女の子に、会った

 姫ちゃんが長い指でスマホを操作する。まるで扇みたいに広がる姫ちゃんの指。艶めいたピンクの爪が、水色のスマホによく映えた。


「局長? どうしたの?」


 電話の向こうの声は聴こえないけど、姫ちゃんの言葉で電話の相手は局長だと言うことがわかる。

 わたしは姫ちゃんの方を見て、会話の流れを見守った。

「……わかったわ。今から行くわね」

 電話を切った姫ちゃんの顔は、心なしか強張っている。……緊張?

「局長どうしたの? あっちでトラブルあった?」

 悪い知らせなのだろうか。そう思うわたしに、姫ちゃんはちょっと笑って言った。

「本部からの依頼よ。場所が九州だから、福岡支部こちらに回されたらしいの。後で事務から連絡来るって」

「ふーん……」

 事務から来るのに、わざわざ局長から直接の電話? 局長だって今忙しいだろうに。

 疑問符を飛ばすわたしに、姫ちゃんはそうだ、と言った。


「今日、よかったら仕事、手伝ってくれないかしら?」


 そこ、行きたくない場所なのよ。そう言う姫ちゃんに、わたしは首を傾げた。






『黄昏堂』から一度博多へ向かい、そこから大分・別府へ行くには、大体3時間ほどかかる。

 駅に着いた頃には、11時半になっていた。

「先にご飯、食べちゃいましょう。別府と言えば冷麺よ‼」

 そう言って、どんどん先に進む姫ちゃん。

 私は、『別府駅』と書かれた駅舎を見る。駅名の隣には、温泉のマークがついていた。

 隣には「ゆ」と白い文字で書かれた赤い旗がはためいている。その旗は、骨組みのままのドームの屋根についていた。その内側には小さな噴水の池があって、底は赤錆色になっていた。説明書きを見ると、足湯ならぬ、「手湯」らしい。


 さすがは別府、温泉町。一般家庭にも温泉が引かれていると言われているだけある。


 駅舎の上に広がる空は青く、白い雲ばかりである。九州こちらは雨が降らないのだろう。今年の七夕は、珍しく雨が降らなさそうだ。

 手湯のそばには、銅像があった。男性が両手を挙げて、今にもジャンプしそうな恰好をしている。

 ……いや誰だあれ!?

 銅像の説明書きを読もうとして近づくと、よそ見していたせいで人にぶつかった。


「あ、ごめんなさい!」

「すみません!」


 お互いの声が被る。

 ぶつかった人は、しゃがみこんだまま声を発した。後頭部はフードで覆われており、髪の色すらわからない。

 ……我ながら町中で人にぶつかるなんて、不注意すぎる。仕事だっていうのに。

 偶然を装って故意にぶつけられ、スマホなどの情報端末を盗まれるなんてことはよく起きる。団員として気をつけないといけないことなのに。

 おまけに薄いグレーの長袖。この暑い時期に、怪しすぎる。

 わたしは慌ててしゃがみ、ぶつかった人の顔覗き込む。もし何かを盗まれていたら、顔を覚えて追跡しなければならない。


 ぶつかった人と目が合う。ぶつかった人はわたしと同じくらいの歳の女の子で、フードを深くかぶっており、赤い目をしていた。


「……」

 わたしは思わず、息をのむ。

 ほおずきのように赤いその瞳は、からだ。

「……あの、何か?」

 女の子に声を掛けられて、わたしははっと我に返った。

「すいません、じろじろと見てしまって!」

「いえ。……こんな色、珍しいですよね。この格好も不審者みたいに怪しいし」

 苦笑いしながら、彼女は言う。

 彼女はサングラスを落としてしまったらしい。装着しながら、彼女は言った。


「アルビノなんです、私」


 フードから零れた前髪は、白かった。

 アルビノや目の色素が薄い人は、サングラスで強い光から目を守る。

 長袖の服も、紫外線をカットする服だろう。それなのに、顔をあからさまに隠して怪しいとか思ってしまった。

「人から注目されても仕方ないってわかってるんですけど、どうしても気になっちゃって」

 そこまで言って、はっ! と何か気づいた顔になり、「ごめんなさい!」と激しく頭を下げた。

「これじゃ文句ですね⁉ お、お気になさらないでくださいって言いたかったのに!」

「いえ。こちらが不躾でした。ごめんなさい」

「いえ、そんな──私の外見が目立つのは事実ですし」

 わたしは手を振り、こう言った。


「どんな目の色でも髪の色でも、、あまりいい気はしませんから」


 わたしの言葉に、女の子は顔を上げて、きょとんとした目でわたしを見た。

 明らかに疑問に抱いている様子に、わたしは曖昧に笑ってごまかす。

「お互い、謝罪はここまでにしましょう」

 そう言うと、女の子は頷いた。

「そ、そうですね。……ところでこの像、なんなんでしょうね?」

 女の子がわたしに尋ねてくる。わたしもよくわからない、と返して、銅像に近づいた。

「『油屋熊八』、っていう実業家らしいです。今の別府を観光地にした人ですね」

 近づいてよく見ると、眼鏡をかけたおじいちゃんだった。しかも後ろには子どもが飛びながらおじいちゃんの背負っている荷物を掴んでいる。なんだこれ。

「すごい前衛的な銅像ですね……」

「多分、すごい愉快な人だったんでしょうね……」

 銅像を見てこの様子だと、彼女も別府駅に来るのは初めてなのだろう。

 ……この年齢で、この平日の時間帯に、知らない駅に来るって一体……。


 いや、現時点でわたしが言えたことじゃないんだけどね?



「あ、すいません! 今、タクシー来たので、行きますね!」

「あ、はい。お気をつけて」

 女の子は何度もわたしに頭を下げ、頼りげない歩みでタクシーに向かう。

 大丈夫かな……と思いながら、ふと視線を落とすと、赤い石畳が色あせてグレーになっているタイルの上に、保護色みたいにまぎれたカードケースがあった。

「ちょ、これあなたのじゃ!」

 わたしは慌てて声を掛けるが、彼女は既にタクシーに乗って去っていった。

 追いかけるわけにもいかず、わたしはグレーのカードケースをひっくり返す。

 カードケースの窓からは、『クワバラ ツムギ』と書かれたICカードが見えた。もしあの子の物なら、彼女の名前なのだろう。漢字で書くとしたら、『桑原紬』だろうか?

 わたしが持っていても仕方ないし、とりあえずまずは、駅員に届けるか。

 そう、駅舎の方に向かおうとした時。


「あー、いたー! もー、どこに行ったのよー。探したじゃない」

「え」

「何駅舎の方に戻ってるの。こっちよ」

 走って戻って来た姫ちゃんに問答無用で手を引っ張られて、そのまま駅を去ってしまった。


 ──そういえばあの子、柔軟剤とか制汗剤とか、人工的な香料の匂い、しなかったな。

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