すごく生まれやすくて、すぐに消える場所
「──っていうかさ。学校の怪談みたいな子供だましの噂が、昔から伝わっている妖怪より強いことなんてあんの?」
黒田くんが納得いかない、と言うように尋ねてくる。
「妖怪とか怪異とか、古いものの方が強そうってイメージなんだけど。付喪神とか、古いモノには神様が宿ったりするっていうじゃん? ソシャゲだって、古い刀の方がレア度高いし」
「まあ、古い方がよくわからないから神秘的で強いって言うのは定石なんだけど、学校の怪談っていうのは、かなり原始的でね」
日本の国公立の教育機関は、宗教とは意図的に遠ざけられた場所だ。
けれど誰かが自分を見ている。誰かが自分を迫害する。社会にはない慣習があり、社会にはない規律がある。しかし誰もがそれを守らなければ生きていけないと思っている。
それは『神様』や『宗教』という名前をつけない、
例えば『鬼』や『天狗』は、絵本や昔話で知る『物語』タイプだ。起承転結がわかりきっている物語は、教訓として消費され擦れきれていった。その上、登場人物にリアルティは存在しない。もはや現代人は、鬼や天狗に恐怖を抱くことはないだろう。
だが、学校の怪談は昔話ではない。今の学校に潜む闇を子どもたちが感じ取り、その時に更新され共有されてきた。
「前者が一○郎、後者がW○rdって言ったら感覚湧く?」
「ああ……『え、未だに使ってんの?』っていう、そういう古さなんだな、鬼や天狗は……」
「実際は、あちこちで重宝されてるけどね。一○郎」
ルールが根底にある妖怪とは違い、人間は混沌から生まれた存在だ。だから人間は、感情や行いをルールで縛る。『嬉しい』『悲しい』という言葉も、言霊で表現することで、感情をコントロールしているに過ぎない。
だが表現できず、少しずつルールから零れた感情は、形がないまま集合する。それに名前というルールをつければ、新たな怪物の誕生だ。
理不尽への諦め。社会から取りこぼされる恐怖。強大な力に自分の意思を預けて、環境に適応し、平和を享受しようとする。──そういう社会の歪みから生まれた感情を、まだ言葉をあまりよく知らない子どもたちは、生徒が入れ替わる度に『怪談』として秩序立ててきたのだ。
「簡単に言うと、日本の学校という場所は、怪異がすごく生まれやすくて、すぐに消えるってこと。閉じ込められた空間の中で、生まれて消えるエネルギーが豊富にあるんだから、強い破壊力を持つ怪異が現れても不思議じゃない。――生き物にも言えることだけど、長期的に生き残ったり、広い範囲で行動できるものが強いとも限らないんだ」
「確かに……繁殖力だったら植物とか細菌とかが強いだろうけど、食物連鎖のてっぺんにあるのは肉食動物だもんな」
黒田君の言葉に、ふと、私は何かに気づいた。
閉じ込められて、混沌として、生まれて消えて、そして最後に強いものだけが残る。鏡の世界。音楽室から流れる『エリーゼのために』。走る骨格標本……。――しかも、『蜘蛛』。
もしかしてこれは……。
考え込むわたしに、なあ、と黒田君が話しかける。
「結局俺、あんたの名前を聞いてないんだけど」
「え?」
……そう言えば、所属組織名は言っても、名前は名乗ってなかったな。400字詰め原稿用紙に換算したら10枚超もぐだぐだ会話してたのに。
「『やちよ』だよ」
「やちよ?」怪訝そうな声が返ってきた。
「『ちよ』って、男の名前じゃ、珍しくないか?」
「そうかな? 家康も家光も幼名は『竹千代』だよ? ちなみに『千に代々』じゃなくて、『八つ』に――」
そう言ってわたしは、藍色のコートを翻し、後ろにいる彼のほうに振り向いた。
黒田くんの後ろで、愛くるしく笑っている少女がいる。
年齢は中学生だろうか。重そうな紺色のジャンパースカートは、この学校の制服ではない。前髪から覗く目は大きく、唇は赤い。幼さとコケティッシュな印象が、塗り重ねられたよう。
――そんな彼女は、頭まで裂けたかと思うほど、大きく口を開けていた。
懐中電灯に照らされたグロテスクな歯茎が、妙にあでやかに映る。たらん、と牙のような歯から、糸を引くように涎が垂れていた。
え、という黒田君の声と同時に、
わたしはその顔めがけて、『あるもの』を投げる。
そうして彼の手をとって、廊下を走り出した。
「何⁉ 何⁉ 肩に冷たいの落ちたんだけど!」
背後を見ていなかった黒田君が尋ねる。その『冷たいの』は涎だよ、とか言ったらさすがに失神するだろうな。それは困る。
とりあえずわたしは、正体だけ告げた。
「多分、七不思議の一つ! 『後ろから聞こえる廊下の足音』! ここの学校、テケテケさんがいるんでしょ⁉」
「あー! 時速150キロで走るやつ――‼」
「秒速41メェ――テル――‼」
3秒もあればこの廊下渡り切るどころか突き抜けるわ!
三つの空き教室の向こうにある階段を登りきった頃には、ぜえぜえ、と肩で息をしていた。
息が一通り落ち着いたところで、耳を澄ます。どうやら『投げたもの』がちゃんと効いたようで、追いかけてくる気配もない。
もう大丈夫だよと言うと、黒田君はすとん、と階段に座った。
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