AM2:00~3:00

 ケイがホテルのロイヤルホールに来たのは、朝の2時過ぎのこと。瓜生島が出現し、コウモリ人間の襲撃から30分後のことだった。

 大宴会に使われるロイヤルホールには、赤い地の唐草文様の絨毯がみっちり敷かれている。だがそれは、怪我をした人の血や、緑の液体、水を含んだ土によって、少なからず汚れていた。


 襲われて怪我をしたのは、夜間見回りをしていた警備員さんと、バルコニーから出て襲われたお客さん。簡易ベッドやソファを運んで、そのうえで寝ている。

 幸いケイが退治してくれたので、殆どの人たちは軽傷で済んだ。中には肩を噛まれ、多量出血で命が危うい人もいたが、現在それも止まっている。



「なんだ。河童、来ていたのか」



 ケイの言葉に、治療を行っていた河童――ひょうちゃんが、ため息をついた。

 現代医術ではそう簡単に塞げられない傷を塞げたのも、兵ちゃんの薬があったからだ。



「なんだじゃねーよ、人呼び出しといて」



 ここにいるのは、ホテルのナイトスタッフとお客さん、そしてひょうちゃん率いる『黄昏堂』の後方支援の人たちがいる。局長が到着する前に、福岡支部の半分のメンバーはこちらに来ていたのだ。……こういう時に支部が襲われたら怖いな。



「おら、怪我見せろ。……治ってんな。っけ、可愛げのねー」


 ケイの腕には擦り傷らしいものすらついていない。けれど腰巻の裙は、ところどころ破れていた。

〈憑き物〉や〈血族〉は、人外の力を有するために、治癒能力や痛みの耐性度が高い。特にケイは、腕を吹っ飛ばされても再生できる。

 ――再生能力が高い〈憑き物〉は、真っ先に盾になるように訓練づけられている。



「ケイ、外は? あのコウモリ男みたいな生き物は、どうなった?」


 サトシに一応外の様子は聞いていたが、実際にケイの言葉を聞かなければ落ち着かなかった。


「島に引き返していった。……が、このままじっとしているようには見えない。バラバラに動いてはいたが、アイツらの動きには明らかに統制がとれていた。衝動的な攻撃じゃない。どう動けば人間の群れを崩せるか、理解していた」

「……やっぱり」


 あのコウモリ男は、わたしの態度を見て「遊んでいた」。遊ぶ動物は知性が高い、と言われている。ケイが言う通りなら、あの襲撃も「計画的」なんだろう。そこに、「遊ぶ」という行為が加わっているから、なお性質が悪い。


 ピロンとスマホに連絡が来る。

 メッセージの相手は、ケイが退治している間に湾岸を駆け巡っていた陽彦くんだった。



『結界を湾岸全体に張り巡らせました』



 今いるメンバーで、陽彦くんほど結界術に詳しい人はいない。開発部の術式でも、陽彦くんの結界術にはかなわない。

 結界が張れたなら、コウモリ人間たちが市街地に行って人を襲ったり攫ったりすることは、出来なくなったはずだ。



「結界は無事張り終えたか。どうするんだ、これから。局長待つか? あと何分で着くって?」

「それが……大雨の影響で、山道がいくつかふさがっているそうです。回り道をするために、遅れているみたいで……」


 兵ちゃんの言葉に、事務の女性が、暗い顔で答える。

 局長たちの力は見込めない、ということだろう。



「んじゃあ、このまま籠城戦か?」

「いや。先遣隊を出すべきだ」


 サトシの言葉に、ケイが意見した。


「陽彦に長く結界を張らせるわけにはいかない。おれと八蝶で、情報を手に入れながら、できる限り戦力を削る」


 わたしも、ケイの意見には賛成だ。

 確かに陽彦くんの結界術は強い。だが本来、烏天狗の結界術は山の力を借りるものだ。慣れない土地で長時間、一人で広範囲の結界を張るのは向いていない。

 おまけに向こうにはあの『玉藻の前』がいる。『玉藻の前』の武器は、豊富な知識量だ。道士の太公望、陰陽師の安倍泰成に退治された彼女は、セキュリティを搔い潜ろうと進化するコンピュータウイルスのように、その対抗策として術に関する知識も、それを破る方法も持っている、と考えるのが妥当だろう。


 ――それにたぶん、彼女はわたしを待っている。『白い象の道が見える夜明けに』と言った彼女の言葉を思い出したわたしは、そう確信していた。



「……ったって、そんなに突入組に人数割けねえぞ」


 ケイの意見に、サトシが付け足す。


「ここにいるのは、後方支援だ。戦闘能力はほどほどにあっても、結界に異常があったらここの守りが薄くなる。陽彦が動ければいいが、結界を張ってんのはアイツだ」


 サトシの言う通り、島に突入するのはわたしとケイだけになる。確かに心許ない。

 おまけに、サトシを含めるメンバーの殆どは、わたしが『蜘蛛』専門の退治屋であることは知っていても、わたしの能力を具体的には知らない。

 呪具使いは、基本的にランク下に扱われるからなあ。

 本当に行くの? という目で見られ、どう説得しようか悩む。せめて、……。


 キュイン。

 甘えるように喉を鳴らす犬のような鳴き声がした。

 ……ん? なんだ?

 ケイの足元には、長い尻尾を引きずるヒビキがすり寄っていた。




「あ」






          ■



 朝の3時。

 わたしとヒビキを背中に乗せたケイが、砂浜を蹴る。コンクリートと違って蹴りづらくないかな、と思ったが、ケイはあっさりと海面を飛び越え、島の入り口である港に着陸した。

 浜辺にいた時は風が結構強く吹いていたのに、ここには全くない。ただ、波音はよく聴こえた。

 港と言っても、岸壁もなければ桟橋もない。「まるで時が止まったかのよう」だと思ったが、安土桃山時代の港は、本当にこんな簡素だったのだろうか。

 ケイの背中から降りて、奥を見る。先ほどと違い、街道には誰もいない。それなのに街灯の代わりに提灯の明かりが、規則正しく両側で光っている。まるでこちらに来い、と言わんばかりに。

 提灯の色は、緑色だった。狐火だろうか。


 向こうには山が存在し、木々が開かれた場所には、鳥居や仏閣らしい建物が建てられている。

 多分、あそこに『玉藻の前』がいる。

『玉藻の前』と仏教は、切っても切れない存在だ。


 街道には誰もいなかったが、町屋の中からは隠しきれない殺気と、何より檻のような引きとからは、ホオズキ色の目をした視線が闇にぼうっと浮かびながら、ギョロギョロ動いていた。




「……行こうか」



 わたしの言葉を合図に、ケイの足が、港から街道へ踏み込んだ。

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