僧侶様と寄り神

 僧侶様は、隣に置いてあった木箱をわたしの方に置いて、蓋を開けた。


 中には、綺麗に削られた長い棒が入っていた。これは木なのだろうか。少しだけ、黒ずんだ布がついている。香木のように、甘い匂いはしない。……でもこの気は。



かみ、ですか」



 わたしの言葉に、はい、と僧侶様は言った。

 わたしは〈ソメさん〉の力を借りなければ、霊体化した妖怪や幽霊を見たり聞いたりすることは出来ないが、人並みに感じ取ることぐらいは出来る。


 寄り神。またの名を、漂流神。


 かつて、海と空は繋がっていると考えられていたことから、岸に流れてきたもの(生き物や人も含まれる)は神のモノ、あるいは神として祀られた。その信仰は神道だけでなく、仏教、キリスト教、ギリシャ神話など、世界各地に点在する。

「病の流行を予言する」アマビエや神社姫、博多の人魚なども、寄り神信仰の一面と言えるだろう。



「でも今じゃ、海も空も征された上にゴミで汚染されるばかりで、漂流したモノに神秘が宿るなんてことは滅多にないと聞きました。これは、何時流れてきたものなんです?」


「一昨日です」




「…………はい?」

 なんですって?


瓜生島うりゅうじまをご存じですか?」


 僧侶様に尋ねられて、わたしは答えた。


「……一日にして沈んだとされる島ですよね? アトランティスみたいに」


 安土桃山時代まで、大分川の現河口付近にあったと推測される島だ。

 島であったとされる一方、半島だったという説、「沖の浜」と呼ばれる港町、あるいは土砂崩れによって埋もれた村など、さまざまな説が存在する。

 沈んだ原因も様々に唱えられているが、有力なのは1596年に起きた慶長豊後地震説。ルイス・フロイスが記録に残した九州の地震は、これじゃないかと言われている。


 一方、伝説によれば、蛭子神社にあった蛭子像の顔を赤く塗った祟りで、島が沈んだと言われているらしい。


 そして蛭子は、日本神話で国産み・神産みで最初に生まれた神だ。「不具の子」として扱われた蛭子は、葦船によって流されてしまった。ある伝承によれば、その後蛭子は七福神の一人「恵比寿えびす」となったとも言われている。

 どちらにせよ、「蛭子」や「恵比寿」は、今も名高い漂流神の一柱だ。


 ――もし恵比寿様が親に捨てられていたとしたら、あの笑顔オブ笑顔の裏には、一体どれだけの苦労があるのだろう……そんなことをサトシに言ったら、「……いやまあ、あの人も自由奔放に見えて、過去に色々ありそうだよな」と返された。違う芸能人のほうじゃない――というのは、さておき。



「まさか、昔沈んだ島から流れてきたものだと言うんですか?」

「本人は、そう仰っていました」



 本人?


 ということは僧侶様は、流木に憑いたモノと会話をしたのか。……というか今更だけど、扱いは本『人』でいいんだろーか。


「やはり、蛭子だったのですか?」

「いいえ。お名前を伺うことは出来ませんでした」


 ……それって堕ちた神様とか、モドキでは?

 悪しきモノでない限り、神だろうと仏だろうと妖怪だろうと幽霊だろうと、ルールの上に成り立った生命は名前を明かすのが基本だ。そしてその名前は、名を騙る悪神(トロイの木馬タイプ)じゃない限り、信用していい。

 そう疑うわたしの心を見透かしたのか、「悪しき気配は感じませんでした」と僧侶様は言う。



「夢で会ったその方は、声もか細く、お姿は今にも消えそうで……恐らくその後、消滅されたのでしょう。名を無くした方とお見受けしました」


 たしかに、ここには気配だけあって、何らかの存在は感じ取れない。例えるなら、「ラーメンの匂いだけ残った空っぽのどんぶり」だ。


「……それで、その方はなんと?」


 わたしの問いに、一呼吸おいて、僧侶様は言った。




「――――近いうちに、女の蜘蛛によって、川や海が血に染め上げられる、と」






「……物騒なお告げですね」

 最も、神様や妖怪のハッピーなお告げや予言なんて、そうそうないんだけど。


 あー、なんでわたしはサトシを呼ばなかったんだ。自分の不手際に、こめかみが痛くなる。

 姫ちゃんに急に頼まれたとは言え、依頼内容を聞きに行くってわかっていたんだから呼ぶべきだった。これはいくらわたしの頭でも、どうにもならん。必要なのは知識と情報とコネを持つ調査員だ。あとやっぱり、姫ちゃんもここに来るべきだったな……。


「すいません。話の途中ですが、同伴者に連絡してもよいでしょうか?」

「ええ。どうぞ」


 僧侶様に許可をもらって、わたしはまず姫ちゃんに電話する。


 プルル、プルル……。


 ……なかなか掛からない。今、忙しいのかな。メッセージの方がよかっただろうか。


 そう思った時、プッという音がした。――かかった!




