山の神
「んじゃあ、ひとまず中流のところに絞って調査してもらって……」
「いや。その必要はないようだ」
サトシの言葉を遮ったのは、スマホを見ていたケイだ。
「今、陽彦から来た。怪しい建物を見つけたから、来てほしいと」
ケイのスマホの画面には、写真が一枚添付されている。
赤い色のパイプが張り巡らされ、岩を積み上げて出来たような護岸壁。その上には、木々と湯気に覆われた、真新しくも趣のある、水車小屋のような建物があった。
黄昏時とは、「
そんな夕暮れの温泉街を走り抜けて、わたしたちは目的地へ向かう。
「
わたしが呼ぶと、深緑に包まれた河辺の近くで、陽彦くんが振り向いた。
「ああ、皆さん。お久しぶりです」
丁寧に頭を下げる陽彦くんにつられ、わたしとサトシも頭を下げた。下げてないのはケイだけだ。
陽彦くんと話すと、テンポがちょっとずれる。陽彦くんは山で修行しているため、所作が丁寧だ。年相応にフレンドリーに接するか、丁寧に接するか、一瞬悩むのだ。
まあ彼は相手の所作とか特に気にしないだろうと思い、脳内で「フレンドリー」の選択肢を選ぶ。
「お久しぶり。何時ぶりだっけ?」
「ええと確か、八蝶殿とは4月にお会いしたきりだと」
「もうそんなになるかー。元気そうでよかった」
わたしがそう言うと、陽彦くんの目が細くなった。彼の透明な睫毛が揺れる。
陽彦くんは白地に黒のフードを深くかぶり、黒いマスクをつけていた。それでも怪しく見えないのは、目元から見える青い瞳から穏やかな気性が伺えるからだ。フードからは灰色がかった前髪が零れていた。
「八蝶殿も、お元気そうで何よりです。久留米の件では、ご活躍されたとか」
「活躍ってほどじゃないけどねー」
ただ、ケイと悪口(?)言い合っただけだったしね。ホント。
と、雑談はここまでにして。
陽彦くんがいたその少し先には、例の小屋が存在していた。
誰かがいる気配が感じられる。
「どうやって見つけ出したんだよ、ここ」
サトシが感嘆するように言うのは、ここが現世と少しかけ離れた次元にあるからだ。つまり、普通の人は通れない空間――結界の中にある。
わたしたちが何とかそこを通れたのは、術士である陽彦くんの指示があったからだ。だが、いくら修験道の流れを汲み、結界術に特化した烏天狗と言ったって、別府は狭くない。温泉街だっていくつもある。それなのに、ここをピンポイントで割り出すなんて。
陽彦くんは、マスク越しでも籠もることなく、綺麗な発音で説明した。
「実は、別府駅に降りて早々、この地に住まうカラスに教えてもらいました」
「……あー」
そうだった。烏天狗は、カラスを使役したり、会話したりできるんだった。
数の利なら、烏天狗ほど強い存在はいない。
「この結界内に入る際、ケイ殿から説明を受けましたから、例の場所はここだろう、と」
「イケメンはカラスすら引き寄せるってか、痛っ!」
間髪入れずに肘鉄をサトシの腹に入れる。陽彦くんは、苦笑いして続けた。
「既に英彦山には報告しています。しかし……」
「しかし?」
「……腕の立つ烏天狗は、皆愛媛の石鎚山に」
このタイミングで?
