即席の呪具使い

 わたしの蹴りによって男はボロボロになっていたが、気絶していなかった。一般人だからと情けを掛けて、蹴りの威力を低めにしたのが悪かったか。

 逆光で顔はよくわからない。真っ黒い顔の中に、よだれまみれの口が開かれるのが、スローモーションで見えた。

 男はそのままわたしに近づいてくる。

 わたしはそのまま、その男と口を合わせ――



 る前に、男は再び吹っ飛ばされた。

 白くて細い羽が、ふわふわと落ちる。



「ご無事ですか八蝶やちよ殿!」

「陽彦くん」


 男を吹っ飛ばしたのは、フードが付いた上着もマスクも取っ払った陽彦くんだった。髪の色とお揃いで、白いTシャツの背中の切り目から生える羽は鼠色よりも薄い。

 陽彦くんの手には、錫杖が握られていた。さっきはそれで男をぶっ飛ばしたのかな。

 陽彦くんにしては珍しく早口で、しかも焦っていた。ものすごく。


「わたしは大丈夫。助けてくれてありがとう」

 それなりに怖かったが、人が焦っていると、逆に冷静になる不思議。

「ところで、陽彦くんがさっき戦っていたヤツは?」

 わたしが問いかけるのと同時に、陽彦くんの後ろから忍者のように屋根と屋根を跳躍しながら来る影が見えた。ケイだ。

 スーパーボールのようにストン、とわたしたちのところに着陸する。

 ケイは聴覚もいい。さっきの会話が聞こえたのだろう。息も乱さず、わたしの質問にこう返した。


「お前の飛び蹴りの音と、ほぼ同時に消えた」

「消えた?」

「私を襲っていたあの妖怪は、その男と連動していた式神です。式神を利用したのは、私とサトシ殿を引き離すためでしょう」


 陽彦くんが答える。


「八蝶殿がその男を攻撃したことで、式神は形を保てず崩壊したようです。元々、現実世界に降ろすのも厳しく、形らしいものはなかった」

「ああ……」


 確かに、陽彦くんを「襲っている」感じはあったけど、全然現実味がない感じだったな。細部どころか大まかな造形すらわからない絵を見せられているというか。「子どもが書いた、荒唐無稽な絵」とでも言うか。だから姿が透明のような、そうでないものに見えたのか。

 実体化されてなかったから、陽彦くんの周りの建物とかブロック塀とかコンクリートは、壊れていなかった。



「式神、ってことは、この人陰陽師か何かなの? にしては……」


 大した霊力も魔力も妖力も法力も感じないし。術士なら肉体強化ぐらいできるだろうに、あっさりわたしに蹴とばされてる。あ、でも気絶はしてなかったな。


「ええ。便宜上式神と言いましたが、あの出来ではお粗末すぎる」

 険しい顔のまま、陽彦くんは言った。


「ですから彼は、『呪具使い』です。それも八蝶殿のように研鑽を積んだことがない、即席の式神使いかと」

「即席……」


 何らかの呪具を偶然手に入れた一般人、ということか?

 わたしはさっき見た所持品を思い出す。

 持っていたのは、タバコとライターとスマホ、それから飾り気のない銀のストラップがついたカギ。


 ……スマホ?


