呪いだと君はいふ。
「さっきの話を付け加えるとね。元々山には、色んな女性が住んでいた。五馬山の五馬媛だけじゃなく、女首長や土蜘蛛の中には、山に棲む女性も多かったし。その中には、巫女として山に籠もる人もいたと考えられている」
豪族や土蜘蛛の多くは、海、山、川などの交通要所を支配していた。
ヤマト王権は、その交通要所が欲しかったのだろう。ある時は配下に、ある時は同盟者として、またある時には敵対者として滅ぼした。
そうやって出来た神話体系が、恐らく『古事記』だ。
天照大御神の弟とされるスサノオも、天照大御神とスサノオの誓約によって生まれた宗像三女神も、本来は外部の豪族が祀っていた神様だ。統一した時、その神様たちを「きょうだい」や「子孫」にしたのではないか。
もしかしたら、山から女性を追い出し始めたのは、山岳仏教が始まる以前から、――ヤマト王権が全国を統一し始めた頃から、始まっていたのかもしれない。
「山にいたのは、巫女だけじゃない。
――その女たちの居場所を、侵略し始めたんだ」
巫女が「女人結界」に入った神罰として石になる、という「巫女石」伝説。それと似たような話が、あちこちに存在する。
だが実際は、そこにいた彼女たちを追い出して行ったのではないか?
主に女性がやっていた酒造りもすしづくりも、「腐る」からと言って、男性に仕事を奪われたように。
女性が始めた白拍子や曲舞、歌舞伎は、女が演じることを「禁忌」として、男のものになったように。
女人禁制としてよく使われる理由。
おそらく多くの人が知っているのは、中世から言われてきたことだろう。
曰く、山の女神の姿は醜い。
曰く、山の女神は嫉妬深い。
それ故女が山に入れば、容姿を妬んだ女神から祟られる、と。
後は先ほど言った、生理や産の穢れを嫌うともされる。それまでは女たちも祭り――共同体に加わっていたが、近世になると「山の神に嫌われる」として追いやられた。
また、豊穣神であることから、人間の男が好きなのだと言われ始めた。特に男根を好くのだとまで。だから山で男と沢山交わるのだと。
……陽彦くんのあの美貌の理由は、中世の伝承によって変質された山の女神の影響を受けているんじゃないか、とわたしは考えている。
だとしたら、やはり呪いだ。
その呪いを陽彦くんに押し付けたのは、紛れもなくわたしたち人間だ。
「山の女神が醜いという説は、コノハナサクヤビメの姉のイワナガヒメが根拠になっているとも言われているけど、美しい女神と言われるコノハナサクヤビメだって、富士山を神体山にしている。八女津媛は姿を現してないけど、景行天皇から『この美しい山に誰が住んでいるのか』って言われてるし」
誰が言い始めたんだろう。「女の敵は女」だなんて。んなこと言ったら、戦争なんて大体「男の敵は男」だ。でも現実は、そう言わない。
『安珍・清姫伝説』のように、女性は「蛇になるほど」執念深くて、男性の障害として扱われる。
『小野小町』のように、「色好み」の美女は、最後は落ちぶれて無残な姿で終わる。『和泉式部』は捨てた子が僧として成長したあと、自分の息子とは知らず契ってしまう。女性の情熱や性欲が、「悪い」ものとして見られ、その「因果応報」が徹底的に描かれる。
だからなのだろうか。『浦島太郎』伝説の乙姫(亀比売)は、本来なら「浦島と言葉を交わしたくて」亀に変身して自ら会いに行くほど熱烈な女性なのに、室町時代の御伽草子では一度浦島太郎に助けられてから求婚する。時代が下れば、亀と乙姫は別の存在として語られ、受動的な女になっていった。
そういう女性像を、『御伽草子』や絵解きによって、何度も何回も繰り返して。似たような話をたくさん作ってきた。
そんな『女性像』を女性たちに広めたのは、熊野比丘尼という、女性達だった。
彼女たちは平安末期から安土桃山時代にかけて、御伽草子や絵解きを広めていったという。その中には、血盆経も存在した。
女性は生まれてきた時から罪悪の存在で、産や経血で地神や水神を汚す。死後は女性のみ血の池地獄に落ち、経血の血を飲まされ続ける。あるいは、浮上しないように鬼に頭を押さえつけられる。
だから血盆経を唱えたり、書写したり、教えたりすれば、救われると説いた。
血盆経は女人救済。地獄に落ちる母を救うためのもので、女性蔑視ではない。そういう風に言う人もいるけれど。
「わたしにはどーしても、You〇ubeの『デブはフラれる! 痩せたらモテる!』の広告と同じぐらい罪深く感じるんだ」
わたしの言葉を、ケイは肯定も否定もせず、黙って聞いている。それがとても、有難かった。言えば言うほど、自分が冷静ではなくなっていることに気づいていた。でも知ってほしかった。
わたしはこれを知った時、すごく、すごく悲しくて、許せなかったんだ。
だってそうだろう。何かをすれば正しく、何かをしなければ地獄に落ちるなんて発想自体、とても支配に満ちた考えだ。
だが、熊野比丘尼の絵解きや御伽草子を聞いて、それに共感した女性たちも多かったのだろう。
わたしたちの時代でも、「痩せれば」「美人であれば」、「人から愛される」と謳われるように。そうでなければ、「愛されない」がすぐ結び付けられるように。
結局は、人の弱いところをついて、権力者が搾取していたのだと思う。
……やるせない。
熊野比丘尼たちの中には、きっと本気でそれを信じて、救われると考えていた人もいたのだろう。
その時の社会がおかしいと思わなければ、その中で「救われる方法」を考えるのは当然だ。だから人は、努力しない人を責める。似たような仕打ちを受けて、打ちのめされている人を、責める。それは、辛い。
『日本書紀』によれば、熊野はイザナミの遺体が運び込まれた場所だと言われている。熊野比丘尼たちは、女神信仰の厚い場所にいた。
すべての母であり、子に焼かれ、そして夫に辱められた醜女。――中世から語られる山の女神と、よく似ている。
山の女神は豊穣神や大母神だ。日本だけでなく、世界の多くの大母神は子や男に迫害され、殺される運命をたどっている。
子は母親を迫害することで成長するという暗喩なのか。
それとも、母が父に管理されるという暗示なのか。
「中世では嫉妬深かったり口うるさい妻のことを、『山の神』と言うようになったそうだよ。謙遜だの、実際は家を守る妻を讃えていただの言う人もいるけど、わたしはこれを言い始めた理由は、女が男の所有物の扱いを受け始めたからだと考えている」
「……なんで、そう思うんだ」
ようやくケイが疑問をなげかける。
わたしは答えた。
「売春、いや、買売春が本格的に始まったのが、この時代だと考えられるから」
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