誓約を破った結末

 男から聞き出した結果。

 わたしはキレた。

 粗方話を聞いたわたしは、〈ソメさん〉の力を使って、男をグルグル巻きにしてぶら下げていた。ちょうどよく看板があるので、滑車の原理で吊り下げた。逆さ吊りにしてないだけまだ理性があると思って欲しい。

 本当なら、この男を引きずったり鞭みたいに地面に叩きつけたかった。



「ぎゃああ! 降ろせ、降ろしてくれ! 落ちる、殺す気か、死ぬ、死ぬ‼」


 暴れる男。うるさい黙れ。

 こいつは最悪だ。言ったこと全部を口にしたくないし、思い出したくないし、そもそも聞いた時間を取り戻してリセットしたい。


 予言や呪術的な目的とは関係なかった。

 コイツは、女じゃなくてと主張してサトシを襲った。



『や、約束したから……「もうこんなことしない」って……だから、男ならいいだろう!?』

『女にはしない、男が男にヤったって、なんの問題も無いはずだ! だから、だから……』



 ああ確かに、2017年までは法律にすらされてこなかった。男性が性被害を受けるなんて、信じるどころか想像すらしなかった。日本だけじゃない、どの国もほとんど最近になって改正されている。

 けれど法律が改正されたところで、殆どの人は男性の被害のことを「ラッキーだったね」とか「ホモかよ」と笑う。「本当に嫌だったなら逃げられたはず」という。何より、男性自体が被害を認められない。


 自分が、「『本当の男』じゃない」ことに苦しむのだ。

 だから大概は、被害が「滅多にない」ことにされ続けている。


 わかっていない。性的指向は関係ない。性欲の強さも関係ない。被害者が女の子に見えたとかも関係ないし、マッチョじゃないとかも腕力がないとかも関係ない。


 ゲイじゃなくても男を犯せるし、レズビアンじゃなくても更衣室の盗撮は行われる。

 意識が混濁するまで酒を飲ましたり、薬を飲ませたら、腕力も体格も関係ない。

 現にわたしたち子供の世界でも、平然と行われていた。

 子どもの下着姿を親が撮影したり、通学中に痴漢にあったり、同級生からトイレでボトムやパンツを下げられたり、校則だと言って先生に下着までチェックされたり、指導者から「いたずら」をされた子どもは、男女問わない。

 相手から、「『嫌だと言える』人間」として扱われていないからだ。


 その行為で心を壊した『黄昏堂』の子が、どれだけいると思っている。

 あの子たちは、家族から息をすることすら疎まれて、それを悪意ある他人に付け狙われた。〈憑き物〉とも〈血族〉とも関係ない部分で、ただ後ろ盾がなく、大人に助けを呼べない子どもだということだけで狙われた。

 寂しさゆえに手を伸ばし、簡単に信頼して言うことを聞くことがわかっていたからだ、どんなことをしても「バレない」とわかっていたからだ、報復されることも社会的地位が危ぶまれることもないとわかっていたからだ!


 まだ10歳にも満たない〈憑き物〉の子たちの顔を思い出す。

 笑顔どころか表情一つ変えられない男の子がいる、同性の大人を怖がる女の子がいる、外に出られない女の子がいる、写真を撮られるのが怖い男の子がいる、複数の笑い声が怖い子がいる。

 どうして、


 どうして、ここまで人生を踏みにじられなくちゃいけないんだ、あの子たちは!




 怒りで頭が真っ白になるのを、

 ――そっと、誰かが手を添えて現実に戻した。


「止めろ、八蝶」


 急に、視界が色を取り戻す。

 わたしの、ギリギリと杼を握りしめた手を止めたのは、少し冷たくて、皮が厚くて乾燥した手のひらの感触。

 鍛えられたため手首の骨が太く、節や血管が角ばったケイの手の甲が、わたしの手の上にあった。


『なんじゃ。やめるのか?』

〈ソメさん〉が言う。

『このような男、このまま頭から落としてもいいのではないかえ?』

「たとえ加害者だとしても、一般人に対しての必要以上の攻撃は禁じられている。とは言え、呪具使いというくくりで対応するのは可能だろうし、おれもこの男を擁護する気は一切ないが……」


 ケイは続けた。



「殴った後で自分を責めるなら、やめておけ」



 その言葉に、わたしの中で、怒りのような何かが萎んでいく。

 鼻がツンと痛む。地面が少しぼやけていたので、わたしは慌てて上を見た。

 その後に襲ってくるのは、猛烈な後悔と、波打つような恥ずかしさ。

 激情が完全に遠くなったのを見計らって、サトシの方を見る。

 サトシはわたしの顔を見ていた。


 女の代わりに襲った男に対してなのか、それともわたしが庇ったことに怒っているのか。襲われた自分が、もしくは庇われる自分が恥ずかしいのか。色々あって混乱しているのか。案外冷静なのか。

 わからない。わたしには、サトシの感情が読み取れない。


 だからこそ、経験則で「やってしまった」、と、思った。

 サトシは――庇われる自分が、何よりも嫌いなのに。



「そいつを解放していいな?」


 ケイの言葉に、わたしは黙って従おう、




 として、ごろっと上から何かが落ちた。



 目を疑う。

 地面でちょうど建物の黒い影が出来た場所に、ボールのようなものの影が確認できる。

 混乱したまま、影の中にあるソレを探すために目を凝らした。


 看板から地面に落ちたのは……男の首だった。

 男は落ち武者の生首のように、顔だけの姿になっていたのだ。



「え?」


 目を丸くした皆が、わたしを見る。

 わたしは暫く生首を見つめ、ゆっくりと振り返った。ケイとサトシと視線がばっちり合う。



「「……えええええ⁉」」


 わたしとサトシの叫び声が揃った。


「おおおおお前⁉ くくく首を切り落とす、切り落とす? 締め……殺す? どっちだ?」

「いやどっちもしてないよ⁉ 身体だけしか縛ってない! 絞首刑みたいなことしてないって⁉」


「落ち着け。ゆっくり糸を降ろしてみろ」


 ケイが呆れたように言う。

 わたしは言われたとおりに、慎重に糸を杼に巻きつける。凧あげでもしているようだ。

 ……軽い?

