考えれば考えるほどドツボ
「折口信夫の言う
「何で。卑弥呼は?」
「あれは年長で、夫がいないって書いてるだけで、=処女ではないよ」
いや、処女だった可能性も否定は出来ないですけど。
「よく修道女とかアルテミスとかウェスタの処女とかが挙げられがちだけど、沖縄のノロとか、フィリピンのババイランとか、経産婦の巫女だって多い」
神功皇后だって、お母さんだしね。
「そもそも、処女性なるものが古代の日本には存在しなかった、と考えるのが妥当だと思う。家制度がないから」
中国で使われていた『処女』とは「家にいる女」という意味であり、未婚の女性を指していた。それが転じて若い女性、性交経験がないことを指していたわけだ。
一方、この漢字が入ってきた日本には、家制度が出来上がっていない。結婚しても、自分が生まれ育った場所を離れて別の住居に移ることは、あまりない。
古墳時代は妻問婚といい、夜、男が女のところに来て、朝になる前に帰っていたという。と言ってもこれは、わたしたちの考える夜這いとは少し違う。「呼ばい」と書くこれは求婚を意味し、男が歌を詠み、女はそれを歌で返した。同意があればお互い名前を明かし、「御合い」となる。だが無い場合は、男は手を出さない。これは『古事記』の、仁徳天皇と
名前を明かすことは、魂を渡すこと、すなわち求婚に答えることだった。その為に行われる「呼ばい」の歌は、神事そのものだった。
その頃は法律がなかったり、あっても理解できてない時代。結婚も離婚もふにゃふにゃのあやふや。結婚しても別れても、父方の遺産は父方のムラのもの、母方の遺産は母方のムラのもの、そして子どもは母方に属する、と考えられていた。
よって万葉集の歌に登場する「おとめ」は、『若い女の子』ぐらいの意味だと考えた方がいいだろう。……っていうか、確かめる術がないのでは? パッと見て確かめられるの? どうやって???
「この妻問婚が律令国家の状態で引継ぎされたのが、平安時代の婿取婚。官位は父から子にしか継げない。なので、自分よりちょっと格式の高いお家の女の人を正室にすることで、レベルアップを図ったんだ。で、他所で恋愛する」
「うわ」
「それでも清少納言のように離婚してる人もいるし、相手もよく死ぬから再婚する人もいる。和泉式部みたいに、次から次へ恋人作る人もいるし。
そもそも、家屋等を含む遺産は奥さんのものだ」
離婚と財産は、切っても切れない関係にある。そして財産は、女性の独立性と尊厳に強く結びつく。
それに制限がかかるようになるのは、鎌倉時代後半だ。
『末永く続く』夫婦像というのは、平安時代末期から鎌倉時代に成立したと言われる。女性の貞操概念が厳しく求められ始めたのもこの頃。
だが夫亡き後、妻は後家となって尼になり、夫の菩提を弔いながら家長として一族を纏めていた。そのため、女性にも相続権や所領はあったのだ。地頭になった女性もいるし。
その権力がなくなるのは、元寇が来た後。
「元寇によって、何とかモンゴル軍を追い払ったもの、領地を得るわけじゃなかったから、鎌倉幕府の御恩と奉公の関係はガタガタになった。その為、遺産相続に制限がかかり、女子の遺産相続は
「あー、一代で遺産の権利がなくなる奴ね」
「と言っても、嫡男以外の男子には一切遺産は渡されないことを考えれば、最初は救済措置だったかもしれない。
……けどこの後すぐに、南北朝時代がやって来る。女の財産は消滅の一途をたどっていくんだ」
その言葉に、ケイが少し反応した。
「戦国時代に突入すると、姫は政略結婚の駒に使われるのが当然となった。それでもやっぱり、この時代も処女性なんて考えない。それはルイス・フロイスも言及している。
江戸時代になると家制度と妻の操ががっつり結びつくんだろうけど。──本格的に『処女性』が言い始めるのは、富国強兵のために一夫一婦制、純潔性を強調された明治時代だとわたしは思うよ」
と、ここまで長く説明してしまったけど。
「ぶっちゃけ真相がどうかとかは関係ない。短時間でしか調べてないから、折口信夫の言っていることは真実かもしれない。わたしが述べたのはわたしの解釈。歴史の真実なんて、しょせん猫箱。
そもそも皆が信じているものが反映されるのが、妖怪、でしょ? 真偽がどうであれ、折口信夫の『水の女』になぞらえて起きる可能性はゼロじゃない」
……だとしたら、『女の蜘蛛』の出産というのは、どんな状況か?
