『蟲』と八蝶
町屋の引き戸が、一斉に放たれる。
その引き戸の奥から、コウモリ人間たちがけたたましく笑いながら飛び出してきた。ケイにめがけて一斉に飛び交って来る。
真っすぐと立っていたケイが、頭を下げて前に重心を掛けた。
破れた腰巻が舞い上がる。
黒い膝当てに覆われた前足は、まるで爆弾が落ちたかのように地面を割って、土煙を巻き上げた。
同時に、ケイの肩に乗っていたヒビキが飛び降りて、後ろ足でコウモリ人間の顔を蹴り上げた。その勢いで宙で後ろに一回転し、巨大な『蜘蛛』に変化する。
ケイは豹のように前を走りながら、龍の鉤爪を大きく振り上げ、円を描くようにコウモリ人間たちの群れを巻き上げた。コウモリ人間たちの鉤爪を弾きながら、がら空きの胸元を足で薙ぐように吹っ飛ばす。その度に腰巻が広がった。
ケイの背後を護る様に止まっていたヒビキは、大きな口を開けて、コウモリ人間たちを蹴散らす。コウモリ人間の一人が、ヒビキによって宙へ放り投げられた。コウモリ人間たちはよだれを垂らしながら、クルクルと身体を回転して、地面に落下した。
笑い声と悲鳴が入り交じる。どちらにしても金切り声で、果たしてコウモリ人間たちの声なのか、鉤爪と鉤爪がぶつかる音なのかもわからない。
コウモリ人間たちは、まだ街道に踏み入れていないわたしには無関心だった。どうやらこの先は儀式の小屋と同じ、現実世界とは違う異次元の空間らしい。
二人が引き付けている間に、わたしは踏み越え、〈宣言〉する。
「これは上代の遺骸。骨は残らず、史に残らず、語り継ぐ
前に進みながら、持っていた杼を夜空に向けて投げる。その杼は重力によって落ちることなく、わたしの目線で浮遊した。
「されど
地面から風が吹いて、髪がふわり、と浮いた。
鉤爪や牙によって傷を負ったコウモリ人間たちからは、赤ではなく緑色の液体がぼこぼこと出ていた。右半身を半分吹っ飛ばされて横たわっている身体は、その傷口から緑色の液体が滴っており、身体が溶けるようにどんどん地面に沈んでいく。
だが、数は一向に減らない。引き戸からは、口を開けて急速にしぼんでいく風船のように、勢いよくコウモリ人間たちが飛び出してくる。
わたしが〈宣言〉をし始めたことに気づいたケイは、前にいたコウモリ人間を蹴り倒した後、その反動で踊るように後ろへ振り向いた。視線でヒビキに合図する。
ケイが、後ろに向かって跳躍する。ヒビキもその動きに従い、後ろに下がり始めた。
そのまま二人は、わたしの後ろに回る。
コウモリ人間たちは、わたしの存在に気づいたのか、一斉にこちらへ向かってきた。
同時に浮いていた杼は、槍のように長くなって光り始める。
それを両手で掴んで、わたしは叫んだ。
「仮名を部分的に解除。――〈命名〉、『土蜘蛛』!」
怒号が響いた。いや、叫び声かもしれない。
杼の胴部に巻き付いた木棺から、洪水のように白い糸が大量に吐き出された。その糸の束は町屋を崩し、山々の木々を薙ぐ。
一旦吐き出された糸は、巻尺のように勢いよくこちらへ向かってきた。
大量の糸とともに、糸の束に捕らわれたコウモリ人間たちは、鋭い光を放ちながら杼の胴部にある木管に吸い込まれていく。
町屋やコウモリ人間たちはまるで圧縮されるかのように、杼の胴部にある小さな木棺の中へ吸い込まれていった。
光が収まると、最後の糸も、しゅるん、と木棺に収まっていく。
目の前に広がっていた町は、無くなっていた。
周りには真っすぐ生えた木が群生しており、真ん中には巨大な岩が立ちふさがっている。
岩、と言っても、岩の周りには木の根っこが見えていて、シダのような寄生植物やコケが生えている。殆ど緑色の世界だ。
地面も、苔むした丸岩だらけになっている。
「……町そのものが『蟲』だったか」
ケイの言葉に、だね、とわたしは同意する。
あの町屋は、コウモリ人間たちが見せた幻覚、というより、コウモリ人間が擬態した姿だったのだろう。どうりでいつまでもコウモリ人間がワンサカ出てくるわけだよ。
『蜘蛛』の姿から、何時もの猫のような姿に戻ったヒビキが、大きな目をこちらに向けていた。いつもわたしから目を逸らすヒビキが、わたしに視線を向けるとは珍しい。
それだけわたしの能力に驚いたんだろうけど、詳しく説明するわけにはいかなかった。
「身体は何ともないか」
ケイの心配に、わたしは手を振って答える。
「ないないめっちゃ元気。疲労感ゼロ。あんまり寝てないからバテるかな、って心配してたけど、これなら朝まで余裕」
こんなだったらケイがやったように、『玉藻の前』の呪いも食べておきたかったなあ。『土蜘蛛』なら、多分食べられたし。
でもサトシと陽彦くんがいたからなあ……。
本当のわたしの能力は、『呪具』でもなんでもない。『土蜘蛛』に関する能力で、それゆえに福岡支部の上層部によって秘匿されている。
わたしの能力を知るのは、『黄昏堂』福岡支部の中でも局長を含めた数人しか知らない。
というのも、色んな妖怪が所属する『黄昏堂』だが、『蜘蛛』、特に『土蜘蛛』は徹底的に排除し討伐するのが掟なのだ。特に『京一派』にバレれば、即首が落とされるだろう。『京一派』には、『土蜘蛛退治』で有名な末裔もいるし。
ただ、『蠱毒』の儀式を行ったヒビキなら、今わたしが何をやったのかわかるはずだ。
妖怪や神、人外的な能力には『属性』が存在する。その『属性』には、「火は水に弱い」というように、『相性』が存在する。『属性』は陰陽術や魔術で有名な火、水、土、木、金(風)、空(エーテル)と言った
その中でも『蟲』は、『蟲』にだけダメージを与えることが出来る。「食べ合い」をするのが、『蟲』の特徴だから。そしてわたしは、コウモリ人間たちを「食った」。
コウモリは哺乳類だが、漢字にすると「蝙蝠」、つまり「虫偏」だ。本来虫とは『蛇』の象形文字であり、近代に入る前まで『蟲』は生き物全般を指していた。
町はなくなったが、山にそびえていた神社仏閣は、そのまま存在していた。
岩の下腹部には、ぽっかりと穴の闇がこちらを覗いでいる。歩み寄って覗いてみると、かすかに白い光が見えた。貫通した洞窟らしい。
この洞窟を通れば、向こうの山――『玉藻の前』の元に行けるだろうか。
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