なんてものを、作ったんだろう。
「別府の『蜘蛛』というなら、わたしは土蜘蛛が怪しいと思う」
っていうか、それぐらいしか蜘蛛の伝承を見つけられなかった。
「『日本書紀』には、景行天皇が討伐しに来た際、
その際、滅ぼされた土蜘蛛の血で染まったのが血田、転じて知田という名前になった。稲葉川の近くにあったんだって」
「血と、川か」
「知田って、今のどこだ⁉」
スマホを取り出すサトシに、わたしは、それはわからない、と返した。
「一応、それらしい場所はサイトごとに上がってはいるんだけど、やっぱり断定は難しい。
……ただ」
「もう一つ、候補地があるんだな?」
……よく気づくなあ、ケイは。
ケイの言葉に、わたしは頷く。
別府限定の蜘蛛の伝承、という意味では、土蜘蛛以外に思いつかなかった。けれど。
「『女』と『血』、それから、ここが神仏習合の先取った場所っていう所が引っかかっている。つまり……」
「つまり?」
――言いたくないな。
こんなの、本当に言いたくない、認めたくない。想像もしたくない。
唇を強くかみしめて、わたしは覚悟を決める。
「……血盆経。つまり、女性の、血の穢れのことなんじゃないかなって」
なんてものを作りだしたんだろう。
こんな概念、なんのために作ったんだろう。
■
血の穢れ。
東西の宗教や文化に存在し、今もなおインドのアウトカースト(ヒンドゥー教)などに根強く残る概念。
日本でも、それらは多くの差別を生み出した。女性差別は、その一つに過ぎない。
しかし生理や出産をする女は穢れているとして、まずは神事や朝廷、時代が下ればあらゆる山や島の聖域、祭りに女性が立ち入ることを禁じた。
……伝統なんて言葉で誤魔化しているが、要するに世の中の半数の人間を、共同体から、社会から追い出した、という意味なのだ。
「そういや昔、生理中の女は鳥居を潜っちゃいけないっていうのがあったって聞いたな」
「うん。今でも、相撲の土俵に女の人が上がっちゃいけないとかで、ニュースになったよね。
でもね。古来の日本に、そんなものは存在しなかったんだよ」
初めて女性の穢れが登場したのは9世紀半ばの平安時代。「死」の穢れと同じで他人に移すとされた「産」の穢れ、その次に月経の忌避が制度化された。
だが、「産」と「月経」の穢れは、同一視されるものではない。
「まずそれ以前に、日本に『産』や『血』に穢れがあるとか、そんな考えはなかったんだ。特に月経は、712年に編纂された『古事記』からもうかがえる」
その内容が、
結婚の日、美夜受比売は、上着の裾に月経の血がついていた。倭建命が「月が立ってしまったね」と詠うと、美夜受比売は「あんたの帰りどんだけ待ったと思ってんの月ぐらい立つわ(超訳)。抱け(意訳)」と歌で返した。その後結婚したそう。
この結婚は「
「血と豊穣の話が『播磨国風土記』で度々出ることから、元々血には力が宿っていて、穢れに転じた、という風に考えている学者もいるけど、わたしはそうは思わない」
いや、あるにはあるんだろうけど。尿とか糞とか垢にも、力が宿っていると考えていたはずだ。イザナミの死体から神様が生まれた話とか、イザナギが身体を清めて生まれたアマテラスとか考えると。
次に出産の穢れ。これも血の穢れ、どころか「血」の力とは関係なかったとわたしは踏んでいる。
「そもそも妊婦や産婦は、科学が発達した今でさえ『何かすごい力』を秘めているって思うでしょ。そこに、血を連想したり、……っていうかまず経血をリアルに想像出来る? 男子たちよ」
「まあたしかに……。なんか、別次元のすごさだよな。そもそも生理になったことねぇから、股から血が出るとかよくわからん」
真顔で言うサトシの言葉に、わたしは頷く。
土偶は、妊婦を崇敬したものと考えられているものが多い。
『肥前国風土記』では、吠えていた天皇の猟犬が、妊婦を見ると静かになったという話がある。今も宮崎の方では、妊婦がいるとたくさん獲物がとれると言われているらしい。──以上のことから、古代の妊婦は獣と関係が深いことがわかる。この辺り、ギリシャ神話のアルテミスを連想させる。彼女は処女神であるが同時に妊婦・出産の神であり、狩猟の神だ。
