後世に残す、その功罪

「少し遡って9世紀初頭、山岳仏教が盛んになった。これは天台宗――このお寺もそうだね――とか、真言宗とかを指す。

 サトシ、君の期末テストには奈良時代が含まれてたっぽいけど、南都六宗のことは覚えてる?」


「おう。つっても、華厳けごん宗とかぐらいしか覚えてねーけど」

「華厳宗だと、さっき言った奈良の大仏がある東大寺だね。とはいえ、南都六宗のお寺は、今はあんまり見かけない。ある意味、平安時代に迫害された宗派なんだ」


 この『南都六宗』という名称は、平安時代に広まった天台・真言宗と対する名前で呼ばれたものだ。

 というのも、南都六宗は奈良仏教なので、奈良時代に絶大な力を誇っていた。奈良の大仏とか政治介入ができるほど。それが問題視されたのだ。



「その決定的な事件が、さっき言った宇佐八幡神託事件――道鏡を天皇にしちゃえ事件だよ」


「「ああー……」」

 サトシとケイの声がそろう。


 道鏡は法王の地位を、称徳天皇(孝謙上皇)から授かった。その際、度々政治介入を行ったとされる。これは南都六宗の介入もあっただろう。

 そうやって宗教に振り回されるのも問題だってことで、桓武天皇は南都六宗(奈良仏教)の力が及ばない場所に引っ越した。それが長岡京の後に建てられた平安京、794鳴くよウグイス平安京年である。


「で、南都六宗の代わりに、天台宗や真言宗などの山岳仏教が天皇から重要視された。天台宗を開いた最澄は中国で留学していたわけだから、奈良仏教と根本的に違う。

 女が修行の妨げになるからって、比叡山に立ち入ることを禁じたのも最澄さん」


「女が修行の妨げになる」という思想は、初期仏教が広まった中国でも度々意識されることだった。

 そして多分、この時期を境に、法華経の『五障』や『変成男子』が意識された。平安時代は法華経ブームで、当時は八講という、短期間で法華経を勉強するセミナールがあったらしい。『枕草子』にも、「経は法華経!」って書いているし。



「――とはいえ、やはり最澄さんに女は血で穢れている、という思想はなかったと思う。天台宗が重視した法華経は、、唯一の経典だからね」



 つまり平安時代には血の穢れはあったが、仏教ではイコール女の穢れではないではない。

 女は五障の身ではあるが、法華経は成仏の仕方を教えてくれる。つまり、どんな人でも助けてくれると信じられていた、ということだ。

 血の穢れと「五障」「変成男子」の身は、ここではまだ完全には結び付いていなかった。多分ね?



「南都六宗の力が削がれると、各地にあった国分寺……尼寺も、どんどん力を失っていく。称徳天皇(孝謙天皇)は、尼だけに与える位を作っていたんだけど、これも宇佐八幡神託事件を機に消滅してしまうんだ。

 とは言え、尼さんの活躍がなくなったわけじゃない。逆にすっごく増えていった」



 そこのところが、南都六宗のデメリットというか。良くも悪くも、学問・技術の扱いだったんだよな。いわば研究職、大学の先生。それを世間一般に・わかりやすく広めようというのが、下手だったのだ。



「さて、山岳仏教によって確立された女人禁制は、鎌倉時代になって強固になる。天台宗の教えを基礎とし、浄土宗を開いた法然もまた、『無量寿経釈』で女性は罪深いから霊験あらたかな山には登れない、と言っている」


 でもこれも血の穢れや産の穢れとは関係なかったかもしれない。あくまで山の聖域から排除するのに、『五障』を根拠に使ったように見える。

 それを反映するかのように、北条政子もしかり、鎌倉仏教は尼さんが強い。


「男たちは山の聖域に入ったけど、彼女たちはその下の世界で仏教を広めて活躍し、夫亡き後後家として菩提を弔って自問自答し続けた。けれど……」

「けれど?」

 サトシの言葉に、わたしは覚悟を決めて続けた。



「室町時代、月経や出産の度に血を流す女は、死後血の池地獄に落ちると言われるようになった。根拠となる経典が、『血盆経』。10世紀ごろに中国で作られたと言われる、偽経だ」



 なぜそんな経典が作られたのかは、わたしにはわからない。

 だが日本では、これが女人禁制と後世の女性観に結び付けられることになる。




「室町時代はね、絵解きや絵巻、『御伽草子おとぎぞうし』を通して、民衆に仏教を広めていたんだ。わたしたちがよく知る昔話の原型は、この時に出来ていると言われている。わたしたちが親しむ昔話は、元々は仏教のお話だったんだ。

