ケイ視点 〈憑き物〉の在り方 2

 食堂に入ると、何時も満員な室内は、ほとんど誰もいなかった。

 ただカウンター席には、一人先客がいる。医療班の一人、河童だ。他の団員からは「ひょうちゃん」と呼ばれているが、おれは絶対に呼びたくないので「河童」と呼んでいる。

「おう、ケイ。珍しいな、この時間に来るなんて」

 河童は鋏を持って、紙を細く切っていた。


「……それ、短冊か?」

「そー。あっちゃん(事務)とさっちゃん(開発部)とに『一人で作れ』ってお仕置きされているところ」

「またあんたなんかやったのか」

 どうしてここまで女たちにちょっかいをかけるのか。その情熱を別のところに使えよ。





「俺はただ、『貧乳と頭の良さの比例傾向、ちょっと研究テーマにしてみない?』って言っただけなんだぜ?」



 ……こいつと言葉を交わしたくない。

「おっと誤解するなよケイ」

 無視しようとするおれに尚も言葉を重ねる。

 河童は親指で顔を指しながら、白い歯を見せて言った。


「俺は胸より尻派だぜ! ついでに愛用しているのもS〇riだ!」


「手首くらい切り落としておけばよかったのに」


 伝承通りにスパッと。どうせ薬で元に戻るんだし。

 罰がなまぬるすぎだろ、と続けるおれに、河童は机に突っ伏して大げさに落ち込んだ。


「いや、これから竹林へ芝刈に行きます」


 それを聞いて安心した。

『黄昏堂』が所有する山は、荒れ狂う魑魅魍魎が大量にいる修行場所だ。そしてそこの竹林を管理する主は、セクハラやそれに類する発言にとても厳しい。何でも昔、自分たちの姫君が貴族の男に無理やり手籠めにされそうになったことがあるのだと言う。きっとこってり絞ってくれるだろう。

 まあ反省しないだろうけど。

 こういう奴が一人いると、男全員がそういう風に考えていると思われるから同類にされたくない。特におれの場合、スカートと結び付けて「変態」という女もいるから、本当に勘弁してほしい。「そのスカート、女装して覗きとかに使ってないでしょうね?」とか平気で言ってくるあの女たちもどうかと思うが。

 性別があっちこっち行く八蝶を「性犯罪者」と言わないだけ、まだマシだが(むしろ八蝶は「女」として可愛がられている)。




「なんで短冊……もう七夕か」


 短冊になった紙をつまむ。


「お、手伝ってくれる?」

「するか」


 ヒビキはおれの腕から離れて、厨房の入り口の前に立つ。すると佐藤さんがやって来た。「ヒビキちゃん、いらっしゃい。ちょっと待ってね」と言って、再び厨房に戻る。

 佐藤さんがいることを確認したヒビキは、二階へ向かった。


「……あいつ、遠慮してんのか。自分が牛鬼の〈憑き物〉だから」


 河童が階段を音なく駆けるヒビキの方を見ながら、そう言って目を細める。

 牛鬼は、病を引き寄せる妖怪だと言われる。厨房の近づくと、食中毒を起こさせるかもしれないと思ったのだろう。かと言って入り口にいたら、病気を持った外の客が入って来るかもしれない。――と、ヒビキは考えた。だから二階へ行ったのだ。

 実のところ、この空間で病を引き起こすことは殆ど無い。開発部により、ウイルスを弾く結界が出来ているからだ。だが既に感染している場合は感染者を弾くことになるので、そのあたりのセキュリティを緩めることになる。感染者が公共の場所を使うことはないだろうが、警戒はしておいていい。

 ……もっとも、ヒビキのあの警戒の仕様は、そういうことではないだろうが。



 幼少組の一人が、食堂の周りに塩をまいたのだ。

 そして、ヒビキに向けても塩を投げつけた。



「あいつには大分説教しておいたよ。『地面に塩ばらまいたら土が死ぬからな!』ってな」

「いやそういう問題か?」

「だってコンクリも腐食するじゃん。塩害って怖いんだぜ」

 それで滅んだ国もあるんだからな、と河童は言って、


「……そもそもヒビキに対して投げたのも、あいつ自身が自分を許せないからだろうし。これ以上、なんも言えねえだろ」


 そう言われてしまえば、確かにそれ以上は責められない。

 


 ヒビキに塩を投げたそいつは、野狐やこの〈憑き物〉だ。

 北部九州において、野狐の〈憑き物〉は病気になると強く信じられてきた。そして、他の人間にも野狐を憑かせると信じられていたため、人々から迫害された。

 だからこそ、病気を持ち込むとされる牛鬼の〈憑き物〉が食堂に出入りすることが、余計に許せなかったのだろう。そいつも、食堂を含める公共の場所を利用することを極端に恐れている。