「もしもし、姫ちゃん⁉ あのさ――」




 ハア……ハア……ハア……んっ。




「…………姫ちゃん?」




 ――明らかに、18歳未満は聞いちゃいけない声が聞こえているんだけど?

 3秒ぐらいフリーズしたわたしの耳元に、いつもの三倍は色っぽい姫ちゃんの声がした。


『あっ、ごめんねぇ。今、ん、ちょっと手が空いてなくて。あと1時間、待ってくれないかしら?』


 そう言って、姫ちゃんは一方的に電話を切った。

 ――1時間で……足りるんですか……?

 ツーツーと流れる電子音が、わたしの頭の中を通過して、右から左へ流れていく。

 恐る恐る、わたしは僧侶様の方へ向いた。




「……あの、1時間ほど無理だそうです」


 多分あの声、僧侶様にも聞こえていた、よね?

 けれど僧侶様はそうですか、と言うだけだった。

 ……表情、読めねー!












『で、俺を呼び出したってワケ』


 電話先で、サトシがぼやく。


『後処理も期末も終わって、せっかく休めると思ったのにさあ……』

「それはマジごめん」


 こないだの久留米の事件でも、後処理にずっとかかりっぱなしだったもんなあ、サトシ。主に黒田君が流した映像とか、流れた個人情報の削除とか。

 サトシの仕事は、潜入調査だけじゃない。どちらかと言うと、SNSなどのインターネットによる噂の収集や不都合な事実の調査・削除依頼、または「こちらに都合の良い情報」をネットに流している。

 怪異とデジタルの相性がいいとわかっていても、まずこの国全体のデジタル教育がいまだに遅れている。その上、伝統的な家で育った術士には、保守的な人間も多い。よってデジタルに強い人間は限られており、サトシはかなり多忙なのだ。



『ま、いいけどよ。お前みたいに戦えねーからな、俺』

「……またそういうことを言う」



 サトシは、「サトリ」という妖怪の〈憑き物〉だ。人の心を読む猿の妖怪。その能力とインターネットを併用することで、あらゆる情報を覗くことが出来る。

 けれど、多くの〈憑き物〉の肉体が常人のものより頑丈で、かつ戦闘員として活躍している中、サトシの肉体はあまり強化されず、ちょっと毛深くて爪が伸びる程度にしか変身できない。それをサトシはコンプレックスに思っている。

 調査なんて最も必要とされる仕事だろ、と思いつつも、サトシが戦闘員として働きたい気持ちも、わからなくもない。――だからなんとも言えないんだけど、こうポロっとこぼされると、すっごく余計な口を挿みたくなる。

 それがサトシもわかっているから、へいへい、と返された。



『で、お前、仕事引き受けんの?』

「うん。……そうなると思う」


 お告げの内容からして、明らかに未成年が引き受ける仕事じゃないけれど、

 その言葉に、サトシが、ふうん? と言った。


『ホントに仕事が回されるかはわかんねーけど、一応調べてやんよ。ケイも呼んでおくか?』

「あ、うん。お願い」


 わたしは〈ソメさん〉の力がなければ戦闘どころか見ることすらできないが、ケイは戦闘に特化した〈憑き物〉だ。なので、わたしが仕事を引き受ける時は、ケイもセットでついてくる。前みたいに、〈ソメさん〉の意識がなくなったら困るしね。

 わたしの回答に、サトシはわかった、と言って、電話を切った。

 ……ふう。これで、報連相は達成かな。


「ありがとうございました」


 わたしが頭を下げると、僧侶様はいいえ、と言った。


「待っている間、書架をご覧になりますか?」


 地方史や伝承をまとめた本がいくつかある、と僧侶様は言う。

 サトシが調べてくれるが、土地に関する民俗や歴史は、わたしも調べておいたほうがいいだろう。「女の蜘蛛」が何を指すのか、ある程度目星をつけておきたい。

 僧侶様のご厚意に、わたしは甘えることにした。

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