星空はとても綺麗だ



 ノックすると、どうぞ、とサトシに言われた。部屋の鍵は開いていたので、そのまま入る。

 部屋は暗く、サトシは部屋の窓を開けて、バルコニーに出ていた。

 風が出ていたようで、サトシの癖のある茶髪を緩く揺らす。潮と温泉の匂いがした。



「オーシャンビューの部屋とか、経費で落ちると思うか?」



 波と風の音に連れ去らわれそうなほど小さな声で、サトシが苦笑いして言った。

 わたしは、いやいや、とおどけて言う。



「これは必要経費だから。海を見張らないといけないし。決して、決して『観光地にわざわざ来て、妖怪退治だけで終わらさせるか』という意地があったわけじゃないし」


 病気の流行で部屋も余っており、いつもより格安でとれた。

 オリンピックが近づいたこともあって、「外に出歩いて食べに行こう」というポスターがどこにでも張られていたが、やはり客はすぐには戻らないのだろう。……観光業には悪いが、妖怪退治屋としては有難い状況だ。人が多ければ、その分事件の秘匿をするのが難しくなる。

 もっとも、儀式そのものを食い止めたかったんだけどなあ……。


「何時まで続くんだろうな、この流行」

「さあね。これからどんどん変化株が出るだろうし。薬が出来るのは、早くて一年後かなあ」


 問題は病気だけじゃない。今まで「無理をすれば何とか大丈夫」だったのが停滞し、無視できていたところが、あちこちで悲鳴を上げ始めた。

 そこから生まれる闇は、心のすき間を縫うように付きまとうだろう。

 差別。侮蔑。恐怖。優越感。攻撃性。悪意。

 これらの感情は、簡単に妖怪を作り上げる。わたしたち妖怪退治屋も、休む余裕はない。局長が京都に行った理由も(表向きは)、爆発的に増えた悪意によって形成された妖怪退治と、それを振興する新興宗教の逮捕の助力要請だし。



 サトシにならってバルコニーへ行く。

 昼の日当たりが残るコンクリートは、少しだけ温かい。わたしとサトシは、何も引かずにバルコニーに座った。

 座り込むとコンクリートのフェンスが遮るので、残念ながら海は見下ろせない。代わりに見上げると、星空が広がっていた。街の灯りが消えたおかげで、星空がもっとはっきり見える。


