島と化け物

「地震っ?」


 サトシがわたしより先に立ち上がる。

 室内を見ると、カタカタと、ベッドサイドに置かれていたランプが揺れていた。今すぐ倒壊するような揺れではないけれど、揺れが長い。そして、小刻みに揺れている。

 わたしは、ポケットに入れていた自分のスマホを見た。


 普通なら鳴り響きはずのアラームが、鳴っていない。


 画面を確認した途端、揺れは収まった。もう一度確かめるが、やはり地震のアラームは鳴っていない。

 検索を掛けても、最新の地震情報は出なかった。

 ……これ、霊感や見鬼の才がある人限定で感じ取れる揺れ?




「なあ。――島、あるんだけど」




 サトシが、バルコニーのフェンスから乗り出して言った。

 サトシが大きな懐中電灯で、海を照らす。わたしは隣に立って、懐中電灯が向く先をおいかけた。


「島? そりゃ、向こうは瀬戸内海なんだし、どっかに島ぐらいあるだろう……けど……」


 黒い海が、わずかな光を弾いて、激しく波立てる。波は船が並ぶ岸壁に、強く打ち付けた。そこから少しずつ遠いところを見ようとして――すぐに、目的のものにぶち当たる。

 左には国東半島の山、右には佐賀関半島の山に挟まれた別府湾。けれどその幅は、決して狭くない。杵築市・日出町・別府市・大分市の三つの市町が一列に並んでいるのだ。


 なのに、その湾全体を覆うように、しかも砂浜から1キロメートルも離れていないところに、巨大な島が現れた。



「……は?」


 いや、ちょっと待って。

 デカすぎない? アハ体験のレベルで出てきたようなもんじゃないんですが??? ビーチの海が島でほとんど埋まっているんだが???


「何あれ。島⁉」

 上から、女性の声がした。バルコニーに出て、海を見たらしい。他にも、ざわざわと人の声が聴こえてきた。内容は聞き取れないが、これだけ外に出ているとなると、どうやら揺れを感じ取った人はわたしたちだけでなく、ホテルのお客さんにもいそうだ。

 別府湾の、巨大な島。……もしかして。



「あれが、瓜生島うりゅうじま?」



『女の蜘蛛によって、川や海が血に染め上げられる』と予言した寄り神が、やって来た島。

 全国から船が出入りし、1000軒もあった港町、とも言われるほど栄えた島。

 そして一夜にして、滅んだとされる島。


 その瓜生島が、何で今ここに?


 距離が近いおかげで、ここからでも目視でも見える。

 こちらに一番近いところにあるあれは、建物だ。均等に、似たような建物が、真ん中の道に向かい合うように並んでいる。時代劇にありそうな、町屋の並びみたい。っていうかそのものじゃないか、あれ。まるで、時が止まったまま、海に沈んだような……。




「……おい、人もいるみたいだぞ」

「え?」


 サトシの言葉に、わたしは必死に目を凝らす。


 こちらに一番近い港の、すぐそばの町の道に、数十人ほどの人が集まっていた。

 はっきりと見えないが、着ているものは着物のように見える。

 一列に並んで、なのにゆらゆらと不規則に動く人々は、海に一番近い場所で止まった。


 そしてそこから、蜂の巣から蜂が飛ぶように、四方八方に飛んできた。


「はあ⁉」


 その動きを確かめる前に、その一人(?)と思われる、着物を着た男が、後ろに羽を生やして飛んできた。

 こちらが反応する間もなく、男はフェンスの上に立っていた。コウモリのような羽を生やし、牙を剥いて笑う姿は、まるで吸血鬼のようだ。


 わたしとサトシは、慌てて室内に飛び込み、バルコニーに通じる窓を閉める。が、占めこむ前に、手を挿まれた。男は片手で窓を開けようとする。

「くっ……」

 必死に窓を抑える。ものすごい力で引っ張られる。力の入れすぎなのか、恐怖なのか、少し震えている。

 ガラスの向こうで、男と目が合った。


「クケケケケケケケケケ‼」


 男は口を大きく開けて、けたたましい声を上げる。ホオズキのように赤く輝く目は、三日月のように細くなっていた。たまにガラスを、ダン、ダン、と蹴とばしている。

 こいつ、嗤ってる。わたしで遊んでんな⁉

〈ソメさん〉の力を借りたいが、それには杼を持つために、片方手を開けなければならない。だけど片手でこいつの力に勝てるわけが、



 突然、すっと腕から力が抜けた。力みすぎて、空回りしたらしい。

 パアン! 

 窓が、左に勢いよく開け放たれる。海の音と、いくつかの人の叫び声が、はっきり聞こえた。

 だがそれも、ものすごい速い車に乗せられたかのように、ギュンッと遠ざかる。


 スローモーションというより、パラパラ漫画を見ているような感覚。


 もう片方の男の手には、鋭い鉤爪が光っている。その鉤爪は、わたしの肩を目掛けて振り下ろされようとしていた。

 あ、これ死ぬ。そう思った時。


 その男の後ろから、別の影が、男より更に速い動きで近づいていた。

 真っ黒で見えない物体から、筆で素早く払うような白い光が見えた。その光の線は、どんどん大きくなっていき、



 わたしの目の前にいた男の首を跳ねた。



 その途端、視界は速さを取り戻した。


 男の胴体はそのまま離れ、ぼんやりと輝く白いコンクリートの上に、液体がしみ込んでいく。

 わたしは、へなへなとそこに座り込んだ。

 男の首は、ホオズキのような目を見開き、嗤ったまま固まっていた。

 けれど少し間をおいて、胴体とともに、どろっと液体化していく。

 バタバタ、とはためく音が、頭上から聞こえた。わたしは視線を男の遺体から、バルコニーのフェンスへ向ける。


 フェンスの上に立っていたのは、腰巻をはためかせていたケイだった。


 ケイはそのまま無言で上を向き、矢を放つように飛んでいく。

 カツンカツン! と、刃物と刃物がぶつかるような音と、時折聴こえる悲鳴、そして警報機のようにけたたましい断末魔が響いていた。

 多分その音はかなり大きい音のはずだ。

 けれど水の中に飛び込んだように、私の耳には不明慮に届いた。


「おい、八蝶やちよ! 大丈夫か⁉ おい、聞こえているか⁉」


 サトシが、わたしの肩を揺らす。だけど、反応する余裕がなかった。耳には届いているが、頭までにはしっかり届かない。

 それ以上に、心臓の音がうるさい。血の音が激しく聞こえて、ゴーッとなる。




『また息が浅くなっている。深呼吸しなさい』



 ……そう口を酸っぱく言っていたのは、おじいさんだっけ、お父さんだっけ。

 もはや、慌て始めたら深呼吸する、というのは、条件反射だった。

 心臓の音を聞きながら、ゆっくりと深呼吸をした。ゴーッという音も小さくなって、代わりに海の音と風の音が聞こえ始める。

 五回ほど息を吐けば、心臓もバクバク言わなくなった。手を開いたり、開けたりして見る。

 身体は動く。

 頭も、少しだけクリアになった。……よし。



「サトシ、ホテルのお客さんたちを一か所に集めて! 陽彦くんなら、結界術にも治癒術にも詳しい!」


 勢いよく立ち上がって、サトシに言う。

 サトシは目を丸くして、一呼吸おいてから、お、おう、と言った。

 そしてぼやく。


「やっぱお前、強いよ。メンタル……」


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