「『蜘蛛の子を散らすよう』――って言うよね?」
その言葉に、サトシの顔からサッと血の気が引いた。
「英彦山に連絡! あと『黄昏堂』の方にも!」
「もうしてる。
「『黄昏堂』も、もうしてるよ。姫ちゃんが」
わたしたちの言葉に、サトシが、あ、そう、と言う。それ先に言えよ、と我々は非難された。
だが、サトシはその後もスマホからは手を離さず、スマホの画面を見ながらこう言った。
「しかし、称徳天皇が道鏡みたいな悪人に迷わなきゃ、日本の歴史も変わっていたんかねえ」
「……」
――果たして、どうなんだろうか。
わたしたちの考える道鏡のイメージも、女帝のイメージと同じく、明治時代に盛んに叫ばれたと言われる。和気清麻呂が『忠臣』と描かれる代わりに、道鏡は『怪僧』として描かれた。
女が、「肉欲に溺れ国を崩壊させる悪女」か、「男に頼らなければ何も決められない」かよわい存在として描かれることも。女帝を誑かせた男は「巨根」に違いない、などと下世話な誹謗中傷をつけて嗤われることも。
小学校の教科書に書くことに、一体何の意味があると言うのだろう。
「……っていうか、川姫はどうしたんだよ? 一緒に来たんだろ?」
至極まっとうな質問に、わたしはうぐ、と言葉を詰まらせる。
……あれからきっかり一時間後に、姫ちゃんは電話してきた。その時には既に「出産」を意味する予言では、という予想がついていたので、彼女に言ったのだ。すると姫ちゃん、
『そう……じゃあ、引き続きお願いね☆ 「黄昏堂」には連絡しておくから☆』
と言って、切ってしまった。それっきり連絡が来ない。
これ以上説明できることは何もないので、わたしは話題を変えた。
「サトシは、なんか情報つかんだ?」
「……そうだな、それなりにきな臭い情報をつかんだよ」
これを見てくれ、と持っていたiPadを繋いで、スクリーンに映す。
「これ、SNSで出回っているDMの注意事項。URLが添付されたもので、明確な被害は今のところ出ていない。
ただこのDMは、この付近に住む成人をターゲットにしていることがわかった」
「この辺りに? そんなことできるの?」
「まあ、現在地はすぐ割り出せるけどな。映っている写真の影で経度と緯度を割り出すとか、雨が降ったとか、どこに行ったのかとか、そういうので」
SNS怖い。
「で、そのURLがどこに飛ぶのか調べてみたんだけど、どうやらチャットルームだった。けど、昨日の時点でページは消されている。怪しいだろ?」
「もし予言と関係するなら、『女の蜘蛛』の出産のために、人を集めている……ってことかな」
だとしたら、棚機津女信仰に見立てた儀式だろう。そう考えた時、わたしは今日の日付を思い出す。
7月7日。――七夕の節句。
ふとわたしは、あの日が端午の節句であることを思い出した。
「……おい、八蝶。何か気づいたか?」
「あ、いや……」
サトシの黄色みがかった茶色の瞳が、わたしの姿をとらえる。
それを見て、わたしは言葉を濁した。
どうしてちゃんと言葉にしなかったのかはわからない。ただ、言葉にしてはいけない、という直感が、わたしの身体を支配した。
わたしは抗う気になれず、直感に従ってそれ以上考えるのをやめる。
とっさに、別の情報を脳裏から取り出した。
「そうだ。折口信夫は、『ゆかは』という言葉を言及していたんだ」
声が上ずってしまったが、二人とも気にしていないようなので続ける。
「『
多分これは、イザナギの禊のシーンを根拠にしてるんじゃないかな」
黄泉の国の穢れを祓うために、イザナギはまず九州の日向の橘の港に浸かる。
だが、その後イザナギは「上の瀬は流れが激しい、下の瀬は流れが弱い」と言って、中ほどの瀬に飛び込んでいる。――つまり、川の中流のことだ。イザナギは途中で、海から川に移動している。
そして折口信夫が言う「淵」は、流れが緩やかな場所を指す。
「で、この根拠をもとに、棚機津女の話をしているから、海に通じて温泉と混じる川の中瀬の傍に何か建物があれば、それが怪しい」
これが誰かの儀式なら、場所を別府にした理由は恐らく温泉だ。
日本三古湯と呼ばれる道後温泉は、実は別府温泉から引かれたと言われている。さらに噴出口は地獄と呼ばれ、その中には血の池地獄も存在する。
だが、古代温泉は死の間際にいるものを蘇らせると考えられており、『豊後国風土記』に登場する「血の池地獄」は「赤湯」と呼ばれ、塗装に使われていたとされていた。恐らくは良いものとされていたはずだ。鳥居の色が示すように、赤は神聖な色とされる。それがいつの間にか、「穢れの血」「地獄の色」に結びついた。
生を蘇らせるモノと、死後の世界を意味する地獄の世界。相反する意味が重なると、そこに何が生まれるのか。……考えたくない。
そもそも、イザナギが中流に行って初めて生まれる神って、災いの神様なんだよね! 嫌な予感しかしない!!
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