 わたしは男のポケットから、スマホを取り出した。手帳型のケースではなく、プラスチックカバーのものだ。

 すぐに男から離れ、スマホをサトシに手渡す。


「サトシ、このスマホから何かわかる?」


 ハーフフィンガーのグローブをつけたサトシの手が伸びる。

 スマホを受け取ったサトシは、暫くスマホを見つめて、迷うことなくパスワードを開いた。サトシの読心能力は、物体の残留思念も対象だ。

 画面の光が、サトシの顔を青白く照らす。


「……この男、さっき言ったDMのチャットルーム利用者だ」


 やっぱり。

 サトシは、ホームに並ぶアプリのアイコンを指した。

 4列並ぶアプリ欄の、一番右下にあるアプリ。アプリ名は「あまのがわ」。笹と天の川のイラストが描かれていた。


「このアプリが、対象の無意識と連動して式神を作れるようになるらしい」


 何でもスマホでできる時代になったけど、まさか『呪具』もアプリでできるようになったとは。


「チャット経由でインストールされたものだな。普通のアプリストアにはない。当たり前か」

「A〇pleの審査は厳しいからね」

「……そういう問題でしょうか?」


 陽彦くんに突っ込まれるが、気にしない。


「……まあ、敵に利用された奴っていうことはわかったよ」


 サトシはすぐにスマホをわたしに渡した。

 おかしい。いつものサトシなら、もっと調べているはずなのに。そして危険な目に遭った時は、もっと口数が増えているのに。

 少し考えて、わたしは本人に直接聞くことにした。


「あ、おい!」


 サトシに声を掛けられるが、わたしは気にも留めず、うつ伏せになっている男の元に、ずんずん歩み寄る。


 ぐい、と男の前髪をつかんだ。



「やっぱり。起きてたね?」



 陽彦くんに吹っ飛ばされてもなお、男は気絶していなかった。出血はそこそこだが、目元や口元はあまり腫れていない。このアプリの呪力によって、それなりに身体も強化されていたらしい。

 けれど、後ろにケイと陽彦くんがいるのを見て、もう抵抗する気が起きなくなったようだ。

 さきほどの表情と違い、今の男の顔はあまりにも虚ろだった。表情らしきものが見えない。明らかにわたしから目を逸らしているが、それだけだ。

 なんだコイツ。


「どうしてサトシと陽彦くんを襲った? このアプリは、なんか怪しいDMの人が送り付けたんでしょ? 誰が作った?」


「……したんだ」

「は?」



「声がしたんだ。もう、女は……ないから……男を……て……」


 ……ん?


「お、女は約束したから……男ならいいだろ……?」

「何、言って……」


「……八蝶殿、下がってください」


 険しい顔で、陽彦くんはわたしから男を引き離す。

 そして陽彦くんは、チョキの形を縦にする――印を結んで、こう言った。


「『木花之佐久夜毘売の戸無き八尋殿の内に入り、土を以て塗り塞ぎて火を放つ』」


 声は決して強いものではないが、山奥や森林でしっかりと響き渡るような声だ。

 その朗々とした声とともに、地面から円陣を描くような緑の光とつむじ風が巻き上がる。

 陽彦くんの白い肌、青い瞳、白地のパーカーが緑の光に染まる。つむじ風は陽彦くんの灰色の前髪と白い翼、袴のような黒いワイドパンツを揺らした。


「……これ、近所の人に聞かれているんじゃないか?」

 ケイがぼそっと言った。

「これだけよく通ってデカい声だと、人が来ると思うんだが」

 ……周囲に人がいないことを祈ろう!


「『汝が善き心無くば幸くあらじ。汝が邪しき心無くば幸くあらむ』」


 その呪文を唱えるとすぐに、薄い緑色の炎が縄になって男を縛る。

 さすがにこの異常現象には驚いたのか、表情を変えてその場で暴れる。タバコの火を消すように、炎の縄を地面にこすり付けた。だが、その炎が消えることも解けることもない。


「な、なんだよこれぇ! ば、化け物!」


「え、今更?」

「大分前から物理法則的におかしいことしてたんだが」


 そうだね。わたしとか空から落ちてきたし、陽彦くん翼出したままだし、ケイは屋根をぴょんぴょん跳ねてここに来たもんね。


 つむじ風と緑の光が止み、陽彦くんは硬く低い声で言った。


「今、お前に誓約せいやくを掛けた。お前が纏う炎は熱もなく燃えることもないが、偽りの言葉を吐けばすぐに赤くなり燃える。今ここで一切の偽りなく答えよ」


 陽彦くんの冷え冷えとした声と凍てついた視線を受けて、男は全てをぶちまけた。

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