 あまりの手ごたえのなさに、わたしは思いっきり引っ張った。



「おいいい⁉ その糸、首無しの胴体に巻き付いてんだろ⁉ もっと慎重に!」

「違う。……違うよサトシ」


 わたしは、地面に降ろした糸を見つめる。

 男の身体に巻き付いていたはずの糸は、まるで羽化した蛹のように空っぽだった。身体は、どこにもない。

 ……どういうことだ?

 ケイと同様、冷静な陽彦くんは、既に生首の元に向かっていた。

 生首を見下ろして、こう言う。


「……この男、私よりも先に、誓約せいやくを掛けられていたようです」

誓約せいやくって……さっきの、約束ごととか、身の潔白を証明するためのものだよね?」



『古事記』などの神話に置いては、『誓約うけひ』と読む。

 特に有名なのは、スサノオと天照大御神の『誓約』。『古事記』と『日本書紀』では生まれてきた子が逆になっていたり、身の潔白を証明するための性別が逆になっていたりするが、とにかく、五柱の男神と三柱の女神が生まれる。

 その三柱の女神が、福岡県宗像市に祀られる宗像三女神。この間世界遺産になったところだ。この三女神は八幡三神の一柱、「比売神」と同一視されて祀られている。

 また、五柱のうちの一柱、アメノオシホミミは、英彦山神宮で祀られる主祭神であり、英彦山の烏天狗の末裔である陽彦くんと深い関係がある。


 だがこちらは「身の潔白」を証明するだけのものであり、「もし違ったら罰が下るタイプ」が、コノハナサクヤヒメの出産と鳴女の話である。

 コノハナサクヤヒメは夫であるニニギに「子が出来た」と伝えるが、「別の男の子じゃないか」とあらぬ疑いをかけられた。コノハナサクヤヒメは、ニニギの子だと証明するために、産屋に火を放つ。そして子どもが無事に生まれたので、ニニギの子だと証明された。

 雉の鳴女は、「国譲り」の話に登場する。天照大御神が率いる天津神が、国にいた国津神に「国を譲れ」という命令を下し、使いを出した。ところが二人目の使いである天若日子は命令に背いて帰ってこなかった。そこで鳴女を天若日子の元に遣わせた。鳴女は高天原からの命令を伝える。それを聞いた天探女アメノサグメは、天若日子に「声が悪いから射殺しろ」と進言する。

 天若日子によって放たれた矢は、鳴女に刺さった後、そのまま高天原まで届き、天照大御神たちは天若日子が謀反をおこしたのではと考え、矢を送り返して『誓約うけひ』をする。結果、謀反の意があった天若日子の胸には矢が刺さった。という話だ。


 現代に伝えられる『誓約せいやく』は約束事に近く、相手が同意し、条件を破れば術が発動するようになっている。さっきの陽彦くんのように、一方的に誓約せいやくを掛けられるのは、英彦山の烏天狗のように、神話に出てくる誓約うけひと関りがある術士に限られているのだ。


 ――話は長くなったが、この男は陽彦くんの前に、誰かと『誓約せいやく』を交わした。それを破ったから生首の姿になった、と陽彦くんが言う。

 そう言えばさっき、男は『約束した』と言っていた。約束した相手が、誓約を掛けた相手ということだろうか。そして男の「男ならいい」の主張は通らず、誓約は発動した。

 大概、『誓約せいやく』は破ると死に直結するのだが……。


「そいつ、死んだ、のか?」


 サトシがそう言った時、突然ピョンピョン飛び始めた。生首が。



「⁉」

「な、なんだこれ⁉ お、オレの身体、身体どうなってんだ⁉」



 先ほどのだみ声とは打って変わり、金属のように甲高い声で叫ぶ男の生首。

 ……いやこれ、甲高いってレベルじゃねえ。読み上げだ!



「……やばいね」

「伏字でもアウトかもな」

「ご丁寧にボイチェンまでしやがって……」


「え……あの、なんですか? 皆さん、心当たりがあるようですが……」


 陽彦くんが戸惑う様子を見せる。


「いや……お前は知らなくて当然だ」ケイがもったいぶって言う。

「何せついこの間まで、Wi-Fiを知らなかったんだからな……」

「それ半年前じゃないですか‼ さすがに今は知ってます‼」


 陽彦くんが若干顔を赤くしてケイに反論する。

 そうか陽彦くん、あんまりインターネットに触れないもんね……サブカルチャーとかあんまり知らないよね……。

 やばい本気で怒った後にこのぐだぐだ、めっちゃ疲れてきた。どういうことなのこれ。



「この頭おかしくなりそうな呪いは、さっきの呪具アプリに関係するのかな」





「いやさすがに、わたくしもこんな頭のおかしい呪いはかけませんって。なんですか、この悪夢みたいな状況は」




 わたしの言葉に、頭上から呆れを滲ませた声が答えた。――女の声だ。

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