 そしてヒビキは、その誹りを当たり前のように受け入れた。


 そいつもヒビキも、悪いことが起きれば、全て自分のせいだと思い込む。

 そういう風に、人間によって思い込まされてしまった。




〈憑き物〉が生まれたのは恐らく、ただの偶然だ。

 変わった姿をした。あるいは獣との不思議な巡り合わせをした。もしくは何かの能力に秀でていた。病気をした。引っ越してきた。

 それ以外は普通の子どもだった。

 その子どもが大人になり、子を為し、家が作られた。

 それを人々は、〈憑き物〉として恐れた。


 病気になれば〈憑き物〉のせい。

 貧乏になれば〈憑き物〉のせい。

 怪我をすれば〈憑き物〉のせい。

 人が殺されれば〈憑き物〉のせい。

 戦争が起きれば〈憑き物〉のせい。

 飢餓が起これば〈憑き物〉のせい。

 天候が悪いのも〈憑き物〉のせい。

 何もかも、〈憑き物〉のせいにされる。


 因果関係など何もなかった。ただ、複数人によって「災い」と結び付けられた。

 ……そうして本当に、〈憑き物〉は生まれた。事実無根だったのに、本当に厄災を招く存在になってしまった。

 石を投げられ、田の水を止められ、代わりに人が嫌がる仕事を押し付けられ、何かすれば嘲笑われ、かと思えば無視され、人柱として真っ先に選ばれる。

 病や災いを呼ぶとされ、存在どころか、呼吸をすることさえ忌み嫌われる存在。

 逆に、他者を貶めることに〈憑き物〉を使う人間は、〈憑き物〉を飼い殺しにする。

 だがそれも人間としては扱われない。


 よくて家畜。

 だが、現状はそれ以下が当たり前。

 それが、おれたち〈憑き物〉への扱いだ。




「『盛り塩』って、本来どういう意味で使われてたか知ってっか?」


 突然、河童が切り出す。

「……結界を張ったり、清めたりするためじゃないのか?」

 俺がそう言うと、違うね、と河童は言った。

「あれは牛や馬を止めるためだよ。長い距離を歩いた牛や馬は、塩分が足りねえからな。舐めに来るのさ」

 伝説によると羊らしいけどな、と河童は言う。


「中国の三国時代、めっちゃ好色の司馬炎って皇帝がいてな。そいつ、自分の後宮ハーレムを作るために、敵の後宮にいた女、さらには結婚が決まっていた女の子すら召し上げたらしい」


 そう言って、河童は水かきがついた指を一本立てる。「その数なんと、1万人」

「うわあ……」

 何が悲しくて、そんなにたくさん人間関係を作らなくちゃいけないんだ。顔覚えるのすら無理だろ。

 おれの考えを読み取ったのか、「まあ、全員と相手するのは無理だよな」と言った。


「そんなわけで、司馬炎は一夜の相手を羊の気分に任せていた。何で羊かって言うと、羊が帝の車を引いていたのさ。だもんで、後宮の女たちは皇帝が乗った車を止めるために、塩を盛ったらしい。……まあもちろん、史実かはわからんし、脚色もされてるだろうけど。塩自体には清めの作用があるっていうのは古今東西言われてきたから、それはそれで正しいんだろうし。

 そしてお前が言った通り、現在は結界や場を清めることに使われる」


 これも意識によって変化した意味合いよな、と河童は付け加える。


「たとえ無実レプリカであっても、他者に擦り付けられたら『本当オリジナル』になる――そういうことを自覚していれば、他者の認識に引きずられずに済むんだけどな、お前ら〈憑き物〉は」


 妖怪俺らと違ってな、と河童は言った。


『河童』は全国的な伝承と思われがちだが、本来『河童』とは東京のごく一部でしか呼ばれない名前だった。それが広まったのは、芥川龍之介の『河童』が発表されたからだと言われている。

 それ故に、西日本と東日本では河童の特徴が違う。恐らく生まれた経緯も。


 特に九州の河童は、大陸から来た工人集団――つまり渡来人(外国人)だったと言う説がある。


 人々は、自分たちとは違う文化や慣習を持つ彼らの蛮行を恐れ、彼らの持つ技術に憧れた。

 河童とされた工人たちが本当に、人々へ危害を加えたかはわからない。少なくとも古来の河童は尻子玉などという「存在しないもの」ではなく、尻そのものを引き抜く残忍な妖怪であった。

 だが、彼らは自分たちにはない技術を持っていた。製鉄、治水、農耕、養蚕、織物。

 だから彼らは利用するために、ある時は妖怪として扱い、ある時は神様として祀ったのだ。


 それも江戸時代になって変わっていく。

 科学が発達し、神秘は薄れた。治水工事が進み、人々は劇的に水を制するようになった。人々は恐怖していた妖怪や頼っていた神々を零落させていく。神は妖怪に零落し、河童はいたずら好きの妖怪になった。

 今じゃ河童は、恐怖の対象ではなく、漫画やアニメに出てくるキャラクター消費された物語でしかない。

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