呪いの美貌

 ──腹が……減った、なあ。

 というわけで、姫ちゃんオススメの冷麺店は、韓国料理屋の真っ赤な看板の前にあった。別府冷麺は、中華と韓国と日本の料理を良いとこ取りしたような料理である。

 店内は、今日の『黄昏堂』の食堂みたいな和風の内装だった。わたしたちは、入り口に近いテーブル席に座る。

 引き戸の摺りガラスから漏れる日の光は、少し薄暗い店内を暖かく照らした。

 わたしたち以外お客さんはいなかったが、一応待っている間はマスクをしておく。


 10分も待たないうちに、20代半ばの男性店員さんが持ってきてくれた。姫ちゃんはビビンバと冷麺が合体したもの、わたしはキャベツのキムチが乗った定番のメニューだ。

 姫ちゃんに見惚れてしまったのか、運んでくれた店員さんが頬を染めてぼうっとしている。姫ちゃんがウインクすると、はっと我に返って、慌てて頭を下げて戻っていった。

 姫ちゃんはなんてことなくスマホを取り出し、お昼ごはんを撮影している。


「……姫ちゃんさ」

「なあに?」


 割り箸を割って、お昼ごはんにうきうきする姫ちゃん。

 わたしは今言うべきじゃないかも、と躊躇ったけど、姫ちゃんが「言って」と言ってくれたから、結局甘えた。


「そうやっていつも、注目されるの、しんどくないの?」


 ――さきほどのツムギちゃんを見て、思い出したのだ。

 人と違う外見で複数の人間に見られる恐怖と、それを正当化する人たちを。

 姫ちゃんの容姿は、男どころか女でさえ見蕩れるほどの美貌だ。

 肩より長く、腰より短い髪を今日はシニョンにして、水色の花と黄色の花の髪飾りでまとめている。そこからしどけなく零れる横の髪に、汗で張り付いた前髪。無防備な美しさに、虜になる男は少なくないだろう。

 小さな顔に、紅潮した頬。濡れた鴉の羽のような瞳。睫毛は、蝶のように瞬く。艶めいたピンクの唇からは、真珠のような白い歯が覗く。舌は唇よりもっと鮮やかな、サクランボのような色……。


 ――嫌だ。と、思った。

 わたしは誰かの外見や特徴を、「モノ」や「食べ物」に例えたくない。



 そうね、と、姫ちゃんは言った。


「いくら私の『性質』だとしても、何もかも性的に見られるというのは、時折疲れるわ。途中でやめることは出来ないから、しょうがないのですけど」


 妖怪はルールに従って生き、人間はルールで自分を縛って生きていく。

 これらは表面上同じように見えるけど、根本的には全く違う。プログラミングされた妖怪は、ルールから外してしまえばエラーとして消えてしまう。一方人間は、法律や慣習から外れても、すぐに死ぬわけじゃない(生命活動に直接かかわるものもあるが)。

 要するに、ルールが生命活動の下にあるか、上にあるかの違いだ。


 姫ちゃんの妖怪としてのルールは、『美人』であること。そうプログラミングされた存在。美しくあらねば、生きてはいけない存在。

 、呪いだと思う。


 そして本来、自分のあり方に疑問を持つことを、妖怪は許されていない。自分の『生』を否定するに繋がるからだ。

 そんな危ないことを、わたしは共感が欲しいためだけに、彼女に「言わせている」。



「――だから八蝶ちゃんは、その姿を選んだのよね?」



 組んだ両手の上を顎に添えて、姫ちゃんは笑う。


「……うん」


 何もかもわかっているという顔に、わたしはすごく、泣きたくなった。

 まだ言葉にしていないのに、どうして姫ちゃんはわかってくれるんだろう。


「ごめん。姫ちゃんは、そういうこと全然考えてないってわかってるのに、わたしは……」

「いいのよ、全然」


 姫ちゃんの声は、どこまでも優しかった。



「いくらでも言ってあげましょう。――あなたが傷つくことは、間違ってない」



 傷つくことを弱いと、恥じる必要なんてないのよ、と姫ちゃんは言う。


「さ、食べましょ」


 そう言われて、わたしは冷麺をすすった。

 コシのある麺。キムチの汁が混ざった和風だしが、口いっぱいに広がる。

 キャベツのキムチが辛くて、ほんの少しだけ涙が出た。


 