さらに付け加えると、神功皇后の「身ごもったまま海に渡ったり・船に乗る時魚を引連れたり・戦ったりする」話は、北部九州のあちこちで残っている。
そもそもイザナギとイザナミの国産みは出産そのものだし、その後も度々登場する出産シーンでは産屋を建てて、「見るな」のタブーを演出している。これは穢れではなくて、聖域の扱いだ(そして見た男は女からフラれる)。イザナギがイザナミに「お前が1日に1000人殺すなら1500の産屋建ててやるからな!」と宣言していることからも、出産は死の穢れとは対称的な位置にあったのは明確だ。
そんな日本に入って来たのが、仏教だった。
ブッダが本当にそう言ったのかは怪しい、というかブッダの女の弟子の話も数多くあるので(そもそもブッダは自分で経典を書いてない。経典は弟子とか後世の人たちの手で書かれている)、多分後世に広まったものだと思われるのだが。
「仏教では、『女は男の修行の障害である』とされていたり、『女は五つの仏にはなれない』とか(五障)、『成仏するにはまず男にならないといけない』(変仏男子)、なんて言う話が出来ていった。
とんでもない差別だけど、でもこれ、9世紀までの日本じゃ、全然流布されなかったんだよね」
「全然?」
「全然。それを書いてる法華経は広まったけど、『五障』とか『変仏男子』はスルーされてたんじゃないかな。そもそも仏教を広めたのは女の人だよ」
その中でもっとも目覚ましい活躍をしたのが、光明皇后だ。
また、ちょっと遡って飛鳥時代、日本で最初に出家したのは三人の尼さんだった。最初に建てられたのも、彼女たちによって作られた尼寺である。一応日本にも寺はあったし大陸から来た僧もいたんだろうけど、彼女たちは百済で留学して、しっかりと資格をもぎ取ってきた学問尼だった。
国分寺は、僧寺と尼寺がセットで作られているし。ここテストに出るよ(キリッ)。
「ところで、さっき上げた『産』の穢れと月経だけど、別に血の穢れは女の人だけに留まらない。血の穢れが叫び始められた平安時代は、陰陽道が盛んで、何かあるたびに物忌みをしていた。男女問わずにね」
なぜ血の穢れが流行ったのか、明確にはわからないが、わたしは8世紀(奈良時代)に流行した天然痘が原因なのではないかと考えている。
他にも原因不明の病気も流行っただろうし、病に感染した産婦が死ぬことも多かっただろう。そもそも出産は母子ともに命懸けだ。血は感染経路でもある。
病は物の怪に憑かれていたからだ、産には祈祷師を呼べ、と考えられていた時代、『血の穢れ』『産の穢れ』が発された最初は、差別意識ではなく合理的配慮だったのではないか。
「……でもこの後すぐに、『血の穢れ=女の穢れ』、さらに『女はとにかく穢れている』の思想で、朝廷や行事から女を締め出すんだ」
神道の穢れと、仏教の穢れは違うものだった。神道の穢れは死の穢れ。一方、仏教は「死」を厭わない。そもそも成仏って、死なないとなれないし。
そして、本来神道の穢れは一過性のものだ。物忌したり、清めれば身体から去っていく。ところが、ヒンドゥー教のカースト制度に影響を受けたであろう仏教の穢れは、「生来のもの」だ。
ただ、「血の穢れ」の一部でしかなかった月経が、のちに「血の穢れ=月経の穢れ」になったきっかけは、斎宮の月経だと言われる。
何にせよ、神仏習合、死の恐怖と陰陽道の物忌みの概念が混ざりに混ざり、「死もアウト」「血もアウト」「女もアウト」が結び付いてしまったのは想像に難くない。
この頃末法思想とかノストラダムスの大予言とかマヤの予言とか言い始めるわけで(※ノストラダムスの大予言もマヤの予言もまだありません)、どんどん仏教に傾倒していく人が増えていくんだけど。
なんというか、穢れという概念は、ダイエットの「まだまだ、もっともっと痩せたい」みたいに、もっと規範に沿わなければならないという脅迫概念にかられ、ブレーキが止まらなくなっている感じがする。――まあ、この辺りはわたしの憶測だけど。
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