かの人は何を見てきたのだろう。

 買売春は世界最古の職業、などとよく言われるが、日本のその歴史は実は浅い。と言うのも、家制度が確立し、家のための結婚が強制されなければ、買売春は成り立たないのだ。

 それが行なわれるのが、平安時代。子供は母に所属すると考えられつつも、父から息子に官位が渡され、天皇の祖父であることを主張し、摂関政治が始まった時代。

 親に決められた人を正室に据え置き、自由恋愛の先を別の女に向けた時代だ。



「史料で最初に見られる売春は、10世紀中期に書かれた『和名類聚抄』の遊女あそびと、同列に並ぶ夜発やほちだと言われている。ただ、夜発ははっきりと『夜を待って性を売るもの』と書いているのに、遊女は『白昼ふらふらと出歩くもの』としか書いてないんだそうだ」


 つまりこの当時の遊女は、基本的に芸を売るのが仕事だった。『源氏物語』の描写からして、性を売っていたこともあっただろうが、専門ではない。

 そして、この当時の遊女たちは特に、卑しめられることも差別されることもなかったことが、『更級日記』の描写からうかがえる。

 彼女たちは貴族の宴会に参加し、一か所にとどまらずに歌を広め、山から山へ、川から川へと移動していた旅人だった。


 だが、その地位も徐々に転落していく。



「平安時代を実質的に終わらせたのは、保元の乱。貴族同士の争いに、武家の力を借りたことから始まる。700年の武家社会を成立させる、鎌倉時代の始まりだ。

 戦争は、彼女たちにそれまで持っていた芸術性を奪っていった」



 戦になれば飢える。飢えれば腹を満たさぬ芸は蔑ろにされる。

 なのに何故か、性は需要がある。遊女たちは、芸よりも確実に利益を得る性を売る様になっていった。

 腹を満たすわけでもないのに、なぜ需要があるのだろう?



「『将門記』では、強姦されたと思われる描写が載っている。……現在も戦争は、集団レイプを引き起こすことが指摘されている」


 わたしは視線を、〈ソメさん〉――わたしの右手にあるに落とす。

 神話には、杼が女陰ほとに刺さって死ぬ女性が登場する。スサノオが高天原の服屋に牛を投げ入れ、それに驚いて死んだ織女。この事件をきっかけに、天照大御神は天岩戸に引きこもることになる。

 一説によればこれは、強姦を意味するものだと言われている。当時から強姦は存在し、かつ、死を意味するほど重い意味を持つと。


 これは、純潔とか貞操の喪失で死ぬ、という意味じゃない。侵略や暴力によって死ぬ、と言う意味だ。


 ――『日本書紀』には、政争の手段として、強姦を用いる男たちが度々登場する。甘美媛うましひめのように、夫によって敵将に売り飛ばされて犯された妻たちも登場する。

 妻問婚のような対等な関係は、戦争になればあっという間に消し飛び、支配するか、されるかの関係になった。時代が下れば、平時での強姦が増えていく。



 命の危機が、本能である性欲を旺盛にするのか?

 違う。

 ただ暴力に浮かれ、死や死を迎えるまでの生に怯え、それを支配欲で誤魔化そうしているだけだ。



「遊女たちは山から山へ移動するのをやめて、公家や武家に庇護を求めた。その頃から、遊女たちは男に管理されるようになる。

 その中で花咲いた芸術もあるよ。白拍子とかね。けど、それも新しい戦争でまた消えるんだ。猿楽や曲舞に引き継がれたとも言うけど、それも全部観阿弥のような男にとってかわり、女たちは煙たがれた。

 南北朝時代で完全に武家社会に代わって、室町後期になると応仁の乱も起こるようになる」



 応仁の乱は、今でも「先の大戦」と言う人がいるほど、酷い戦争だったと言われる。

 それまでの文化は途絶え、都は燃えて荒廃していった。火が燃え移る様に戦争は全国に広がった。

 多くの神社仏閣は、度重なる戦と不安定な情勢に揺れ、後ろ盾がなく寄進に苦しんだ。そこで僧や尼は、自分たちでお金を集めるために庶民に勧進を行なった。熊野比丘尼たちの活躍は、それが背景にある。

 ――芸を披露しながら仏道を広めた熊野比丘尼たちは、時に売春も行ったそうだ。



「武士たちの戦争によって家族や仕事を失った女性たちは、『辻子君』と言って、辻にある『好色の家』に追い込められて、売春を行なったそうだ。

 室町時代にはもう、平安時代の遊女のような地位はなく、移動する自由もなく、卑しい職業とされている。これが江戸時代の遊郭の下地だ」


 それが本当の買売春の始まり。

 平安時代の遊女たちは自分たちで、性を売っていた。

 だが管理側に男が入り込み、辻子君たちを商品にし始める。


 ……いや、貨幣だろう。


 その頃の女たちは、兵たちの報酬として略奪され、売られて、犯されていたのだから。


 そんな中で山を追い出された女たちは、どうしたんだろう。

 男に襲われた女もいたかもしれない。その復讐を果たしたかもしれない。

 あるいは襲われかけて、返り討ちにしたのかもしれない。

 男から金品を奪って生活していたものもいたかもしれない。

 いずれも、男の管理から離れて生きてきた女たちの姿が、山姥にはある。それを、醜い、汚らわしいと罵った男たちは、さぞ彼女たちが怖かったのだろう。




 姫ちゃん。

 2000年の人間の営みは、君の目には、何が映っていたんだろう。

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