      ■




 大分には、霊場が数多く存在する。霊場とは、キリスト教風に言えば『巡礼地』。目的や願掛け、あるいは修行のためにいくつもの霊場を回る。わたしが一人で向かっている寺院も、その一つだ。

 姫ちゃんが行きたくない場所というのは、寺院だった。


『私嫌いなのよ、仏教~』


 と、姫ちゃんが間延びして言っていたのを思い出す。

 姫ちゃんお寺嫌いだったんだ。ちょっと意外。いや妖怪って、普通神社とかお寺とか嫌うかもしれないけどさ。『黄昏堂』に属する妖怪って基本、神社やお寺の眷属だったりするから、どうも感覚がずれる。


 天台宗だというそのお寺は、曲がりくねった坂道を登った先にあった。流れる汗をハンカチで拭いながら、足を進める。夏に歩くには中々大変な道のりだ。――まさかこの道のりが嫌で来なかったんじゃあるまいな、姫ちゃん。

 木々に覆われた小さな山門を通ると、すぐそばに寺務所があった。

 達筆すぎて読めない看板の前に、僧侶様が立っている。


(余談だが、天台宗は和尚おしょうさんではなく、和尚かしょうさんと呼ぶそうだ)


 一応駅から出る前に連絡はしたけど、この暑い中、ずっと待っていてくれたんだろうか。

 黒衣こくえを纏い、髪を剃って眼鏡をかけた若い男性の姿は、局長を思い出させる。多分、局長よりは年上だろうけど。

 作られた、不動の振舞い方と言うんだろうか。傍に行くと、空気が張り詰めたように澄んだ。夏の暑さもどこか遠いところに追いやられ、滝の傍にでも来たようだ。

 ようこそおいでくださいました、と言う僧侶様に、わたしの背筋はピンと伸びた。








 わたしは客殿に通された。客殿とは、来客や檀家が報じなどで集まる場所で、言わば応接間と言えばいいのだろうか。

 大概は大人数が入れるように大広間なのだが、ここは密談に使われそうな場所だ。恐らく『黄昏堂』が参道にあって参道でないのと一緒で、ここであってここでない、別の次元に属している部屋なのだろう。


 机の上に、冷茶と老舗和菓子店で作られた茶菓子が出された。白くふわふわの淡雪でつつまれたそれは、中には黄色い餡が入っている。

 わたしは遠慮なくご馳走になった。がっつり減った水分が満たされて、疲れは甘いもので癒す。

 美味しいです、と言うと、よかった、とは言った。

 ……さっきの食べ方、失礼じゃなかったかな。

 所作が上品な人の傍に行くと、自分の振る舞いが雑な子どもであることが分かっているため、罪悪感に駆られた。あとちょっとの羞恥心。自分の経験や過去を全部見透かされてる気がする。

 もっと重役が来ると思っていたのに不審がられているかな、とか、子どもを理由に不安がられてるかな、とか思ったが、さすがは僧侶様。――まったく感情が読み取れない。これが厳しい修行を積んだ人か。

 まあそもそも口に出してないことを深読みする方が失礼だよな、と思い直して、わたしは読み取ることをやめた。自分が持ちうる精いっぱいの礼儀と教養をひねり出し、丁寧さを心がけて言葉にする。


「同伴者は別件にあたっており、わたくしが代理としてご対応させていただきます」


 これも本当。あの後、姫ちゃんは「ちょっと用事があるから、終わったらその場で連絡して~」と言っていたのだ。

 わたしがそう告げると、僧侶さまはわかりました、と頷いてくれた。

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