幕間 そしておとめは、女神から堕とされた
……まだ世界が、神秘に覆われていた頃。
神様と人間の距離が近くて、法律も科学も経済も発展しなかった頃。
宗教と政治が、一体化していた時代。
始まりは山にずっといるのも退屈だった、女神のきまぐれだった。
私は女神の魂から、分けられた存在として生まれ、人間になった。
巫女として神の声を聞き、女王として周辺国をまとめ、時に他国を侵略し、他国からの侵略を防衛し、朝貢することで大陸との交流を繋げた。
その頃の私の国は、男女の区別は装うことでそれなりについていたけれど、はっきりと仕事の場が分けられていたわけではなかった。女も猟や戦いに行き、男も育児に関わっていた。
ただ、戦士や狩猟に携わる女は男装し、巫子や機織りに携わる男は女装した。
それもアクセサリーだけ。服装の構造は、今と違ってさほど変わらない。
男女の区別なんて、あってないのようなもの。
男も女も区別しないから、筋力の差も、体力の差も、あの頃は殆どない。性別を分けて、平均して比べること自体がなかったからだ。
違うことと言えば、子どもが産めるかどうか。だが、女だけでは子は授からない。
結局は、それだけの違いだ。
山は、女たちの味方だった。特に太陽の巫女は、天に一番近い山で過ごすことが多かった。
だから
私は王として弓を引いた。剣を振るった。旗を掲げた。
勾玉を首にかけ、鏡を持ち、堂々と最前線に立った。
誰もが私を神だと称えた。私の言うことを聞いておけば、国は豊かになると。
でも、それだけではだめだ。神様の力だけじゃ、国はまとめられない。この国は、人間のためにあるのだから。――国を守るために、私はここにいる。
何時しか私は、人間のためにあろうと思った。
女神ではなく、同じ人間の女王として生きようと思った。
暖かく緑豊かで、魚や獣が豊富な場所にも、飢えはある。飢えの季節は真冬ではない。春だ。貯蔵が尽き、けれど実りには少ない時期にやって来る。
そんな不安定な生活だったからか、出産した女は、男の半分しか生きられなかった。
飢えで苦しむ女たちは、山の中に赤ん坊を捨てていった。そうすることでしか、知識のない人間たちは生き延びられなかった。やがて声はか細くなり、獣に喰われ、虫にたかっていく姿を、今も覚えている。
そうだ。今も昔も変わらない。母性なんてものは、飢えの前では何の効力も発揮しない。それはどの獣にも言えることだ。
それがわかっていたから、私は飢えないシステムを作ろうとした。
まず、母体に負担をかけないようにした。出産を乗り越えて生き延びることが、円滑したシステムへの第一歩だと思ったからだ。
子どもを育てるのには、順番ずつ親たちが外で働き面倒を見ると言っても、誰かが病にかかればその順番も狂う。ならば、常にいる人間を作るべきだろう。となれば、働きから一線を退いた老人が一定数必要だ。そうすることで、食糧の生産率が上がると思った。
そのために女たちには、生理や妊娠中は、狩りや採集をしないことを命じた。そこでケガをし、感染症を貰って死ぬ女たちが多かったからだ。代わりに彼女たちには、清められた山小屋で過ごしてもらった。妊婦には獣を制御する力があると考えられたから、猟師たちは従った。やがて生理の血に力があると考えられるようになった。
大陸の経済や法律も勉強した。土地をムラで共有するのではなく、個人が所有できるようになれば、それぞれ農作物を試行錯誤し、皆の向上心が育つと思った。だが、それではムラの共同体としての力がそがれてしまう。ならば食料を蓄えるために税を取り、皆に分配すれば、飢えをしのげると考えた。けれどそれには、暴利を貪る王がいてはだめだ。自国だけでなく、他国にも存在してはならない。
物流は自国だけで回るものではない、他国との関係でもある。飢えがあるから、それを奪おうと戦争を仕掛けるのだ。その度に田畑は破壊され、建物は壊れる。働き手も失う。奪われるとその分取り分が減る。いがみ合えば物流も止まる。頭の悪い王のやることにはうんざりだ。
周辺国の「頭の悪い王」が邪魔だと思っていた時、日向の末裔と名乗る男王の使いが、平定しにこちらへやって来るという情報をつかんだ。
私はその男王に従うことにした。その男王の力を借りれば、こちらの意に染まない王を処分することが出来る。
どうせ遠いところにいる王だ、こちらの情勢を逐一見張ることは出来ないだろう。支配なんてあってないもの。
それから世界は劇的に変わっていった。
新しいことが増えていく。覚えていかなければならないことが増えていく。世界がより複雑に、煩雑になっていたものを一つにまとめようとしていく。
その度に、今まであったものを捨てた。不自由さを覚え、不満をこぼすものもいた。
けれど大半は、自由より飢えない安心を抱くようになった。
もっと大陸の知識を得よう。その為には、日向の末裔と友好関係を結んでおいた方がいい。鉄を得て大陸へ朝貢し、技術や知識を持ち帰る。
その為には、古い宗教では古き法を突破できない。何か、勝利を得るもの、飢えすらしのげると信じられるような、新しい神が欲しい――。
そうして私は、仏教を受け入れた。
うまくいくと思っていた。飢えより怖いものなどないと思っていた。
飢えがなくなれば、戦をすることはなくなり、子どもは育ち、皆が幸せに暮らせると思った。
なのに。どうして。
「――どうして、こんなことになってしまったの?」
暗い水の空間で、昔の私が顔を覆って蹲る。
涙で水面に波紋がたち、やがて何かにぶつかって消えた。
『何か』は、白くなった女の屍の山だった。
ある時は腕がはみ出し、ある時は脚がはみ出し、ある時は首が積まれた山からはみ出ている。
積み重ねられた女の屍の山を前に、人間の記憶を持つ妖怪の私が、泣いている。
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