 その結果、平安貴族の間にしかなかった穢れの概念が、民衆にも広まることになった」




 わたしは、一呼吸おいて言った。




「……女性の穢れ、血の穢れを決定的に広めたのは、




「……それは」


「この辺りの話は、長くなるからこの辺で。

 でね、予言の話に戻るんだけど、わたしは、『女の蜘蛛によって、川や海が血に染められる』というのは、のことじゃないかなって思うんだ」


 だとするならば。

 その予言の時間は、簡単に推測できる。


「明日、七夕だよね」

「そうだな」

 それが? と尋ねるケイに、わたしはスライドをめくる。

 表示されるのは、織姫彦星天の川の絵……ではなく、機織りと針、そして川だ。



「織姫は別名、細蟹ささがに姫。細蟹っていうのは、のこと。

 七夕っていうのはね、元々中国じゃ乞巧奠きこうでんって言って、織物や裁縫の上達を祈るものだった。お供え物の瓜の上で蜘蛛の巣が張っていたら、上達できるって習わしがあったんだ」

「!」


 二人の顔色が変わる。


「さらに言うとね、中国じゃ七夕って、恋人の日だったり、結婚を祈ったり、が授かることを祈る日でもある。中国じゃ機織りって、花嫁修業の一つだからさ」


 そして日本では、七夕たなばたの由来である棚機津女たなばたつめ信仰があった。神の嫁になる処女が、水辺の機屋に籠って機を織り、朝に神が帰る時、人々が水辺で清めた邪気を持って行ってくれる……そんな伝説と混ざっている、と言われる。



「最もこれは、折口信夫が『水の女』で書いている事だから、本当にそうだったかがわからない。ぶっちゃけ思い込みじゃないかなー、ってわたしは思う」

「なんで?」

「折口信夫が活躍した時代、民俗学や歴史学で、今考えられている歴史上の女性像が出来ている。

 でも、科学的根拠・考古学的根拠・史学的根拠がすごく薄いんだ、これが。捏造って言っても過言じゃないぐらい」



 例えば原始時代の男が狩猟、女が採集とか(これは全世界共通の考えだけど)。

 女性には霊力があるから、卑弥呼は宗教のトップになって、実際の政治は弟がやっていたとか。

 推古天皇は女だったから、中継ぎとして選ばれたとか。女だったから聖徳太子を摂政にしたとか。




 わたしたちの主食がコメであるように、彼らの主食は備蓄できる木の実だ。コメと同じで、男も採集に携わっていたと考えた方が筋が通る。女の人の骨に狩猟痕があったり、墓の副葬品として狩猟道具が見つかったことは、去年(2020年)の海外メディアが報告している。


 卑弥呼が巫女であるという話も、実は『魏志倭人伝』には登場しない。これも明治時代に提唱された説だ。『魏志倭人伝』に出てくるのは、あくまで、「鬼道で人々を惑わし」である。この鬼道は、当時の「邪道」の意味合いに近くて、必ずしも宗教であったかは言い切れない(多分巫女でいいと思うけど)。はっきりわかることは、弟の名前は残らず、彼女の名前だけが残ったということ。卑弥呼は『親魏倭王』の金印を渡されるほど、外交力に特化した国のトップだったこと。『魏志倭人伝』に書いた人は、邪馬台国を『女王国』と見なしたことだけだ。


 推古天皇の政策はすべて聖徳太子がやっていたと考える説も、今では否定されている。彼女は公正であり、豪族のパワーバランスをとるのが非常に上手い人であった、と最近では評価されている。


 そもそも古代の女王の責任能力や執政権は、男王と同等だ。白村江の戦いで、女帝・斉明天皇(皇極天皇)が、68歳で北九州まで行っていることからもわかる。

 天武天皇に隠れがちだが、実際の律令国家の原型(戸籍とか身分制度とか)を作ったのは女帝・持統天皇だし、『古事記』『日本書紀』『風土記』の命を出したのも、天武天皇の後を引き継いだ女帝・元明天皇である。

 元正天皇は元明天皇の娘で(彼女は唯一母親から天皇の地位を引き継がれている)、晩年は身体が弱いうえ仏教ばっかりかまける聖武天皇に代わって、政治を行っていたらしい。

 そんで、さっき言った孝謙天皇(称徳天皇)は、女帝の中で唯一皇太子を経てなっている。



「天皇は男子のみと決まったのは、明治時代と言われているよ」

「ふーん……それなのに今、女性天皇がなんちゃらー、ってもめてるわけね」

「そりゃなれる人が、いなくなってるから……」



『まあ、我らからすれば、ヤマトなぞとっとと途絶えろ、と思うのだが』



 と、ここで別の人の声が混じる。

 わたしが着ていたカーゴパンツのポケットからフワフワ出てきたのは、キラキラと光る糸をたらした杼――〈ソメさん〉だ。


「あれ〈ソメさん〉、起きてたの」

『起きた。というよりも、不快な単語を聞いて起こされた』

「あー……ごめん」


 わたしはこそっと謝罪を返すしかない。

 サトシをちらっと見るが、サトシは特に疑問に思っていなさそうだ。よかった。


 っていうか、時間ないのに随分話が逸れちゃったな。そうだ、棚機津女の話。

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