 黒と藍が入り交じる夜。寒い日に吐く息のような銀河は、天から降りていくように、夜空より黒い山へと向かっていた。

 その川を横切る様に、ベガとアルタイルがある。

 夏の大三角形は、小さいころ最初に覚えた星座だった。無数に光って群れを成す星海の中で、三つの星は強く大きく光っていた。


 きれいだなあ。


 地上はこんなに大変で、息をつく間もない。だからこそ、綺麗なものを綺麗だと言えるのは嬉しい。



「……悪かったよ」


 サトシがポツリと呟いた。

 唐突の謝罪に、わたしはあんぐりと口を開ける。


「なんだよその顔」

「いや、なんで謝っているのかがわかんない」

「俺を助けてくれた時のだよ。お前のこと責めただろ、俺」

「ああ、あれかあ」


 ……マジで何言ってんだコイツは。


「君、言葉がすぎた程度で謝罪をするような性格じゃないでしょ。ってか謝らないでしょ基本。熱出た? それとも何か企んでる? もしくは別人? 異世界から憑依した?」

「お前の前髪引っぺがしたろーか」


 言われる前から前髪を掴まれてた。成程、この手癖の悪さと口の悪さは本人だ。


「……俺が弱いのは、俺の責任だ」


 わたしの前髪から手を離して、サトシはコンクリートの床に視線を落とした。

 星がこんなに綺麗なのに、もったいない。


「チームで動く以上、出来る奴は出来ない奴のフォローに回らざるを得ない。俺が弱かったせいで、儀式を食い止められなかった」

「その『出来る奴』って言うのは、何? 戦闘能力?」


 わたしの問いに、サトシは答えない。

 だが、そういうことなんだろう。


「戦闘力なんて、わたしもないよ。知ってるだろ? 君やケイと違って不思議な力を持たないし、〈ソメさん〉がいなきゃ妖怪を見ることも出来ないんだって」

「……それでもお前は、恐れないだろ」

 サトシは続ける。

「俺にはお前みたいに、空から落下することも、蹴り飛ばすことも、一度襲われた後にあの男に近づくことも、吊り下げて怒鳴り散らす勇気もない」




「――それはさ、わたしが恐怖に強いんじゃなくて、ケイや君や陽彦くんが、絶対に守ってくれるって信じていたからだよ」


 あと〈ソメさん〉。

 サトシは、問題にするべきところが違う。


「ああいう悪意は、人間の強度じゃなくて、孤立している人を狙うんだ。周囲に助けを呼べない人をね。ケイ並みに強かったとしても、あの手この手を使って狙ってくる。


 わたしも昔、狙われたことがあったんだ」


「え?」

「両親が忙しくて、殆ど家にいないのがバレていたんだろうね。家の前でさ、突然中学生の男の子に身体を抱えられて、誘拐されそうになって」


 まだ、ケイと出会う前の話だ。当時の我が家の傍には、草木でボウボウの、視界が悪い空き家があった。


「そこに連れ込んで、まあ、裸の写真ぐらい撮ろうと思ったんじゃないかな。デジカメだけ持っていたから。わからないけど」

「……中学生って、今のお前と同じぐらいじゃないか」



「言ったろ? そんなの関係ないって」



 ざらり、と、バルコニーに散らばっていた砂が、わたしの手に食い込む。


 支配欲に、年齢も性別も関係ない。中学生の彼にとって、小学校に上がったばかりのわたしは、空き家に連れ込めるぐらいには軽くて容易い存在だった。

 もし、あのまま彼の思惑通りになってしまったら、今のわたしは、どんな人間になっていたんだろう。



「最悪の事態にならなかったのは、いつもお世話になっていた近所のおじいさんが助けてくれたからだよ。おじいさんが一喝してさ、その男の子、ビビッてすぐわたしを離して逃げて行ったんだよね。その時デジカメも落としたんだけど。

 その後、おじいさんが追いかけて捕まえたらしいんだけど……まあよくわからないや。あんまり前後のこと覚えていなくて」


 よっぼどショックだったのか。自分的には、「怖かった」という思い出が薄すぎて、それもしっくり来ないのだが。

 ただ覚えているのは、おじいさんの必死の形相と、鋭くも焦りのある声だけだ。



「そのおじいさん、顔が厳つくてさ、物言いも堅苦しくて、大抵の子どもは逃げちゃうの。おまけに剣道やっている人だったから、礼儀作法に厳しくて厳しくて」

 まあ、興味なくて身につかなかったんだけど。けど、他にも色んなことを教えてくれた。殆どは忘れて、今はもう「色んなことを教えてもらった」ことしか覚えてないけど。それでもその中で、よく覚えていることが一つだけある。


 わたしは、指を空に翳した。

 一本ずつ、指を立てていく。


「指一本は、『いないものとされる』。指二本は、『笑いものにする』。指三本は『情報をわざとあたえない』。指四本は、『どちらを選んでも文句を言う』。

 そして指五本は、『責任を押しつけ、恥をかかせる』(※)」


 手を大きく広げる。指のすき間を縫うように、天の川が流れているようだった。

 わたしはそっと、サトシを見る。

 サトシは、どこか迷子になった子供のような顔で、途方に暮れている。


「ベリット・オースっていう政治家が提唱した、『支配者が使う5つの手口』。いわゆる『フェミニズム』って奴なんだけど。

 別にこれ、性別とか、年齢とか関係ないよね。現にわたしたち子どもの世界でも、当たり前にされて来たわけだし」



 例えばいじめ。

 何か喋っても、周囲は徹底的に無視する。存在を認めない。

 その癖、授業に当てられて教科書を音読しようとしたら、「クスクス」と笑われる。

 授業の変更や、課題の締め切りに関する情報を敢えて伝えない。

「頭もさっくるしいよね」と言われ、髪を切ると、「ブスがかっこつけている」と言う。

 そして最後に、「いじめられている方も悪いよね」、と言われる。



『支配』とは、優越感で偏った天秤だ。

 軽い方は「罪がない」。重い方は「罪がある」。それを見せられた周囲は、簡単に勘違いするだろう。

「ああ、アイツが全面的に悪いんだな」って。

「軽い方」を、正論だって信じ、中には迷うことなく攻撃する人もいるだろう。

 でもそれは、本当に純粋な重さだろうか?


 相手だけではなく、周りからも責任というおもりを、押し付けられていないだろうか?



「人間の善悪、強弱じゃないんだ。。だから、その重さが本当に正しいのか、他の人が見張る必要があるんだ。その錘をどけて、正しい位置に置くために、他人の助けが必要なんだ。――わたしは、君たちがそうするって信じてた。だから怖くなかった」


 陽彦くんはわたしを助けてくれた。ケイは激情に駆られて、人外的な能力を振り回すわたしを止めてくれた。

 二人とも、わたしの天秤を正してくれた。

『自由』って、『どんなことがあっても、最初から世界中の人に支持されている』って、根拠なく思える自信のことなんじゃないかなって、最近思う。


「だから、サトシ。君は……」




 最後は、言葉にならなかった。

 だって、何が言えるんだろう?

 根拠のない自信は、わたしが自力で勝ち取ったものじゃない。皆が尊重して守ってくれたから、今日までずっと手元にあった。でも最初から『自由』を守られなかった人には、その形や実感がわからない。

 海を見たことのない人に、海を説明するのと同じぐらい難しい。

 でも何か言いたい。

 エゴだというのはわかっている。サトシが一生懸命生きるために、そういう風に生きていくしか無かったのもわかっている。それをわたしが、軽々しく否定していいはずがない。

 でも、自分の心の痛みを誤魔化すために、自分を痛めつけないで欲しい。痛かったなら、ちゃんと「痛かった」と言って欲しい。

 そう心で叫んだ時、





 大きい音を立てて、地面が揺れた。



ーーーー

(※)サッサ・ブーレグレーン(著)枇谷玲子(訳)『北欧に学ぶ小さなフェミニストの本』岩崎書店、2018 より参考、P102,104,106,108,110より引用

Wikipedia「Master suppression techniques」(最終更新2021年12月4日)

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Master_suppression_techniques

(最終アクセス2022年1月24日)

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