はい。
申し訳なさそうに答える陽彦くん。
わたしは頭をかく。
「『
「そうかもしれません」
陽彦くんは、少し厳しい顔になって続けた。
「あちらでは今、『お山開き』が行われていて、10日まで多くの参拝客が訪れます。英彦山の烏天狗は、その手伝いにうかがっているので」
最も、今年はそんなに多くの人が来ないことを祈ります、と陽彦くんは目を伏せる。まーそうだよね。
「もし『黄昏堂』や英彦山の烏天狗の留守まで狙ったのなら……かなりマズイね」
いや、最初からわかってたけどさ。『蜘蛛』って時点で。
でももし実力者の留守を狙ったのなら、首謀者は『黄昏堂』の動きも英彦山の動きも良く知っている奴ってことになる。
それってつまり……。いや、今は考えない。
「とりあえず、『黄昏堂』の連絡を待とうか」
もちろん、その間に小屋は見張っておくことにして。
「長丁場になるだろうし、何かご飯を買っておこう」
「んじゃあ俺、行ってくるわ」
サトシが手を挙げる。
「俺が一番戦力にならねえし」
「またそういうことを言う。……陽彦くん、サトシと一緒に行ってくれるかい?」
「何でだよ」
わたしが陽彦くんに頼むと、サトシからツッコミを入れられた。
「こっちの動きがバレてるなら、君一人でいたところを襲われたら、手も足も出ないでしょうが。君がいないとわからないことが、山のようにあるんだから。陽彦くんと一緒に行く」
「だ、そうですよ。サトシ殿」
陽彦くんの援護もあって、サトシは乱暴に頭を書いた。
「……わーったよ。あの辺りにファ〇マがあったから、なんか買って来るわ」
そう言われたので、わたしはリクエストする。
――ファ〇チキください。
――こいつ、直接脳内にッ……⁉
「って、緊張感ゼロか!」
脳内会話の内容を、サトシに突っ込まれた。
サトシは『サトリ』の〈憑き物〉。サトリとは、人の心を読む妖怪。
彼の読心術を応用すれば、口に出さず脳内で会話する『念話』が出来る。
サトシと陽彦くんが結界内から出たのを見計らって、なあ、とケイが言った。
「今日河童から、川姫のことについて聞いたんだ」
「
っていうか、ケイ、
「河童が言うには、川姫は本来山の女神で、もう2000年は生きているんだそうだ」
わたしは身体を強張らせる。
その様子を見て察したのだろう。ケイが、少し目をそらして続ける。
「さっきの穢れの話を聞いていて……川姫と、何か関係があるんじゃないかと思ったんだが、──忘れてくれ。興味本位で出た言葉だ」
最後は早口になり、ケイは自分の言葉を撤回する。
「……いや」
わたしは思わず、その場で蹲り、眉間に手を当てる。
さすがに驚いたようで、珍しくケイが取り乱した。
「どうした⁉」
「いや、ごめん。……ちょっと、予想外な方向からパンチ喰らった感じで」
はー、とため息をつく。
「姫ちゃんは、
「山姥?」
話が見えない、と言う風に、ケイは疑問を投げかける。
ふと顔を上げると、ケイが手を差し伸べていた。ノースリーブからのぞく腕は、わたしと違って筋肉質だ。夜風にはためく赤い腰巻は前が閉じられていて、ギャルソンエプロンを連想させるようなロングスカートになっている。
逆立つようなオールバックの髪に、笑みに乏しい厳つい顔。まるで仁王像のようなのに、わたしを見るケイの目は、明らかに心配の色に染まっている。
表情に乏しいくせに、目に浮かぶ感情は豊かで、本当は誰よりも優しい。
そのアンバランスさに、ちょっとおかしくなりつつも、わたしはその手を取って立ち上がった。
「山姥が言われるルーツは、有名な説が二つあってね」
一つは姥捨て山説。おばあさんが口減らしに山に捨てられて、その怨念が妖怪として言われるようになった、というもの。
もう一つは。
「山岳仏教によって追い出され、零落した『山の女』……巫女や女神、あるいは遊女と言われる説。山姥はおばあさんだけじゃなくて、若い美女の姿で登場することもある。
かつて山の神は、季節になると田の神となり、川の神になると信じられてきた。……遊女も、かつて山から山へ歩いたり、川の近くで客を取っていたらしいから」
……だから姫ちゃんは、『仏教が嫌い』だって言って、あのお寺に入らなかったのか。
そりゃそうだ。当然すぎる。
あのお寺は天台宗。彼女たち「山の女」を追い出した、山岳仏教の始まりなのだから。
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