――朝日と共に海から現れたのは、蛸だった。

 鱗に覆われた触手は、うねうねと動いており、まるで山の峰のように隆起している。体にはところどころ、木やコケが生えていた。

 山、というより、島そのものが動いているようだ。

 恐らく、『玉藻の前』が話した、太古からいた海の神なのだろう。

 だけどこれは、

 魂がないというか、指示通りにしか動かせなくて、単純な動作しか出来ないと言うか。それでもわたしたち、簡単にはね飛ばされたけど。コンクリートとか木とかぶっ壊れっぱなしだけど。



「……これが、――『女の蜘蛛』なのか? どう見てもタコだが……」


 血だらけのケイの言葉に、わたしは考える。

『玉藻の前』の目的はなんだ。彼女は何を考えている。

 巨大な姿をしているとはいえ、空はまだ綺麗に見えていた。夜の青は空の半分を占めていて、天の川には強く光る夏の大三角形がある。



 僧侶様の言葉を思い出す。


瓜生島うりゅうじまをご存じですか?』

で会ったその方は、声もか細く、お姿は今にも消えそうで……』



 七夕。別名、星祭。──星辰。

 瓜生島……沈んだ島……都市ルルイエ




 蛸の神ク ト ゥ ル フ




「……あっ」


 しまった、と思った時には遅かった。


 脳内で、マイクがハウリングしたような音がした後、プツリ、と何か糸が切れた音がして、そこから何も音が聴こえなくなった。

 というか、何も見えなくなった。



 わたしの意識自体が、そこで途絶えたのだ。

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